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気狂い達に花束を

気狂い達に遭遇する確率が異常である。
ここで気違いと呼称しないのは気狂いたちに対するせめてもの気遣いだ。

気狂いというとみんなどんな人を想像するのだろうか。
電車の路線内に侵入し自分の思想を大声で叫ぶ人。
コンビニや居酒屋の店員さんに理不尽な要求をする人。
ごった返す人混みで手当たり次第ぶつかっていく人。
本当に様々な気狂い達がいると思う。


しかし、気狂い達に遭遇する事はあっても実質的な被害を被った経験のある人は少ないのではないだろうか。
私は何故だか気狂い達に矛先を向けられることが多い。本当にマジで多過ぎるので数ある体験の中の一つをご紹介したいと思います。



       「太極拳ジジイ」



これは私が大学生の頃、1限のため大学に向かって歩いている時の話である。

その頃の私はというとラインを超えた夜ふかしを覚え毎夜の如くサブマシンガンを片手に電脳世界のクソガキとニュークタウンで朝まで死闘を繰り広げる日々を送っていた。

当日も漏れなくクソガキとの戦闘により疲弊した脳みそと必修1限という大学生が嫌いな言葉ランキング殿堂入りのダブルパンチで憂鬱な気分の中大学までの道のりを歩いていた。

大学までの道のりの中で公園があるのだがそこで1人のおじさんが太極拳をしていた。

色褪せたベースボールキャップにトラックジャケット、地面の中に埋まってる古着屋で買ったような土まみれのジーンズ、趣味は釣りと相撲観戦、好きなタバコの銘柄はわかばとechoみたいな典型的な公園にいるようなおじさん。
見るからに普通のよくいるおじさんだった。
だがしかしそこから繰り出される流れるような「突き」「止め」また更なる「突き」は素人の私からみても明らかに練度の高さが窺えるような技捌きだった。

しかし、そうは言っても他人

「なんかベストキッドみたいだな」

とか思いながら通り過ぎようとするとふとした瞬間目があった。

目があってしまったのだ。

目が合うだけならいいのだが私をじっと睨み何やら口をもごもごさせていた。

もしここがアメリカのサンフランシスコならBoys Town Gangの「Can't Take My Eyes Off You」が流れて映画は感動のフィナーレを迎えているところなのだが残念なことに、ここは神奈川県の片田舎、脳内ではポケットモンスターDPの「戦闘!シロナ」が流れ始めていた。

ポケモンの世界なら目があった場合どんなに手持ちのバイブスが悪い状態でも戦いを申し受けなければならない。
もうすでに戦いのゴングは鳴っているのだ。

夜更かしのし過ぎで脳内ドリカム状態の俺と中国4000年の歴史が生み出した太極拳で心身共にウォームアップ済みのおじさん。
勝敗は一目瞭然だった。
直感は経験則であるとよく言うが約20年間の経験が脊髄反射で司令を下した。


「逃げろ」



勝負を放棄したことを悟られぬように視線を外しサバンナのシマウマもドン引きのサッカーで培った間接視野をフル活用しジジイの動向を探りながらその場から離れようとした。


「まだ動き出していない、もしかして俺の勘違いだったのかも。戦いのゴングはもう鳴っているのだ。とか言ってほんとごめん、まじで良くないよね。」

と思っていたのも束の間、ジジイが突然間接視野から消えた。

消えたのだ。

ブリーチの世界でアランカルが使うソニードと呼ばれる高速移動法があるがジジイが使ったそれはソニードを遥かに超える早さだった。一瞬にして太極拳ジジイの霊圧が消えた。

ホラー映画ばりの振り向きで後ろを見ると3メートル後ろでジジイが太極拳の構えをしながら憂いと期待を含んで目で私を見ていた。ウルキオラかと思った。


速い、速すぎる。
まずは距離を取らねば、
できるだけ刺激をしないように早歩きで距離を取ろうとした。
クマと遭遇した際の注意点として目を見ながらゆっくりと後退りをしなければならないが俺には無理だった。
次目があったら確実にやられると思った。

プレッシャーを背に受けながら早歩きをした。
流石に勘違いであってほしいという願望があるがチラッと後ろを見た。

まだいる。

そして俺は驚愕の事実に気が付いた。

ジジイとの距離が離れていない。

つまり俺の早歩きの速度に合わせて付いてきているのだ。
完全にマークされてる。
今日はこいつで遊んでやろうという余裕すら感じる。

「もう、走るしかない」


相手の年齢は推定70代後半、こちらの年齢は20歳。
本気で走れば絶対勝てると思った。なめんな

走った。

もうそれは、走った。


マラソン大会で「だるくね?一緒に走らん?」って言って秒で友達を置いていく奴みたいに走った。


全力疾走は気持ちがいい。

ちょっと寒いけど日差しが暖かい春の空気を肌で感じながら走る。
いつもは歩いて見える風景が全く違う速度で流れていて木々の緑や看板の青、工事現場の三角コーンの赤が速度で歪んで、混ざり、まるでキャンバスの中を走る列車に乗っているような気分になった。(なるはずだった)

こんな状況じゃなければ


恐怖と心拍で息も絶え絶えになる中、藁にもすがるような気持ちで後ろを振り向いた。


いるのだ。
ついてきているのだ。
70代の老人が
20代の
走る速度に。


腕を大きく振り、地面からの反発をしっかりと足全体で受け止め、前進する。そしてそれを澱みなく繰り返す。
まさにお手本のような走りだった。

この世界は間違ってると思った。なんでついてきてんだよ普通に、老化と重力の概念どこいってんだよ。

太極拳の心得に「不可狂」というものがある。
太極拳を学ぶには狂ってはいけません。狂うと問題が起こるのですから。というものである。

このジジイは完全に狂っていた。


もう本当に終わったと思った。
次の日のnews everyで「70代男性、大学生に暴行。全治3週間の怪我」みたいなニュースが流れる。
ネットで散々ネタにされたあとに犯行の動機として「目が合ったから」みたいな馬鹿な補足が流れるところまで見えた。


しかし絶望したのも束の間、あることが目に入った。

ジジイが来ているTシャツのロゴだ。

その文字ははっきりと見えた。

そこにはこう書かれていた。








「Monstar Hunter」







「……………は?」




側から見たら異様な光景だったと思う。
ランニングに適した服装をしていない老人と若者が早朝の道路を等間隔でお互いに目を血走らせながら全力疾走しているのだ。
道ゆく人が見ればひったくりの現場やひったくりの現場、ひったくりの現場とかひったくりの現場だったり本当に様々なひったくりの現場に見えたと思う。

もし仮に私が太極拳ジジイに捕まり逕庭拳をモロに受け1発KOされこれがニュースになった時、視聴者はその結果だけを見る。
しかしそこには簡単に察知することはできない短く長い歪な脈略がある。


人には多面性があるのだ。

私自身本当に声を荒げたり怒ったりすることが滅多に無い。本当に無いのだ。
対人関係のトラブルもほぼ無いと言っても過言では無い。
私は電車の中で騒がないし、誰か困っている人がいたらすぐに助ける、ましてやモンスターハンターのロゴが入ったTシャツを着て朝近くを歩く大学生の後を全速力で追いかけたりしない。
このように私は善人であり人格者であり気狂いではないのだ。

しかし、ふとしたきっかけで一瞬ダークサイドに片足を突っ込んでしまう時がある。

大学生の頃、FPSで小学生にボコボコにされた夜中、悔しくて発狂し、近隣住民に警察を呼ばれたことが5回ある。
留学中、ちゃんと授業を行わない担当教師に我が物顔で説教して授業を丸々1時間潰したこともある。(何様)

高校生の時友人に目の前でドールのパイナップルジュースに鼻くそを入れられた時は天地がひっくり返るが如くキレた、もうそれはキレた。

お前はパイナップルジュースを作った人の気持ちを考えたことがあるのか。お前は飲み物を一つ無駄にした。雪印とドールに謝れ。140円をバカにすんじゃねえよ。アフリカの子供達の前でも同じことができるのか。

議論の飛躍と暴論中の暴論。
でも今思い返してみればそんなに怒るほどのことでもなかったと思う。
普通に考えてドールのパイナップルジュースでバチギレする男、しんどすぎる。
石崎、マジでごめん。


何が言いたいのか言うと、どんなに良い人間に見える人でもその人の中には必ず「悪人」が住んでいて問題はそれを引き出す「トリガー」に出会うかどうかなのでは無いだろうか。

今回の太極拳ジジイは目が合うということがトリガーだったのかもしれないが、
もしかしたら長年勤務した会社を理不尽な理由で解雇され、家族友人にも愛想を尽かされた。
その中で唯一、自分が自分であることのできる趣味として生涯続けてきた太極拳。
その最中にアホ面の若者のがノコノコとテリトリーに侵入してきたことで自らの境遇との対比に腹を立て世直しのつもりで今回の犯行に及んだのかもしれない。

「変な人」はやはり怖い。
しかしその「変な人」には想像もつかない不遇なバックグラウンドがあるのかもしれない。
簡単には見えないそこに至るまでの脈略があるのかもしれない。

変な人を変な人で括るのではなく何故変な人になったのかそこのに対しての想像の余地がある人間でいたい。

そうした想像の余地があるだけで他人に対してちょっと優しくなれるのかもしれない。

そういう人間に私はなりたい(宮沢賢治)













ついさっきローテーブルの角に小指をぶつけて
「ィッ………バカが!!!」と叫びました。

トリガーメモ追加。





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