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モロッコحمام(ハマム)旅 導入編

サウナ比較文化学旅シリーズ第4弾では、2019年5月の現地フィールドワークをもとに、数あるイスラム国の中でも独自の庶民スタイルを今日まで受け継ぐ北アフリカのモロッコ王国ハマム文化(モロッカン・ハマム)の独自性についてご紹介します。

ハマム(hammam/アラビア語حمام)と言えば、「Turkish bath(トルコ風呂)」の別称でも世界的に認知されているように、トルコが本場だと思いこんでいる人は多いようです。ですが本来ハマムは、7世紀に勃興したイスラム教を国教とする国々で励行されていた、蒸気浴ベースの公衆浴場のこと。
なかでも「トルコ式」がハマムの代名詞として広まったのは、19世紀のヴィクトリア朝時代に、リラクゼーション施設の形態としてトルコから大英帝国や欧米各国に波及したことに起因するようです。けれど、トルコ以外のさまざまなイスラム教国でも、ハマム文化は今日まで受け継がれています。

ただ今日では必ずしもイスラム教徒たちが熱心に通う場というわけではないようで、市民のハマム離れは本場トルコでも着実に進んでいます(その一方で、観光客を対象にしたラグジュアリーなリラクゼーション施設としてのハマムは依然人気ですが)。そんな中、今でもモロッコの人々にとってはハマムが身近な存在で、男女とも定期的にご近所のハマムに通う習慣が残っているらしい…という話を耳にしたのです。

はじめにそのことを教えてくれたのは、大学の元同期で、10年近くフィンランドの現存最古の公衆サウナ(Rajaportin sauna)の希少な火入れ師を務める友人イルマリ。彼は大学でアラビア語の授業を取っていて少し喋れたので、卒業後しばらく、なんと飛び込みでモロッコの公衆ハマムの火入れ修行に行っていたらしい…!

無灯のサハラ砂漠に身一つで寝そべって夜を明かし、砂山の上でご来光を待つというレア体験も

イルマリいわく、広大なイスラム世界の端々では、一口にハマムと言ってもその形態や様式にはやはり地域差があり、特にモロッコには「モロッカン・ハマム Moroccan Hammam」とジャンル分けできるほど独自性の強い流儀が息づいているのだそうです。
私自身、当時まだ「ハマム」というジャンルの王道トルコ風呂にも精通していない身でしたが、彼の体験談を聞くうち俄然モロッコ流ハマムに興味が湧いてきたので(あと入浴とは無縁だけど本場の砂漠に一度行ってみたかったというのもあり笑)、次なる目的地に設定しました。

初回はいつも通り導入編として、モロッコの基本情報や、旅人目線での率直な感想・推しポイントをまとめます。


スペインから船でたった1時間、アラブの混沌と欧州の異国情緒の交差点

アフリカ大陸のイスラム国とはいえ、地理的・歴史的要因からかなり欧州の影響も受けている

アフリカ北西部に位置するモロッコは、西の長い海岸線が大西洋に面しており、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を分かつジブラルタル海峡を挟んで、対岸のスペインとはわずか14kmしか離れていません。両国間はもちろんフライトも頻繁にありますし、フェリーを使えばたった1時間で行き来が可能
私自身は、フィンランドからまずポルトガル首都のリスボンに飛び、(しばし欧州屈指のシーフード料理を満喫してから)中部の主要都市マラケシュへと乗り継ぎました。

マラケシュの巨大スーク(市場)はヨーロッパにはないカオスと活気に満ちている
なぜかヒッピー志向の若者も多い、大西洋岸の港湾都市エッサウィラの漁港

そんな地理的要因に加えて、1956年の独立まではフランス領(一部スペイン領)だったこともあり、特に沿岸部の街には欧州の影響を感じさせる異国情緒豊かな街並みや文化も多く残っています。でもやはり風土のベースにあるのは、アラブ国らしい活気と混沌さ。スークと呼ばれる迷路のような巨大市場には、観光者向けの民芸店から地元民御用達の食材・日用品店までがぎゅうぎゅうにひしめきます。
聞こえてくる言語も実に多様。西アジアや北アフリカなどアラブ世界の主要言語であるアラビア語ベルベル語が公用語ですが、フランス語スペイン語もよく通じるようでした。ただ街なかの看板表記は、学習者以外にはまったくお手上げのアラブ文字ばかりなので覚悟してください(笑)

ラマダン中に突然時差が変わる(のに市民は開始日に無頓着…!)

民泊させてもらってたお宅でも、ラマダン中とは言え日没後にはもりもりご飯を食べていた

私がモロッコを訪れた5月はじめが、どうやらちょうどラマダンの開始時期に被るらしいとは聞いていたのですが(※毎年かなり変動します)、到着してからホストファミリーなどに尋ねてみても、何日から始まるのか、誰も正確に把握していなかったのに衝撃を受けました。だってそもそも、モロッコのラマダン期間は時差だって1時間変更されるんですよ !?
その開始日を事前にきちんとわかっていないと、街や空港が混乱しそうなものですが、みんな「始まってから対応すればいいんだよ」と謎のゆとりの構え(笑)このあやふやさ加減にハラハラしてしまうのは旅人だけなんでしょうか…。

実際、ラマダンは突然に始まりました(前夜に「どうやら明日からみたい」とホストが教えてくれました)。期間中は断食どころか水も飲んではいけないらしく、そうなると日中のハマムからも一気に客が消えてしまって、それでもなぜか営業はしているので無人のハマムをほぼ貸切状態で利用するはめに…。

まったく人気のなかったラマダン期間中のハマムの更衣室

ただし、日没後の飲食は問題ないので、初日なんかは、モスクからのアザーンが本日のラマダン終了〜を告げた途端、どこの家庭からも、まるでサッカーW杯で自国が得点をあげた瞬間のように歓声が沸き立っていた!みんな正直!!
そして夕食は、通常のご飯以上にたっぷり贅沢に用意。「ラマダン期間中って、むしろ毎回太っちゃうんだよね〜」なんてホストはぼやいておりました(笑)

街ごとに建造物のテーマカラーがある!?

海辺の街は、白が基調でマリンブルのドアが良いアクセントに
マラケシュ市街の建物はどこもかしこも見事に赤土色一色
どこを切り取っても写真映えする「青の街」として観光客に人気のシャウエン

モロッコの主要行政区は建造物に塗る塗料の色を統一させているそうで、街全体が同一カラーに塗られた都市をいくつも見ました。景観的に統一感があって写真映えもするし、街に象徴色があるというのは愛着も助長しそう。

少し埃っぽい乾いた風土とマッチする、赤土色の建物ばかりが並んだマラケシュから旅をスタートさせ、国内をあちこち周遊して最後にまたこの赤土色の街並みのなかに戻ってきたとき、「帰ってきたな〜」という安堵感もいっそう強まりました。

ハマムだけでなく、アフリカ大陸らしいワイルドアクティビティも満喫!

北アフリカにまたがるサハラ砂漠の総面積は、なんと日本の国土の24倍以上だそう…!

国土の南端はかのサハラ砂漠にかかっており、メルズガという街を拠点にさまざまな砂漠ツアーが催行されています。私が参加したのは、メルズガのオアシスから90分ほどラクダの隊列に揺られて砂漠の真ん中のキャラバンに連れて行ってもらい、明日また迎えに来るからこのあたりで各々野宿を楽しんでね〜とそこで一夜置き去りにされる、なかなかの放任ツアーでした(笑)

きつい日差しの中でもわたし私たちを乗せて休みなく歩き続けてくれる健気なラクダたち。
ただし背中は岩のようにゴツゴツしてて、乗り心地は決して良くはない…
無事に夜が明け、柔らかい朝日が果てのない砂漠を赤く染めてゆく瞬間

一応最低限の寝床はあるのですが、5月は夜間の気候もちょうどよい涼しさだったので、私含め参加者の多くは、砂漠の斜面に寝そべって眠りにつきました。砂漠の砂って、留まっていたら延々と飲みこまれていくイメージがありましたが、寝転ぶと適度に体が沈んだところでぴたっと止まり、まるで低反発ベッドに寝そべっているような心地よいフィット感なのです!
無灯の砂漠に寝そべって仰ぎ見る満点の星空の美しさは、言わずもがな。ちゃんと翌朝の迎えは来るんだろうか…とちょっぴり心細い夜が明け、小高い砂山に登って地平線から朝日が登ってくるのを拝んだときの、まばゆい感動も忘れられません。

次回予告。

モロッカンハマム編の初回記事では、ごみごみした街なかでの「ハマムの見つけ方」をご紹介。その本来の意味合いだったり、膨大な熱源を必要とする特性から、「ハマムは●●のそばを探すと見つかりやすい」という法則を発見したので、伝授いたします!

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