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自分の記事が遺言や遺産だと思えば意外と頑張って継続できる

私自身がnoteの記事を書いていてもうすぐ連続投稿800日を超えるのですが、こんな私でも自分がしていることに対して疑問を感じたり続けることへの意味や意義、価値を考えたりすることもあります。

しかし少し前から、私が行っていることは、地球人全員への遺言や遺産であると考えることにしました。つまり、今現在の読者だけでなく、これから私の記事に出会うかもしれない人々にも何かを感じてもらえるような記事を目指して書いているということです。

今回の記事は、自分の記事をできる限り後世の人々へも影響できるような記事を書くことについて述べます。

なお、当記事は下の記事の続編です。


自分の血縁だけに遺産を残(遺)しても・・

自分の子孫にお金や土地などを残しても、それにどれほどの価値があるかは不明です。というのも、インフレになればお金の価値は下がりますし、土地を残してもそこに子孫が住み続ける可能性は低いです。もちろん、不動産が永遠にお金を産み出す場合は例外です(笑)。

思考や熟慮、苦悩などの足跡を遺(残)したい

私は2021年の7月からnoteの記事を書き始めました。その過程では紆余曲折があって、途中で何度も挫折しそうになりました。そしてその度に私の考えを書いてきました。

それらの中に私自身の深い思考や苦悩などが書かれており、それらを読んだ人たちがnoteをやめることを踏みとどまってくれるかもしれません。

私の過去記事がその一助になれば幸いです。

また、私の記事からはそれなりの重みを感じるはずです。私はそれほど楽な人生を過ごしてきてはいません。ですから、その重みから何かを受け止めてくれて、ある種の人生訓になってくれていれば嬉しいのです。

知恵や叡智を遺(残)したい

私の若い頃はそれほど賢くはなかったです。決して頭が良かった部類ではなく、かなり不器用でした。しかし学生時代の大量の読書と当時のアルバイトを通して、急に賢くなりました。それ以降、知能と知性、IQが急激に高まって、今現在も少しずつ頭が良くなっています。

そんな私でも、多少の知恵や叡智があります。今は、noteという媒体を通して、それらを残したいのです。

note株式会社が今後50年以上残る可能性はあります。しかし、500年以上の存続は相当難しいでしょう。半永久的に残る会社はありませんので、私の過去記事もまた残り続ける可能性は極めて低いです。

でも、私の記事を読んだ人たちが好影響を受けて、自分の人生を少しでも変えることができたならば、私の記事投稿にも意味と価値があったことになります。

遺(のこ)すとは?

残すと残すは意味が異なります。上のサイトによれば、「遺す」とは下の意味になるようです。私がnoteの記事を通してやりたいことはこういうことになります。

「遺す」とは、何かの価値あるモノやコトに対して、価値の一部でも損ねることなく、その全てを次の代に引き継ぐコトです。

遺産のような金銭的価値に使ったり、遺跡のような文化的価値に使ったり、遺伝子のような生物的価値に使ったりします。

この「遺す」には、次の代に伝えるために、大切にしている全てを指すコトバです。

「残す」と「遺す」の違い



最後に

個人の知的遺産には限界があります。しかし、これが数万人や数億人となりますと、その価値は無限大となります。

今はAIも発達してきていますので、人間の知的遺産との優れた融合が行なわれれば、まだまだ私たち人間は伸びると思います。

昨今の日本では未来に対して悲観的な発言を行う人が多くなってきました。

しかし、少子高齢化と人口減少が起きても、その質が高まれば日本もアジアもまだまだ行けると思います。

そのためには、私たち中高年が積み重ねてきたものをより正確に若年層に伝えることが大切だと思います。

それゆえ、私たちがいろいろと遺すことが重要なのです。

イラスト素材:パンダの親子

人間の赤ちゃんだけでなく動物の赤ちゃんもかわいいです。でも、爬虫類や昆虫の赤ちゃんは苦手です。特に、ヘビやワニは。

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。



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