自分と身内が幸福ならば少しだけ他人へもその幸福を分けてほしい・・・幸福三説(惜福・分福・植福) 体調不良のためコメント返信遅れます🐼
現代人は自分のことで精一杯の皆さんが多いかもしれません。特に、昨今のコストプッシュインフレで生活に余裕がない方々は、他人のことを心配しているどころではないでしょう。もし仮に自分たちに余裕があっても、日本人全体の5~6割は経済的に余裕がないという統計もありますので、決して他人事(ひとごと)ではないです。
しかし、noteで記事を書き続けられるような皆さんの多くは、上記の5~6割には入っていないようです。私も生活が苦しいということはないです。ただし、以前よりも支出を多めに控えるようになりました。
今回は、比較的生活に余裕があって幸福を実感できているのならば、ほんの少しだけでも自分の幸福を分けて上げましょう、という話です。
なお、余裕のある生活とは、食べることには困らない生活という意味です。明日食べるものもないような人たちは命に関わる危機的状況ですので、noteの記事を書いたり読んだりしていることはないはずです。たまにいますけどね。記事で「助けてくれ」と書いている人が。そういう人たちはすぐに生活保護を利用するしかないと思います。
幸田露伴の幸福三説とは?
幸福三説とは、明治時代の文豪、幸田露伴がその著書「努力論」で唱えた説です。その三説とは、「惜福」「分福」「植福」の三つからなります。順に説明しますと、以下のようになります。
惜福とは?
自分に与えられた福を取り尽くしたり使い尽くしたりせずに、それらの福を天に預けておくという意味です。そのような心掛けで自分の福を無駄遣いしないと、あとで強運に巡り合う確率が高くなるそうです。
分福とは?
分福とは、文字通り、自分の幸福を他人に分け与えるということです。この場合の他人の中には、身内を含めてもいいかもしれません。今回の記事のメインテーマはこれになります。
私の過去記事でも何度か書いていますが、社会において自分一人だけが幸福になることはできません。
例えば、100人で構成された村があったとします。もし仮に100人の内自分一人だけが幸福でいつもニコニコしていたらどうなるでしょうか。おそらく残りの99人から妬み僻まれて、それらの幸福の源泉を絶たれてしまうはずです。
植福とは?
植福とは、自分の将来も幸福が続くように、今の内から幸福の種を蒔いておくということです。
人間の場合、自己投資や将来への投資を行うことがありますが。これもまた植福の一種かもしれません。
他人へも幸福を分けて上げよう・・・分福
私たちにできる分福は限られています。しかし、私たちnoteクリエイターにもできることはあります。
それは、言葉や文章で大切なことを伝えることです。例えば、自分のnoteで知識や経験、情報を伝えたり、時には誰かに助言をしたりすることができます。
これは心に余裕のある人ができることです。そして、私たちにしかできないことかもしれません。
もしどこかの誰かが苦しんだり悲しんだりしていて、そのことをnoteで書いていたら、優しいコメントを書き残したいものです。
分福とは決してお金を与えることではない
「福」を与えると言うと、すぐに「ではお金を与えたりお金を貸したりすることなのか」と考えるかもしれません。
しかし、そうではないです。
私たち一般庶民には生活困窮者にお金を与えることはできません。そして、そこまでの義務と責任はありません。
また、金銭の貸し借りも行うべきではありません。個人間における金銭の貸し借りはトラブルになり犯罪に繋がることもあります。ですから、それに関しては金融機関にお任せすればいいと思います。私の知る限りでは、過去数十年間で金銭トラブルで犯罪に至ったケースは非常に多いです。
最後に 分福をしておけばいつか自分にもそれが帰って来る
いつでもどこでもお返しを期待することは間違っています。しかし、どこかで良いことをしていれば、いずれそれらの善行は自分に返ってくるのではないでしょうか。
それとは逆にいつも悪行をしている人たちは、自分の人生からの報復みたいなことを受けると思います。特に、法に抵触するような悪人は、寿命が短かったり健康に恵まれなかったりすることが多いようです。元犯罪者で寿命が長い人はほとんどいないはずです。
「禍福は糾える縄の如し」ということわざがありますが、本当に幸福な人はその期間が長く不幸な期間が短いと思います。私自身が真の幸福を実感できるようになった時期はつい最近ですが、今後も善行を積み重ねて長期的な幸福感を実感し続けたいものです。
なお、個人の幸福感は、本人の気持ち次第です。他人からは不幸に見えても、本人がいつもニコニコしていればもうそれだけで幸福なのです。
ですから、身の回りでトラブルを抱えていても、いつも自分の人生を楽しんだり笑ったりしていれば、それだけで幸せと言えるかもしれません。大失敗があったり病気になったりしても、そんな人生を常に笑い飛ばしたいものですね。
余談 幸福三説は「幸福の科学」の教義らしい
今回記事で取り上げた幸福三説は、幸福の科学の大川隆法さんが人生の生き方として教義に取り入れていたそうです。
偶然ですが、私は、「幸福の科学」とは無縁の人間です。
私と身内がどこかの宗教集団に所属していることはないです。
<今日の3行日記>頭痛・腹痛・カイロ使用
一昨日と昨日はあまりにも寒すぎてカイロを使用しました。今日も気温が低くて、頭痛と腹痛がします。例年4月の中旬ぐらいまではカイロを使用しますが、5月にカイロを使用したことは生まれて初めてです。
コメント返信について
体調不良のためいつもよりコメント返信遅れます。
イラスト素材:フランスぱんだ
「パンダ 幸福」の検索結果がこれです。意味不明です(笑)。でも、かわいいから許します。それにしましても、片耳と片足が赤いのですが洒落ていますね。
今日の記事はここまでです。
文字数は、約2,400字を少しだけ超えました。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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