太宰治「走れメロス」
言わずとしれた名作、「走れメロス」。
いまさらメロスに何を書くべきか悩む。
旅館に金が払えなくて、檀一雄を人質に、金をとってくると言ったまま帰ってこない太宰。壇が色々やって、井伏さんとこに来たら、囲碁を打っていて、おい!みたいなふうに壇が言ったら「待たせる身と待たされる身、どっちが辛いかね」とか言ったみたいなエピソードなんて耳タコだよね、という風情。
昔(体感的には最近)、前田塁もとい市川真人がなんか新書で走れメロスのことを書いていたっけな、と検索したらnoterの潮田クロさんが、全て書かれていて、もう俺が書くことないなと思った次第。
*
昔、下校中に、インチキおもちゃを路上で売っていた万城目みたいなオッサンの口上を聞いていて、帰りが遅くなった。若干暗くなりつつある中で、どうも腸が痙攣している。まずいな、と私は、緊張した。
腸の内容物が出たいと主張する時の胃痛。それで人は、カッと覚醒する。弱い頭を振り絞って、これは家に帰り着くまで間に合うだけの胃痛なのかどうか、考える。
間に合わないと間に合わせる。二つの感情がせめぎ合う。
間に合わない、ならば、どうするか。大人になった今、常にそれが第一議題となる。
電車の中のトイレは汚い。そして落ち着かない。だから、次の駅で降りる。しかし、そこは空いているだろうか、紙はあるだろうか、次への乗り継ぎはうまくいくだろうか。あらゆる判断を瞬時に行う能力を覚醒させるのが、あの胃痛である。
私は三年にわたる受験生活で、あらゆる駅前の無料トイレのデータをインプットした。あそこで腹が痛くなったら、ココ。ここは紙もふんだんにあるし、何より綺麗だ。人もそんなに多くない。まだコンビニがトイレを貸すのを躊躇っていた時代。
だが、そうなるにはいくつかの試練を乗り越えてこなければならなかった。
小学生の私は思った。
「間に合わせる」。
走れ!俺!
と、二、三歩踏み出した時に悟った。
コップに水を入れて表面張力でかろうじてこぼれない様になっている風景。
急がば回れ。
急がば歩け。
意味的におかしい気もしたけれども、私は、こぼさないように歩くことを選択した。
波は引いた。
腹の痛みをグラフにすると、
こんな感じ?
どうでもいいね。
ここで稼げ!
走れ!俺!
走り出したら、野良犬が追ってきた。
1981年。
すでに埼玉県民になっていた俺は、その辺の草を食っていた。
野良犬もまだ、いた時代。狂犬病とかよくわかってなかったので、そこまで慌てなかったが、でも走ると追い抜いて前に回ってくる、痩せた犬は怖かった。
また歩くことにした。
第二波。
動けない。
波が少しおさまったところでそろそろと歩き出す。
牛歩戦術。
大きな道を渡る。
後半分だ。
近道するぞ。
なぜ通学路は、若干遠目に設定されているのか。
永遠の謎である。
でも俺はお構いなしに右折した。
長い下り坂。
しまった!歩くたびに体重のかけ方が悪いのか、揺れる。
揺れて溢れる。
第三波。
俺が昔間に合わなくて致した畑は駐車場に代わっていた。
母親の胎内のように温かく迎えてくれる大きな蕗の葉っぱはもう無い。
あるのは砂利と紐で作られた境界線。
後年思うのは、資本主義って、無慈悲だなということ。
けれど、第三波を乗り切った俺は、家の階段をゆっくり登る。
低い土地に建てられた建売。水が出てもいいように土台を高く作っている。谷間の土地に住むことの悲しさ。
長い坂を下って、わざわざ階段を登る。
第四波の予兆。
鍵っ子である。ランドセルから鍵を絞り出さなくてはいけない。
ロス。
開ける。
我が家は風水的に良く無い玄関からの直線状に扉がある。だから母はわざとそこにタンスを置いた。曲がらなくては。
扉。
開ける。
「間に合わせた」。
最後のトラップ。
安堵感とズボンを脱ぐという動作。
もたつく。
はやる。
アッ。。。
*
帰ってきた母は、裸の私を見るなり、
「アンタ、寒いんだから、服でも着なさいよ!裸で何やってんの!」
と、布を差し出した。
すでに、完全犯罪は成立していた。
「えへへ」
と俺は笑った。
*
尾籠な話ですみません。
「走れメロス」は俺にいつもこのエピソードを思い起こさせる。
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