共同親権法成立から考えること

「わたしと小鳥とすずと」金子みすゞさん
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私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに
地面を速くは走れない
私がからだをゆすっても
きれいな音は出ないけど
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ
鈴と、小鳥と、それから私
みんなちがって、みんないい
―・―・―・―・―・―・―・

この有名な詩から思い描く
金子みすゞさんの人生はどんなものでしょう。
穏やかな毎日、ゆっくりと流れる時間、余裕のある生活etc。
私はそんなふうに昔は思っていました。
でも、実際にはこの詩からイメージされるようなものではなく
結婚後に書いたこの詩は
彼女自身が思い描く理想のイメージだったのではないでしょうか。

金子みすゞさんは幼少期に本屋さんの養子になりました。
本の影響を受けたのか
自分も書いてみたいと20歳で詩を書き始めます。
その才能はスグに人々を魅了していきました。
23歳で結婚し、子どももスグに生まれました。

ですが、連れ合い(夫)は今でいうモラハラ夫、DV夫。
仕事は続かず、女遊びをし
あげく淋病まで持ち帰りうつされる始末。
詩の投稿を禁じたり、詩を通しての交友関係も奪われました。
また、稼業はみすゞさんにさせていました。
そして、たった3年の結婚生活にピリオドをうち、離婚をします。
現代でさえ、日本は「いかなる理由があろうと離婚を悪」と捉えがちですが、
昭和初期のこの時代に、離婚をするには相当な決意があったことでしょう。
それほどに、耐えがたいモノがあったのだと推測できます。

当時の法律では、子の親権は「父親」の単独親権でした。
ですが、みすゞさんは子どもをどうしても連れ合い(元夫)にだけは渡したくなかった・・・。
仕事をしていないにもかかわらず
連れ合い(元夫)は子どもを引き取りに来ます。
みすゞさんは、26歳の若さで服毒自死で亡くなりました。
連れ合い(元夫)が子どもを強引に引き取りに来る前日のことでした。
遺書には、母に子どもを託すと記されていました。
モラハラ夫、DV夫の手元に子どもが渡るくらいなら
違う誰かに育てて欲しい、という
自らの命をかけての抵抗だったのです。
自らの命で、その「親権」は認められないと主張しました。

2024年5月17日。
共同親権法が成立しました。
2026年に開始されるとのことです。
未婚ひとり親当事者の私から見える近い将来は
子育てを手伝わず、養育費も払わず
親権ばかりを主張して口を出す別居親の姿。
その口は、ハラスメントまがいのもの。
そういった近い将来が見えてきます。
また、現在でもひとり親家庭の相対貧困率は約50%で、
2人に1人が貧困家庭とされています。
なのに・・・
高校無償化や、子ども手当や
就学児援助などの「所得」の考え方は
共同親権が開始されると
親権者2名の所得となると答弁がありました。
正確には
「保護者の定義は法律上、子に対して親権を行う者。
共同親権を選択した場合には、親権者が2名となることから、
親権者2名分の所得で判定を行うことになる。」
とのことでした。
ますますの貧困が目に見えてきます。
国に、私たちは潰されるのでしょうか。

そんなことを考えていると
金子みすゞさんの詩を思い出したのです。
自らの命をもって「親権」に抵抗する、その姿を思い出したのです。
そんな同居親さんたちが
出てきてしまわぬように願い、抗い、闘わなければいけないと震える思いで
でも自らも
「申し立てをされたらどうしよう」
と不安しかありません。
2026年ですから、私の子は高校3年生
18歳成人までもうすぐのところです。
だからといって、“関係ない”とはまったく思いません。
この不安や焦燥感、恐怖は、当事者でないと分からない。
発言できる人、発信できる立場にある人が
どんどん声をあげていかないと
私たちは本当に殺されてしまうとさえ思うのです。

#共同親権を廃案に
#非合意強制型の共同親権は絶対に認めない

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