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ボードゲーム考察:ゲームの面白さは卓に依存する?

こんにちは
Sunnyです。


今日は、ゲームデザイン以外について考えてみます。

「ゲームの面白さは卓に依存する?」


ゲームの面白さとは何か

僕はこのnoteでゲームの面白さについて言及しているわけですが、改めて書きます。

面白さは、ドラマ性とその再現性だと思っています。
何が起こるのか?勝てるのか?負けるのか?という不確定要素=ドラマ性、そしてそのドラマ性がどのくらいの割合で起こるのか?という再現性の2つの要素です。

これが結果で、その過程として面白さを体験するためには、気持ちよさが必要だと思っています。



そのゲームを誰と遊ぶか?

ひるがえって、この記事を書こうと持ったのは「ゲームが面白くないということが言いづらい」みたいなツイートを見て、ふむふむと考えたからです。

楽しみたい!という気持ちがあるのにもかかわらず全力でゲームを遊んだにも関わらず、楽しめなかったのはよくあると思います。結果、ゲームが面白くないこともあると思います。

ただ、アナログゲームは対面で遊ばれることを想定されているので、人と遊ぶことを想定して作られています。
となると、誰と遊ぶかって非常に大事な要素になりますよね。

「自分のアクションについて口出しされた」

「自分が1位だったのに、他プレイヤーAから雑な妨害を受けて、
他プレイヤーBが勝利してしまった」


などなど

自分にとっての気持ちよさが、ゲーム内でのアクション以外で損なわれてしまうことってまぁ、あると思うんです。
ともすると、気持ち良さが損なわれたらそりゃ「このゲームは面白くない」と考えてしまいそうです。
(もちろん、ゲームデザインとして気持ち良さを損なわれやすいデザインになっている遊びづらい作品もあるかとは思いますが、例外として考えます)

でも、本当にそれってゲームが面白くないのでしょうか?(重ねて言いますが、ゲームが面白くない/自分に合わなかった場合もあると思います)

誰と遊ぶかの影響を強く受けていませんか?メンバーとの相性が悪かった可能性はありませんか?

この場合、メンバーに何かを言うのは難しいですし、楽しくない時間を過ごしたわけですから、そのやり場のない悲しみがゲームに向かってしまうのもしょうがない気もします。



ボードゲームの遊ばれ方の歴史から見て

先ほど記載した通り、ボードゲームは対面で遊ぶことを想定して作られています。そのため、デジタルゲームで遊ぶより少しだけハードルが高いです。
なぜなら、対面で6人集めるより、DiscordやSkypeなどで6人集めるほうが楽だからです。場所の制約もないですし。

だからこそ、ボードゲームは相席の文化が非常に強く「遊びたい」という人同士が集まりやすいような仕組みが多いです。人を集めるという行為がしやすい。

これはボードゲームの遊び方という点でも理にかなっていますし、そこで発達してきた業界です。

でも、上で書いたように「ゲームの面白さ」が「誰と遊ぶか」に影響を強く受けるとしたら、この相席の文化は少し違う様相を呈します。

ゲームの奉行問題、インスト問題
騒音問題、コンポーネント破壊問題、やりたいゲームできない問題、etc

ボードゲーム界隈でよく話題に上がるこういう問題たち(ゲーム内以外も含んでますが)、「知らない人と遊ぶんでるから」という要素に起因するのではないでしょうか?

もちろん、最初は相席で、そこから仲良くなって友達になるパターンもあると思います。でも、そうじゃないパターンもあるわけで。
上記に挙げた問題も、知らない人には言いづらくても、友人にだったら言える。そんなことは容易にあり得るかなぁと思います。

「誰と遊ぶか」という話は面白さだけではなく、それ以外にも大きく関わっているなと思います。


実際のところ

じゃあ、ゲームが面白いのか、遊んだ人が面白いのか、について明確な違いを認知するのは厳しいとは思います。

ただ、その自分が認知した感情が何なのか、何に起因するのか、を知ることは健全な遊び生活に繋がるのじゃないかなあと思っています。

波長が合う人とゲームをした方が確実に楽しいですからね。
なんなら、波長が合う人ならくそげー(あえて表記しています)も楽しい。

そうすると、遊べる環境に尽力していくほうがいいのかなと思ったりします。




今日は少し抽象度高めの記事。
この話題でもう1本書こうと思っているので、近々まだ更新します。



札幌出身、福岡育ち、東京住みのSunnyと申します。 働きながらボードゲームデザインをしています。いただいたご支援は、ボードゲームデザインに使わせていただきます。