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栞さんのブランニューデイズ(後編)

次の土曜日。いつも通り登は来館した。

「おはようございます」
図書館職員はあまり元気よく挨拶をしてはいけない。私は出来るだけ淡々と挨拶をする。

「おはようございます」登もいつもどおり。

登はしばらく館内をめぐり、数冊の本を持って読書席に座った。
倉沢さんが肘で私をこづく。
私はカウンターから抜け、返却本の配架を始め、じりじりと登に近づく。

登はまたフランス料理の本を読んでいる。

ふぅっと息を吐き、私は登に近づく。
「と、遠山さん、フランス料理お好きなんですか?」
本当は利用者の読む本について詮索してはいけないのだが、話のきっかけに私は思わず口にする。
「あ、僕、フランス料理店のシェフ見習いなんです」
「へ~!」
自然な会話の流れにすべり込む。
「海外にもお店を出しているので12月までフランスに見習い修行に行っていたんです」
「そうなんですね、すごい!」
「フランスではルボーノって呼ばれてました」
「ルボ..は、はい!」
何か気の利いた返事をしないと..私は焦る。
気の利いたというか...
(タイミングが大事よ!)
倉沢さんの言葉が頭をよぎる。
一歩踏み出すなら今。
今度こそ。
私は目一杯の勇気をしぼり出す。
「あの...遠山さんのフランシュ料理、食べてみたいです!!」
噛んでフランシュと言ってしまったが構わず私は登の返事を待つ。
すると登はふと真面目な顔つきになって私をじっと見つめた。
そして数秒、私を見つめた後に淡々と答えた。
「僕の料理?無理ですね」

「え...」

静寂のカーテンが降りる。

私は言葉を失う。

登は顔を伏せ、読書に戻る。

「あ..はい、すみません...」
私は謝り、軽く会釈をしてカウンターへ引き返す。

(はは、は、はっはは)
私は心の中で乾いた嘲笑を自分に向ける。
そうだよね、そうそう、運命なんて私は抵抗できない。いつものこと。
平静を装おうとしたが、ズゥっと鼻水が出てくる。
どうして私はいつもこうなんだろう?
私の気持ちはいつもこうして軽く蹴っ飛ばされて。
私だって少しくらいときめく恋愛をしたっていいじゃないか。
じわっと目に涙がたまる。

「倉沢さん、本館に持ってく返却本、私が持って行きます」
この場所から離れたかった。
察した倉沢さんは小さく頷く。
奥で館長は気まずそうにしている。
出る前にもう一度登の方を振り返る。
机に向かい、何かを書いている。

私は図書館を出る。

本館に返却本を引き渡し、自館への返却本を受け取り図書館に戻ると、倉沢さんが気まずそうな顔をしている。

「あ、大丈夫ですよ。慣れてるので!」
私は元気なフリをする。
「これ...遠山さんがあなたに渡してって」

検索メモ用紙の裏面に書かれた登からの伝言を見る。


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栞さん、自分を見てください
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クラっと眩暈がした。

(どうしてこんな追い討ちまで...)

私はもう何も言葉が出なかった。

倉沢さんは動揺して泣きそうになりながら、
「ごめん!渡そうかどうしようか迷ったんだけど..ごめん...」
「いや、いいんです」
私はどうにか言葉をしぼり出した。

その日の夜、私はハーブティーではなく珍しくワインを飲んでいた。

一人暮らしの部屋で静かにしていると気が狂いそうだ。
気がつくと私は唯一と言ってもいい大学時代の女友達に電話をしていた。
ひとしきり顛末を喋り終わる頃には私はボロボロと泣いていた。

「でもさ、何だか変じゃない?」
「うう、何が?」
私は涙をすすりながら聞く。
「アンタのこと、そのままがいい、って言ったんでしょ?」
「うん」
「なのに、自分を見てください、なんて言うかね」
「...」
「そういう悪い意味じゃないんじゃないの?」

電話を切った後も、私は考え続けている。
もはや謎解きみたいだ。

自分を見てください...

私は鏡の前で、まじまじと自分を見る。

次の日、ほぼ眠れないまま出勤した私はぼうっと仕事をしながら頭の中ではまだ謎解きをしていた。

カバンからぐちゃぐちゃにした登のメモ紙を取り出す。

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栞さん、自分を見てください
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いつも「ツヅキさん」と私のことを呼ぶのに、どうして「栞さん」と書いたのだろう。

(自分を見てください)

登からのメモ紙に書かれた言葉を頭の中で繰り返す。

予感に行き当たる。

私はPCの検索画面で登が借りた本の履歴を検索し、いちばん最初に登と話すきっかけになった汚れが付いた本のタイトルと配架場所を確認し、すぅっと立ち上がる。
静かに配架場所に行き、その本を手に取る。小口の部分に変わらず染みが付いている。
パラパラとめくり途中で止まる。
しおり?
中に挟まっていたのはしおりではく、二つ折りにされた紙だった。
ゆっくりと紙を開ける。

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都築 栞 様

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・・・・・・・・・・・・・・・・・
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私は思わず口に手を当てる。
私を取り囲む重たい壁が一瞬で消え去る。

ぶわっ!

涙があふれ出す。

時計を見る。19時、閉館。

カウンターに急いで戻ると、外に出ていた館長が入ってくる。

「館長!あ、ああ、あの、ご利用者の...遠山さんの連絡先を私用で使ってもよいでしょうか?」

館長は口をはっと開けたあと、ぐっと真顔に戻り、
「利用者情報を私用で使わせるわけにいきません」と言った。

「館長!!!!なんて心の狭い!!!!」倉沢さんが叫ぶ。

「ルールはルール、ここは市立図書館です。都築さん、閉館時間です、戸締りをしてきてください」

私の目からもう一度ぶわっと涙があふれる。

「は、はい」

私はトボトボと入り口へ向かう。
泣きながら図書館入り口で顔を上げる。

「あ...」

遠山 登が立っていた。

館内で館長が倉沢さんに親指を突き立てながら言った。
「ブランニューデイズ」

私は登と向かい合う。

ゆっくりと言葉を出す。

「遠山さん、しおりを見つけました」

「すみません、僕はなんというか、そういうのが不器用で」

「いや、私は野暮ったいので」

私たちは微笑み合う。

気配がして振り返る。
館長と倉沢さんが中扉の端から顔を出して見ている。
倉沢さんが私に向かってアイコンタクトをする。

私は登に向き直る。

上着を着ないで外に出てきてしまった。かじかむ手をさする。
登はぶ厚い手袋をしたまま、私の手を握った。
胸の体温が上昇する。

「待っていて、ください」

登の声は夜を駆け上がる。

「はい」

私はそう言いながら、片方の手を登の手から離し、涙をぬぐうためにメガネを取る。

「あ、そっちの方がいいかも」登は言う。

私は泣いたまま笑う。

こんな時になぜだかラジオから流れていた曲を思い出す。

せいいっぱ~い、運命に抵抗~~♪

私は今度こそ抵抗できるかもしれない。
いや、もしかしたら抵抗なんてしなくていいのかもしれない。

手袋の厚みで彼のぬくもりは伝わらない。私はそのぬくもりを想像する。

今はそのぬくもりを想像するだけで十分。

まだ涙でぬれている私の顔を、登は心配そうに見つめる。
真冬に手を握り合う私たちを、夕刻の街灯が照らす。

そして私も登を見つめている。不格好で、精一杯の笑顔で。


(終)


都築 栞 ー図書館司書
倉沢みどり -栞の先輩
五島 勉 -図書館長
刈谷奈津 -栞の大学時代の友人
遠山 登 -シェフ見習い


都築 栞 様

僕のフランス料理は、ごめんなさい。
今はご馳走できません。
ちゃんと一人前になってから食べてほしいです。
また来週からフランスに行きます。
夏にはフランスでの修行を終えて日本のお店に配属になる予定です。
それまで待っていてくれませんか。
栞さんと話の続きがしたいです。

遠山


「栞さんのブランニューデイズ」
(終)

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