太宰治『二十世紀旗手』を読み終わって

なんといいますか、いやあ、太宰の実験、結構大変ですなあ、という感じ。読み終わるのに、時間かかっちゃったよー。選ばれてあることの不安と恍惚、というヴェルレーヌの句、これは「二十世紀旗手」の「不安と恍惚」でもあり、もがいてみて、こういうのは出来上がりました!みたいな調子になっている。

逆に、次、何読んだらいいのか、となってしまった。可能性としては『新樹の言葉』。もう一つは『走れメロス』。もう『走れメロス』?という感じだけど、勝手に推測すると、新潮が文庫で太宰を出す時に、みんなが知ってる『走れメロス』につながる中期の代表作を集めようとして、「富嶽百景」、「駆け込み訴え」、「女生徒」、「東京百景」そして、前期の代表作として「ダス・ゲマイネ」を入れたのかしらという感じ。

その間に点在する渋めの短編についてはのちに、『新樹の言葉』として一冊中期の代表的な作品集として編んだ、って感じなのかしらん。

「ダス・ゲマイネ」の中には、主人公・佐野次郎に「走れ、電車。走れ、佐野次郎、走れ、電車。走れ、佐野次郎。」っていうちょっとユーモラスだけど、結果は悲惨な、部分があって、それが走れメロスで部分的にリサイクルされてるから、前期だけど所収したのかしら。ちょっとだけ、中期に連なる愉快な太宰が顔をだしているものね。

でも、もう前期は正直お腹いっぱいだなあ。全部が全部やっぱり面白いとは言い切れない。興味深いが面白いかというとどうなんだろうか、少なくとも俺は…、みたいな感じですかね。

中期の作品、『走れメロス』巻末の年表で、どこに所収されているのかメモっていったら、雰囲気的に、『走れメロス』と『きりぎりす』に主要のものが入っていて、残りが『新樹の言葉』に入ってるという感じだった。というわけで、中期の背骨は『走れメロス』なんだろう、ということで、次は『走れメロス』を読むつもり。


書き込みするのを嫌がる人もおりますよね

ただ、となると、トップバッターは「ダス・ゲマイネ」。これ、最初読んで、かなり挫折。みごとに挫折。結構、面倒くさい小説なんだよね。

以前とりあげた安藤宏先生の『太宰治論』。あの大著の中で、実は、あの中期の太宰が具合悪い時期については、あんまり取り上げられてないんだよね。安藤先生が、あんまりあの時期評価してなくて、どっちかっていうと、『晩年』周辺の時期の短編を評価しているのだろう。例外的に、初期から中期への橋渡しの時期として『二十世紀旗手』が取り上げられて、単行本の中に所収された「ダス・ゲマイネ」だけを論じているんだよね。

奥野健男は、どっちかっていうと、太宰の人間をよく知っているから、断片や叫びの中に、含まれている本当のことを抜き出して、そこに罪の意識や、裏切りのやましさのようなものを例証しようとする。奥野健男にとっては、この時期は、太宰の心の深層を掘るうえで、重要な史料っぽいんだよね。このへん、やっぱりアプローチの違いで、その作品の重要度が変わるっていう、証拠だよね。

絶対『きりぎりす』持っているはずなのに、見つからないので、新しく買いました。これで、文庫全部そろった。あ、『人間失格』だけないか。これも絶対持ってるはずなんだよなー。あまりに有名なやつなので、どっかにいってると思うんだけど。

ちなみに、『走れメロス』『新樹の言葉』『きりぎりす』の中で、気になるのは新の「火の鳥」。手塚の『火の鳥』読んでないけど、内容はなんとなく理解しているので、それとこれ。なんか、やっぱりタイトル、うまいよね。「火の鳥」は長編にしようとして途絶したやつです。

少し、気分が上がってきたな。いやー、『二十世紀旗手』鬱だったなあー。今、晴れやか。バイビー。

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