短編小説Vol.12「桜が具えた美徳を君に見る」
慎吾に衝撃的な一報を届いた。
そして、それを聞いた瞬間に慎吾の心は修復不可能なまでに切り裂かれた。
内容は、慎吾が半年前まで交際していた女性が病院で亡くなったと言うものだった。
原因は、出産による大量出血。
加えて、流産という事だった。
お互いまだ学生で育てる力がないから、中絶して欲しいと慎吾は頼んだ。
が、彼女はそれを頑なに拒んだ。
そして、慎吾が新しい命を歓迎しないなら、1人で育てると主張した。
それでも慎吾は折れなかった。
結局2人の関係は、愛が結実したことが原因で終わってしまった。
その一報を聞いてから、慎吾の目の前から色という色が全て消えた。
目に見えるもの全てが、無機質なものに見え、自分の命までもがそう見えた。
夜になり、気持ちはさらに落ち込んだ。
死というものが身近に感じられ、それを引き起こすことがいかに容易なものであったか。
と、恐怖を覚えた。
夜がふけるに連れて、心はさらに錯乱した。
錯乱の速度はどんどん加速し、自身の存在に嫌悪しか感じなくなった。
もうこの人生に希望を持てなくなった慎吾は、思い出の港へと足を向けた。
道中ですれ違た人は、号泣しながら小走りで走る青年を訝しげに見る。
5分程走ると、目的地へと着いた。
港はまだ空いていない。
フェンスを超えて、侵入した。
そして、船倉庫のガラス窓を素手で粉砕した。
手から血が滴り落ちる。
だが、慎吾はそのことには気づかなかった。
いや、そんなことはどうでも良くて気づけなかった。
そこから中に入り、自分の愛船を見つけた。
シャッターを内側から開けて、船を出して、海に浮かべた。
船のエンジンをかける。
そして、勢いよく発進した。
港の防波堤を通り過ぎて、沖へと進む。
10分程船を走らせた。
辺りには漁船など何もいない。
その事を慎吾は入念に確認した。
そして、錘に紐を通す。
その紐を、足首にきつく締めた。
解けないように硬く硬く。
錘を水面下につける。
なんの迷いもない。
そして、手を離した。
慎吾の体は勢いよく海に飲み込まれた。
海中で、好きだった人の名前を思いっきり叫ぶ。
体から空気が抜ける。
落ちるスピードはさらに増す。
数秒前までいた世界は、頭上の遥か上に見える。
もう戻れない世界が遠退いて行くのが見えた。
やっと君に会える。
それが確信に変わった瞬間、体が上昇を始めた。
錘だけが下に落ちて行くのが見える。
慎吾は懸命に下に行こうするが、体が浮いていく。
そして、顔が海面に出た。
もう一度行こうと船に戻って、錘を探したがない。
2つ持ってきたはずだったが、どうしても見つからない。
慎吾は、死ぬことすら出来なかった。
その事に、ただ落胆するしかなかった。
眩しい。
慎吾が目の前見ると、水平線から太陽が顔を出した。
もう見ることがないと思っていたそれは、いつもの何倍も美しく感じられた。
その瞬間、慎吾はあの人が助けてくれたのだと確信した。
「まだ死んだらダメ!生きて!」
そう言ってくれている気がした。
裏切った人を許して、散っていった彼女はただ儚く、美しい。
慎吾はそう思った。
彼女の名前は、櫻子。
名に相応しい人だった。
慎吾はそのことに、ただ項垂れるしかなかった。
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