21歳の海亀

児童養護施設で15年間生活していました。現在は21歳で社会復帰できるように日々奮闘して…

21歳の海亀

児童養護施設で15年間生活していました。現在は21歳で社会復帰できるように日々奮闘しております。 自分の気持ちを整理するとともに誰かに少しでも役に立てばと思い書き記します。

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 不快な表現や過度な思想がありますが、どうか気に留めないでいただきたいです。(一時的に病んだときに書いた文章でも極力、消さないでおきます)  自分の気持ちを整理したり、今ある状況や感情を書き表すことで少しでも前を向けるために残しております。

    • I need to relax

       人は落ち着いて世界を傍観する術をどのように学ぶだろう  人は安全地帯をどのように構築するだろう  人はリラックスをどのようにするだろう  私には安らぐとか落ち着くとかそんな感情は皆無に等しかった  生まれて40日で乳児院に預けられ、母親の愛情を知らずに育った  養護施設では同い年ぐらいの子が常に周りにいる環境で  兄弟ではないし、遺伝的特徴も大きく異なる子供達が一つの屋根の下に十人近く  皆、仲が良いように見えて職員からの愛情の取り合いをしていた  年上の子には負けじと挑

      • 覚醒剤でハイになれない私は一体何者なんだ

        無駄な日々とは言いたくないが、ここ三年は何も成長できていない 色んな薬物を試して自分のやる気に繋がるだろうと期待しては絶望してきた毎日である 鬱々な日々を終わらせたく、私は覚醒剤に手を出した 初日、期待と不安を感じながら起きてすぐ少量を摂取した その日は仕事だったので1時間後に家を出た でもなんかぁ眠気が取れなくて 『覚醒剤ってこんなもの? そや、鬱すぎて効かへんのや』と思ったので 仕事から帰ってきて5倍の量を摂取した じゃなんと気分が晴れるではないか!!! というのも束の

        • 二度目の一人暮らし

          2020年の春、私は高校を卒業し施設を退所した 一人暮らしを始めるにあったって、少しの不安もありながら 晴れて自由の身になることに期待と望みを抱いて松山に赴いた 家電を揃え、家具を設置し、『さぁ、この社会を謳歌しよう』そんな気持ちだった なのにどうして人生最悪の日々になってしまったのか バイトを始め、勉学と両立するはずだった だけどそれは私には困難だった たった5時間の労働でも私は極度に疲れた 家に帰っては布団に逃げ、どこからともなく憂鬱な気持ちになって 仕事以外では外に出

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          知恵遅れの子

          自分を分析することはなんとも難しい 客観的にとか視野を広くとかそんな言葉は私に通用しない 一つ、他人から言われたことから自分の本来の姿が見えてくることがある 『お前は知恵遅れだ』『素直じゃないな』 『冷静になれ』『気分に波があるじゃない?』 これらは周りの人からよく言われてきた言葉だ 確かに私に当てはまっているものだけど どうしても納得いかない 認めたくない だが認めないことには前に進めない 一つずつ解釈してみようとする 『お前は知恵遅れだ』 この言葉は義父から長らく言

          知恵遅れの子

          この騒がしい脳と共に

          全くだ。全く脳が休めた気がしない 外に出ると刺激が多すぎて歩くだけでも疲れる 他人を意識しすぎて過緊張に陥ることが小学生高学年の頃から続いている 社会人になって他人と関わる機会が少なくなったので症状が落ち着いてきたと感じるだけで根本的なものは何も変わっていない 常に何かに怖れていて何かを考えている 中学生の頃に書いたノートを久しぶりに見てみると 『自己嫌悪の塊で、自分しか見えていない僕だからこの世界に馴染むことはもう出来ないだろう。やりたいことがまだたくさんあるのになぁ。な

          この騒がしい脳と共に

          僕の半生記

           こんばんは。最初に言っときますが僕今最高に幸せです。 僕はここNoteにネガティブな投稿をずっっとしてきました。高校を卒業してからの2年半、実際に僕は希死念慮と自己肯定感の欠如その他生活する上で全てのことにおいて支障をきたしていました。僕は一週間前まではそれらは愛着障害や醜悪恐怖症からくる鬱病のせいだと思っていました。無論僕は施設に15年もいましたのでこれが原因になるのも当然のことです。という偏見や固定概念が本当に僕が悩んでいる理由を見つけるのに相当な時間を費やしました。

          僕の半生記

          施設退所してからの3年程

          2021年3月に愛媛県の児童養護施設を退所しました。 その頃はまだ中国留学を目指していて合否を待っていました とりあえず、親のアパートに暮らすことにしました それが一番手っ取り早かったから 狭い部屋だったので添い寝になりました 突然僕が「死にたい」「消えたい」って言いました 母は理解しませんでした アルバイトを探してホームセンターのバイトを始めました 合否が来ました。合格でした 1ヶ月ほどで同アパートで一人暮らしし始めました 遅刻せずバイトに行けました 自己嫌悪はずっとありま

          施設退所してからの3年程

          お久しぶりです。

          少し愚痴書かさせてください。 世間は騒がしいですよね 自分の気分や体調に関わらず騒がしいですよね たまに殺気が湧くぐらいイラつくことがあります 一人になりたいのに静かな場所に居たいのにそれを妨げるように世間は僕を嫌うかのように煩いですよね 環境や立場が違えば感じることを変わってきますよね 言葉にしないと伝わらないことなんてザラにありますよね でも相手は楽しそうにしているしそれを逆に邪魔にするみたいで言い出しづらいですよね 最近はストレスが爆溜まりで心身共にかなりの支障をきたし

          お久しぶりです。

          軌跡

           お久しぶりです。最近の事情を少しお話ししたいと思います。先ず、心療内科に先月からまた通い始めました。薬の成分を強いものにしてほしいと伝えるとそうしますとひとつ返事で僕にあった薬を処方していただきました。お陰様で、今では鬱という病からは離れられています。とても快調で、最近介護の仕事を始めましたが遅刻することなく、あまり億劫になることもありません。仕事が休みの日はUber eatsのドライバーとして、チャリを全力で漕いでいます。そして毎晩、住まわせてもらっているゲストハウスの見

          自分という人間

           人はいろんな想像ができる。可能性は無限大だと思う。だが、想像し過ぎて現実がうまく機能しないなんてことも多くある。僕はその症状を持った人間の一人だ。いつも過ぎた現実と遠い未来の事を考えている。次から次へと思考が変わり、一つとして、実ることはない。現代の言葉で言えば、現実逃避と言いましょうか。とてもじゃないけどこの世界と私の心とでは乖離が激しい。そんな私でも現実に戻る時がある。普通にご飯が食べれて、外に行けて、誰かと話せて、何事も躊躇することなく生きれる時がある。普通に戻れる時

          自分という人間

          別に何か書きたい訳ではない

           お金を稼ぐことは大変 最低限のお金は生きていく上で必要 僕の場合は一ヶ月7万円で事足りる だが、この生活をずっと続けるわけにはいかない きつい、辛い、面白くない、生き心地がしない ただ、過ぎ去る人々に愛想を振りまくだけで自分の本当の想いなんて無いに等しい 僕は人を恐れている 人が僕を批判して僕が駄目な人と言うことを誰かに晒される 社会に出れば、そんな恐怖が常に僕を付き纏う だから、生きているとどんなに独りが楽か、幸せか、楽しいか思い知らされる 僕は人と比べて生きている

          別に何か書きたい訳ではない

          最近

          あんまり外に出ない あんまり人に会わない 前までは一人になっていく自分が怖かったけど今はどうでもよくなった でもやっぱり孤独な夜は常に襲ってくるし苦しいし寂しいけど耐えるしか方法はないんだって今は諦めた 寝れない夜、よく考える どうでもいいことばかりで本当に嫌になる、死にたくなる、消えたくなる あと何度こんな夜を耐えればいいのか絶望している 誰かに頼りたいわけではない お金が欲しいわけでもない、情けが欲しいわけでもない ただ無条件に自分を受け入れてくれる場所が欲しいのである

          違い

          違いを比べるのは馬鹿でもできる、猿でもできる。 人の違いを認めれる。それこそ自分が目指すもの。

          優しい人が好き

          憂鬱なとき、自信を持てないとき、孤独なとき 誰かに優しくされたらどれだけ嬉しいだろうか   周りの何もかも考えなくていいぐらい何かに夢中になりたいし、誰かと同じ気持ちを共有したい。そのためには僕がもっと強くならないといけなくって、でも強くなる方法を知らなくて気づいたらいつも変わらない日々を過ごしている

          優しい人が好き

          自分

          夢を失うよりも 悲しいことは 自分を信じてあげられないこと 愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなど 起こりはしない