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ボードゲーム考察:インタラクションが必要なのではない、インタラクション感が必要なのだ!

こんばんは
Sunnyです。

2か月ぶりですね。なんかバタバタして更新できておらず。
そろそろ落ち着いてきたので、もろもろ更新再開していこうかなと思っております。


さて、標題の件について考えていきます。


「インタラクションが必要なのではない、インタラクション感が必要なのだ!」

先日このようなnoteを見て、ふむふむと腑に落ちたのです。

(中略)やはり、ボードゲームのメインストリームは「駆け引き」によるインタラクションから離れて、マジック・サークルの構築の方へと舵を切ったということなのかもしれません。その結果、ストーリー性の導入など、「駆け引き」とは別の楽しさを求めて新たな地平線へと向かいつつあるのが今のボードゲームシーンということです。

これが2019年の記事ですから、今と少し様相は違うかとは思います。ただ、現状と大きなずれはなく、むしろこの方向性が確固たるものへ移行していると考えられます。

この方向性というのは、つまり

対人へのインタラクションが減っている

ということです。で、それがなぜかというのを考えていきます。(下記で書いているインタラクションは全て「対人へのインタラクション」であり、「対システムとのインタラクション」は指していません)

長くなるので順番に書いていきます。


ボードゲーム業界の直近の流行り

色んな記事を読んでいく中で感じているのは、ボードゲーム業界の発展に伴うより面白いゲームへの探求がより鮮明になってきているということです。

これは、近代ボードゲームが生まれて毎年毎月面白いゲームが出ていく中で、ユーザーがもっともっと!と面白さを求めている状態で、ある種の飽和が起きているのではないかと思っています。
少なくとも日本の同人ボードゲーム業界においては、ガワを変えた同じゲームなどがたくさん出ていたり、という一部のジャンルにおいては飽和が起こっています。

たくさんの作品数が生まれて、様々な作品に触れたユーザーの目が肥えることで、面白さに対するハードルが年々高くなっているように思います。

じゃあ、そんな中でボードゲームデザイナーがどういうことを考えていくかというと、シンプルではなく真似がしづらいゲームを作る、ということだと思います。
飽和していく中で、その個性を出していくために、他との差別化をより図っていくという路線です。

ここで数奇ゲームズさんが書いているのは

モダンユーロの文脈、その進化は、プレイヤーからの2つの要求・命題に沿って発展してきたと言えます。すなわち「より複雑なゲームを」という要求と「より遊びやすいゲームを」という要求です。
(中略)
前者の「より複雑なゲームを」という命題は、特に2010年の「Vinhos」辺りから芽生え、昨今、特に顕著に目にするようになったヘビィなモダンユーロの文脈です。この手のゲームの特徴は「手番数が少なく」「1手番辺りの処理量が多い」というもので、1アクションの実行に対して3つ4つといった手続きを持つことが挙げられます。1つあたりのアクションの処理に要する時間が増えるため、プレイ時間のバランスを取るために手番数自体は抑え気味になり、かつ今度は手番数を抑えるために1手に処理を詰め込む必要がある……という鶏と卵のような関係があります。

大きい潮流として複雑なゲームを求めていると。これは、モダンユーロというボードゲームの潮流ではおそらく一番太い流れだと思いますので、ボードゲーム全体に言えることだと思います。


複雑なゲームが生まれ、求められている理由

じゃあ、その新しいゲームが複雑になっている、そしてそれを求めているのはなぜなんだろう。

ニカイドウレンジさんがこのように書いていて(他にもツリーで色々書いておりますのでご確認くださいませ)、こちらも腑に落ちました。

つまり、複雑なゲームは、パラメータの多さやアクションの多さ、それに伴う処理量の多さ、それこそが「高度なゲームなんだ」というワクワク感を与えると。

これはシンプルな要素が少ないゲームが面白くない、というわけでは勿論ないのですが、シンプルであるがゆえに、自分の理解度ややりこみ度への余白が少ないのではと考えられます。
5回やったらそのゲームの必勝法がわかってしまい、何度も同じ結果になってしまう。これだとアソビとしての楽しみは損なわれてしまいます。

だから、やりこみ度を与えるとして「複雑さが必要」

そういう意味では、理不尽な負けや接戦での負け、というのが一つのゲームのスパイスになり得る。そういう、ゲームをやるたびに起こるドラマ性が非常に大事なんだろうと。



複雑さが増える=インタラクションが減る?

ここまでが前振りです。

面白さを求める動きの活発化
⇒複雑なゲームへの期待の向上

という話をしてきました。じゃあ、翻ってこれが最初に書いた「最近のボードゲームはインタラクションが減ってきている」という指摘に対して、どうつながるのか。

複雑なゲームが増えていって、それをユーザーが遊び、複雑な工程を踏んだ結果、それが他人のインタラクションによって無に帰った場合

この場合、ユーザーは何一つとして気持ちよくないですよね。ココだと思います。

「複雑な工程を踏んで処理を考えていくのが面白い」のであれば、その結果には非常に実時間がかかります。
これを他人の悪意(もしくは偶然)によって、スタートに戻された場合、ユーザーは何もできない。結果として、ユーザーはゲームから離れてしまう。

これがインタラクションが減っている理由なんじゃないかと考えてます。

すごろくや人生ゲームでスタート地点に戻るが許されてるのは、「実時間が短い」からであって、複雑なゲームを行う3時間以上かけてスタート地点に戻ったら、楽しくはないですよね。

これってつまるところ、複雑なゲームを求めている人は「インタラクションを求めていない」というのが本質なんじゃないかと思っています(本人は「インタラクションを求めている」と思っているかもしれません)


ただ、一番最初に引用しているように、インタラクションが無くなると

「もうこれコンピューターでやった方が良くない?」

という指摘もされてしまうので、必要なのは実のインタラクションではなく、インタラクションをしていると感じられることだと思います。

邪魔をされたりという実のインタラクションではなく、邪魔された気になること相手の行動によって自分の行動が変わったと感じられること、これが重要なのだと思います。

これは、最近よくボードゲームの評価で言われる「ダウンタイムがない」「インタラクションが限られてる」という言葉は、そういう層へのメッセージなのだと思います。



まとめ

①最近のボードゲームはインタラクションが無くなっている

②最近のボードゲームは複雑なゲームが増えている

③複雑なゲームが増えているのは、処理量の多さを求めているから

④処理量が多くなると、高度な処理を求められているというワクワク感や繰り返し遊ぶことへのドラマ性が高くなる

⑤ワクワク感やドラマ性が高くなると面白い

⑥処理量が多いゲームは面白く見える

⑦処理量が増えると、プレイ時間が長くなり、長くなった結果インタラクションによって無に帰すとプレイヤーはゲームを辞める

⑧最近のボードゲームはインタラクションが減っている

⑨ただし、インタラクションが減っているとコンピューターゲームでいいのではという意見が増えるので、インタラクションをしている感を出すことが大事


どうやったらインタラクションをしていると感じられるか、というところはまだ考察しきっていませんので、今後また書いていきます。
面白いゲームへの潮流の理解が進んだように思います。

札幌出身、福岡育ち、東京住みのSunnyと申します。 働きながらボードゲームデザインをしています。いただいたご支援は、ボードゲームデザインに使わせていただきます。