『ドライブイン探訪』についての感想

『ドライブイン探訪』という本がある。著者の橋本倫史さんは、1982年生まれ。私より、8歳くらい年下。だとすると、この本の主題となっている「ドライブイン」に心底懐かしさを感じる世代に属してはいないと思う。

だからこそ、なのだろう。

「ドライブイン」があった時代を探して、平成年間にしぶとく生き残っていたドライブインを訪ね歩いた記録が本書に書かれている。

それまで僕はドライブインに立ち寄ったことがなかった。僕が生まれた頃にはもうファミリーレストランやマクドナルドが田舎町にまで浸透しつつあった。休日に家族でドライブに出かけるとすれば、途中に立ち寄宇るのはファミリーレストランやマクドナルドで、ドライブインに入店したことは一度もなく、その存在を意識したこともなかった。

1974年生まれの私も、ドライブインに馴染みがあるとは言い難い。

記憶も定かではない頃、アメリカンダイナー風のドライブインが家の近くにあり、親は働きに出ていたので、夜遅くなってしまうと、そこで食事をせざるを得なかったことを思い出す。

行きつけの中華料理屋は9時過ぎにしまってしまうから、11時くらいになったときに、そこに行ったのかもしれない。ジュークボックスとかカラオケのようなものが置いてあり、ネオンの色が、なんとなく子どもが起きていてはいけない時間=世界のイメージを醸し出していた。そこでは、コーンポタージュを飲むのが恒例で、スープに少量浮いている「クルトン」なる食べ物がうまい、と感じたことを思い出す。

この本のユニークな点は、徹頭徹尾、「平成の目」から昭和遺産としての「ドライブイン」を眺めていることだ。昭和末期にギリギリ成り立っていた「ドライブイン」が、徐々に存在しえなくなっていく時代の相を、丹念な聞き取りを通じて、明らかにしている。

すなわち、「昭和が溶解していく時代」が「平成」なのであるとするなら、その「溶解」の諸要因が示されている。

だからこそ、本書は優れた《平成論》として読めるのである。

例えば、平成は、災害の時代だったと言われる。阪神淡路大震災、中越沖地震、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震、洪水、噴火…枚挙にいとまがない。私が、ふもとで遭遇した、木曽の御嶽山の噴火(2014)も、平成年間のことである。

それほどまでに「自然災害」が日常化した30年間だった。

平成的「災害」と昭和的なるもの

この本で紹介されている阿蘇町の「やまなみハイウェイ」にあった「城山ドライブイン」。

「城山ドライブイン」は小さい店ながらも大繁盛だった。その賑わいを示すこんなエピソードがある。「一九六六年だったかな、天皇陛下が阿蘇に来られるということになったんですよ。天皇陛下をお迎えするには休憩する場所が必要になりますよね。でも、県や町にはお金がないもんですから、『お前のところで展望台を作ってくれ』と言われたそうなんです。当時はかなり売り上げがあったもんですから、うちがお金を出して展望台を建てたんです。」

1960年以降、エネルギー革命が起こり、自動車時代になって、国内旅行ブームが本格化した。「ディスカバージャパン」なる国土の再発見ブームが、1970年代に沸騰し、若者たちがこぞって、日本国内を旅行した。ファッション誌における「アンノン族」なる言葉も、1970年代前半のことである。確かに、当時の『an・an』『non-no』を見ると、ファッションスタイルだけではなく、旅行に関する記事も多い。

藤村文学のふるさと 信州追憶の旅 1978年までこんな特集やってた

「城山ドライブイン」は、しかし、2016年4月14日の地震の影響によって、基礎が傾いてしまったという。その原因は、2012年の九州北部の豪雨。昭和の建築が、老朽化していくなかで、平成の災害がとどめを指した。

店舗をリニューアルできる予算はなく、古い外観のままなんとか続けていたが、災害によって、深刻なダメージをくって、廃業に追い込まれた代表的なケースだ。

これが、平成の光景でもある。

平成とは人々にとって、このように、昨日の風景が唐突に変容してしまうことに慣らされ続けた時代だったと言っていい。

災害だけにとどまらない。リストラ、暴力、人間関係など、様々な関係の持続が急に断ち切られてしまうことが日常になり、それらを昭和的な社会福祉によって包摂することは不可能になってくる。

その結果、利益の再分配ではなく、痛みの再分配が横行する。「痛み分け」という言葉が、しばしば、交渉の場に踊る。

均質化の功罪

『脱ファスト風土宣言 商店街を救え!』を書いた三浦展氏によって、一時期「ファスト風土」化という言葉が流行した。

この「ファスト風土」化や、いわゆる「郊外化」としてのロードサイドの均質な風景が注目されたのも平成年間である。

しかし、それ以前のロードサイドとは、どういうものだったか。それが、この「ドライブイン」や自動販売機(オートドライブイン)の風景ではあるまいか。職業的なドライバーが優位だった昭和。仕事で入るから、外観や居心地などは気にしない。

確かに、かつて(幼いころの)私たちが利用していた国道には、均質に設計されたファミリーレストランではなく、思い思いに考えられたレストラン的なるもの(あまりに幼稚なものも確かにあった)が立ち並んでいたように記憶される。

ロッジ風の建物に「ハンバーグ」と印字された洋食屋を覚えている(埼玉)。

蔵を改造して、チーズハンバーグを食わせる洋食屋を知っている(安曇野市)。

これまた大量のパスタやらオムライスやらで有名な洋食屋を知っている(岩手町)。

それが、ファミリーレストラン的形態の店舗の増殖によって、画一化され、淘汰されていったのも、平成の出来事だった。

しかしながら、私にとって、初期のファミリーレストランは、実のところ多様性の象徴だった。

80年代、私の周りには「ふぁみ~る」(買収されデニーズへ)というファミレスがあったし、「ウッドペッカー」(→ふぁみ~るの前身だったか?)というファミレスもあった。「まつくら」という近所の大地主が税金対策でやっていたファミレスもあった(付け合わせが、あのニンジンのグラッセではなく、ナスや季節野菜をグリルしたもので大変に気に入っていた)、それらが「すかいらーく」や「デニーズ」や「ガスト」へと変わったのは、平成年間に入ってからだったと思う。

昭和のファミレス模索期には、ファミリーレストランの形態をとった、妙な洋食屋が多数あったことを覚えている。

平成年間は、ファミレス的形態が最適化していった時代だといえる。

カレーハウスの「ココイチ」もまた、いわゆる郊外的な店舗の一つなのかもしれない。そんな「ココイチ」は沖縄の米兵に人気だという。

「CoCo壱番屋」(北谷国体道路店)は嘉手納基地の近くにある。しかし、当初は米兵をターゲットにしていたわけではなく、アメリカの客は三割程度だった。変化の兆しが生じたのは、英字のチラシを作成し、常連客の米兵に渡したことだという。彼らは「CoCo壱番屋」を「CoCo's」と呼び、赴任するとまず「もう『CoCo's』には行ったか?」と聞かれるほど人気となった。

このエピソードは、本書の主題とは逸れるものだが、しかし、平成年間のエピソードとしてふさわしいような気がして引用した。

要するに、濃密な地域社会からの離脱を解放ととらえる層と、新たに地域社会に参入してきた層が、匿名化された空間に「くつろぎ」を感じていたのではないか、ということだ。

顔が知られている食事処には行きたくないから誰もが回りをあまり気にしないレストランにいくし、なじんでいない土地で自分を迎えてくれるのは皆に開かれたレストランしかない、ということ。

平成はまた米軍基地をめぐって問題が噴出した時代でもある。被害にあった人々にとっては、米軍基地は望ましくないものではある。しかしながら、米兵もまた隣人としての他者である。様々な他者との共存の可能性を模索してきた平成年間の姿を示しているともいえないだろうか。

7年前、幸手市や杉戸町という埼玉県東北部の地味な街に散歩に出かけた。

散歩の理由は、子どもが「コラショ」なるキャラクターの映画が見たいというので、上映している映画館を探して、たどり着いたのが幸手のショッピングモールだった。杉戸は、農産物直売所によるために、通り過ぎただけ。

うらぶれたショッピングモールだった。そしたら、なぜか、バザーのようなフリーマーケットのような、よくわからない催しをやっていた。

いわゆる平成前期的な小さめなショッピングモールの通路の「中」で、思い思いに出店している「緩さ」に出会った。

各店舗には、なんだかよくわからないCDや日用品が格安で売られており、しかも、意外に繁盛している。ダイソーやら西松屋やらの前で、営業妨害的に出店が並んでいたのである。

そこには、結構多彩な人々がいた。具体的に書くと語弊が生じるので、察していただきたいが、老若男女、国籍、貧富の差が悪い意味ではなく、共にあった。

これもまた、平成的なる風景であって、一概に、モール化や郊外化が、理想からの頽落とばかりは言えないのではないか、という思いにとらわれた。すなわち昭和的なものからはじかれた人々のアジールともなっていたのではないか。

ドライブイン、ファミレス…ロードサイドを彩る建物やコンテンツには確かに変遷はある。

外観は画一的になったのが平成だとも言えるが、利用の形態は本当に画一化と言えるのだろうか。

例えば、濃密な人間関係が障壁となっているローカルな飲食店に入りにくいだろう外国人、独身者たちに優しかったのが、ファミレスだったのではないだろうか。

「郊外化」といわれる風景に、そんな「優しさ」を見いだすのは間違っているだろうか。

名著としての『ドライブイン探訪』

いずれにしても、橋本倫史さんの『ドライブイン探訪』は名著である。

昭和的なるものが、平成の何に突き当たって、溶解していかざるを得なかったのかを知ることができる。

そして、鼻につくメモリーや腐臭を放つノスタルジーがない。

この本は、次代に残しておくべきものである。

「出来事ねえ。何だろう。やっぱり、二〇一一年の地震かしらね。あの日も店は営業していて、地震が起きたときはお客さんもいました。窓から海の様子を眺めたら、潮がね、ものすごく引いたんですよ。見たこともないような岩がぼこぼこ出てきて、こんなところにこんな岩があったのかしらと思いましたね。あそこにずーっと堤防があるでしょ、あの先端まで潮が引いたんです。私がまだ学校だった頃かしら、チリの津波のときにもものすごく潮が引いたんです。でも、それよりもっと引いたからね。『波が返ってきたらどうしよう』と心配してたんですけど、あんまり返ってこなくてね。被害はなかったんたんですけど、それが一番印象的かしらね」

南房総市で「なぎさドライブイン」を経営している女性の記憶である。

一つ一つの言葉が、重みをもって書かれている。

良い本だ。

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