にじから木五倍子

にじから木五倍子

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ケツ状耳飾りのブリコラージュ

ケツ状耳飾りの多様性は日本列島にあり 使用石材の多様性も、形の多様性も多いことから 大陸の高度文化が伝来して それを尊重したというような雰囲気は無いのでは これほど多様性に富むと云うことからは 外来信仰したものからの始まりとは考えにくい  文明史の展開状況としては、この時期は日本列島の方が 既に数千年の歴史を重ねていて むしろ日本列島側から大陸側に伝わり 重要な儀礼として、そこから貴重な石で作るようにもなり 身分を示すようなものになったのでは無かろうか そこには日本列島にあ

    • 弓矢猟の始まりをブリコラージュしてみました

      細石器は何時から作られるようになったのか 何のために作られたのか 何時無くなったのか これについてブリコラージュしてみる 石鏃は何時から作られて 使われるようになったのだろうか 1.細石器・細石刃は土器と伴に見付かる  このとき石鏃はまだ作られていない 2.細石刃は日本列島では  槍の穂先に埋め込まれた形では見付かっていない  では何のために作られ、使われたのか 3.隆起線文土器が作られるようになっても  まだ石鏃は作られるようになっていない  弓は使われるようになっ

      • 旧石器、新石器

        旧石器から新石器へ移行時期 旧石器時代後期  集団での狩りが行われていた 尖頭器  槍の穂先  大型動物がいなくなり、小型動物を狩猟するため  小集団での狩りに移行 有茎尖頭器 投げ槍の穂先 投げ槍を軽くするために  穂先の尖頭器を軽くする工夫として 細石刃、細石器 を作りだした  細石刃を多数植え付けた槍は見付かっていないので 細石刃は、投げ槍の先端に使われたものでは無いか  イヌとの共同した猟が始まったものか この時期に土器が開発された  細石刃もイヌの家畜化も土器に記

        • 原始時代から歴史時代へ

          縄文時代とは先史時代では無い            図 旧石器時代の石器 旧石器時代の記録とは、それは略失われて遺されていないから 有ったのかも知れないものの分らない 歴史時代の記録 シュメール文明から           図 トークンと土板 土板には文字による記録が遺されていた トークン 取引の記録           図 世界の古代文明 西アジア、シュメール文明、メソポタミアで土器が作られたのは7000-8000年前 東アジアでは17000年前頃から土器が作られて

        ケツ状耳飾りのブリコラージュ

          無文土器はなぜ造られたのか

          編み籠の目を無くしたこと、「無文」と言う文様の土器である これが縄文の先駆けであるのではないだろうか 新石器時代の始まり、旧石器時代の後期末 図 石器の変化 旧石器から新石器へ 旧石器時代の後期 細石器、細石刃の時期に当たる 尖頭器が開発された 有茎尖頭器が開発され、投げ槍による猟が始まっていた すばしこい小型の動物の狩りには、イヌと共同した狩りが有効だったのではないか しかし弓のない狩りでは獲物の収穫は十分ではなかった 不足分を補うために編み籠による植物食料の採集を精力的

          無文土器はなぜ造られたのか

          新石器時代とは何か

          旧石器と新石器の最大の違いは何か         図 シュメールのトークンと文字記録 新石器の最大の違いはシュメール文明での土板に見るように 簡単に文字が記録でき、その記録文書が永久に残せるようになったことである 紙への記録以前に、簡単に記録して、記録した文書を永久に遺す手段を得たことにある。 それでは縄文時代はどうなのか、文字のまだない縄文時代の土器はどうなのか。 図 縄文土器 図 火焔土器 土器にある縄目の模様や火焔のような造形の土器は、美術品として作られて 芸術を

          新石器時代とは何か

          日本語は土器と共に新石器時代に成立した

          日本語はどのようにして成立したのか 引用に示すように日本語は世界的に最も古いものである様だ そうだとすれば次のようなことが想像できる 旧石器時代まではものを示して言葉を伝えた 石器で形成できるものは極限られていた 17000年前の縄文土器から始まる新石器時代には 言葉はどんなものでも作れる土器で伝えられた 言葉は永久に残る土器で広く伝えることが出来た、土器は文書と同じである ものを示して言葉を話すのは旧石器時代 新石器時代には土器で何でも造形して言葉を伝えることが出来

          日本語は土器と共に新石器時代に成立した

          新石器時代と旧石器時代の違いとは何か

          新石器時代には土器が開発されて、簡単に記録が残せるようになった。石器では感じていることを表現するには造形が難しく、木材では直ぐに腐って失われてしまう。 シュメール文明では文字が発明されて、粘土板に文字が記録されていた。 シュメール文明よりも10000年以上前の縄文時代には、文字はなかったが、新石器時代の生業獲得・開発の歴史経過を文様や造形で記録して遺していた。数字は土器に突起を付けて数を示していた。 土器とは何か 弓矢が開発されるまでの期間、狩猟による食料獲得が難しかっ

          新石器時代と旧石器時代の違いとは何か

          縄文土器の変遷 「縄文」から「集団表象」への変化

          土器形式の進化 図 土器形式推移の年表   これから大きく概観して次のような特徴が見える 関東圏を中心としてみている 時期     影響範囲        狭い範囲    中間     広範囲 草創期                  隆起線文                      爪形文                      多縄文 早期             撚糸文                      貝殻条痕文 前期     羽状縄文        

          縄文土器の変遷 「縄文」から「集団表象」への変化

          旧石器時代の後期から、新石器時代の始まりまで

          目次 大型動物  尖頭器装着の槍 小型動物の狩り  有茎尖頭器 投げ槍 イヌ  それまでに育てていたイヌの狩りへの参加 植物食料の採取 編み籠 マメ類 細かい種 編み籠からの目漏れ マメ類は手に入りやすく、食味が良かった 手近にある粘土による編み目の目止め 無文土器 目のない容器 大型動物がいなくなり、それまでの尖頭器を付けた槍では すばしこい小型動物を捕らえるのが難しくなった 投げ槍を工夫して、有茎尖頭器を付けた狩猟具を用いるようになった それでも狩猟は困難だった。 食料

          旧石器時代の後期から、新石器時代の始まりまで

          農耕の始まりについて

          縄文時代の農耕の始まりについて考えて見た 弓の弦の材料開発から始めて 早期初め頃には釣り糸が開発でき、釣針があることから、 魚釣りによる漁が始まった ここまでの生業のために使用する材料入手は、列島何処でも比較的入手しやすく、その生業は広く広がったものでは無いか その後魚網の漁も始まったが 網を作るための材料入手には その材料となる植物なり動物がこれまでとは違い、大量に手に入れることが必要だった その材料開発には長い時間の増産するための開発努力が必要だったはず 羽状縄文土器が

          農耕の始まりについて

          土器の起源

          土器が初めから煮炊きに使うことを前提して造られたこと、 また使えるようなものが初めから簡単に作られたとは考えにくい。 煮炊きに使用できる容器を作るには、粘土採取から始めて、加工法など 何段階かの開発努力が必要だったと考える。 初めから鍋として利用できる様なものが簡単に作れたとは考えにくい。 この試行錯誤の過程が見えないと難しいのではないか。 縄文時代とは何か 土器が造られるようになり 土器の特性を生かして 記録が遺されるようになった 土器の初めは、細かいマメ類の種を 採集

          縄文時代の石ころはソロバン

          縄文時代の石ころはソロバンではないのだろうか 遺跡発掘で様々な石ころが見付かっているもののその用途は不明。 図 石ころ 図 土版 これから石ころのソロバンが想定できる この図形は石ころの並びを土版に描いたものだろうと思う 図 裏側 この裏側では計算方法も示しているようにも見える 石ころを三個列にする それを3行列べれば、9こ 手の指の数より 1個少ない 同じようにして 4個を一列として、4行列べれば 16個 5個の列を5行列べて 25個 そして 9+16個から 25個

          縄文時代の石ころはソロバン

          360度と24時間の起源

          360度と24時間の起源 一年  360日 一周  360度 二至  180日   180度 月の周期は  30日 上弦と下弦  15日 半年は半周   180日 月の朔望    15日周期 月は15日で空を渡る 180度/15日   12 頭上の月の変化は 12時間 一周    360 一年    12月 月の朔望    15日周期 360/15   24時間 このようにして 360度と 24時間は開発されたのではないか この開発記録が遺されているのは縄文土器の時代

          360度と24時間の起源

          360度と24時間の起源

          360度と24時間の起源 については、古代文明の研究の中でも、これまでの所明確な結論は出されていないようだ。 縄文時代早期に定住が安定するとともに、 日の出位置はそれまでの冬至と夏至のように 止まるもので無いことが直ぐ知られたことだろう。 それは朝一番に住居の入り口から差し込む日の光からであり、 毎日少しずつ方向が変わることは、不思議だったのではないか。 毎年同じように移動することを見て、またそれは季節と共に変わることを知り 興味を持ったものでは無いか。 そのような移動する

          360度と24時間の起源

          天文観測遺跡と縄文尺に関して

          1. タブレットには 3,5,4 の直角三角形 ピタゴラスの定理が示されている このように三内丸山遺跡などでは、建物の尺度は 35㎝という縄文尺と呼ばれるものが存在したと推測されている。 2. 35㎝を基準尺として、基準三角形のそれぞれの辺の長さは、次のように計算できる。 3  105㎝ 5  175 4  140 となる 樋口の金山巨石遺跡の天文観測装置の測定結果に依れば 各辺は測定結果    各辺との比を計算すると    4.20meter        4    

          天文観測遺跡と縄文尺に関して