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五月のゴール

僕はゴール付近からビデオカメラを構えていた。男子が終わり、女子の第1レース。娘は第一レーンだ。

「位置について!」
「よーい!」
 パン!
小4競技、60メートル走、6人が一斉にゴールに近づいて来る。

「半分過ぎて疲れてきてからが勝負だよ!中盤からさらに腕をよく振って!」前日に、僕は誰にでも言えそうなアドバイスを娘に送っていた。中盤を過ぎ、娘はさらに加速してくる。
(それだ!)
カメラを持つ僕の手にも力が入る。一位二位を争っている。最後までスピードは落ちない。後半さらに伸びてくる。ゴール直前、僕は一瞬眩暈がした。

結果は僅差で二位だった。

小学校の頃の僕と同じで小柄で学年でいちばん背の低い娘は、決して運動音痴ではないのだが、運動競技にはあまり自信がないようで、徒競走は「ビリにならない」ことを目標にしたりする。そんな娘が今日は見事二位に入った。決勝審判役の六年生に付き添われ、娘は二位の列に座り、「2」と書かれたフラッグポールを大事そうにぎゅっと握った。笑顔があふれていた。そんな娘を見ながら、僕は昔のことを思い出していた。

「位置について!」
白線ギリギリに左足を置き、僕はいちばん左のレーンから横目でちらっと右側に並ぶライバル達を見た。
「よーい!」
耳元に静寂が降りる。
パン!

スタートとしてすぐに僕は先頭に出た。同じ組の応援団から歓声が上がる。中盤を過ぎ、どれくらい2位と差があるのか見たかったが、僕は一度も振り返らずそのまま腕をふり続け、一気にゴールまで駆け抜けた。高揚した自分の息づかいを歓声が包んでいた。



あれから30年、僕は社会に出て中間管理職になっていた。同じ職場で二十年、それなりに頑張ってきたように思う。上司から求められることも部下から訊かれることもどれも単純ではないが、どうにか頭の中で交通整理をしていく。担当している業務は大事な部分をしっかり報告しておけば、かなりの部分が一任されている。好きな職場ではあるし、それなりにやりがいもある。でもなぜか時折、釈然としない気持ちに駆られる。勤務年数を重ねるごとに、要求されるのは業務の量ではなく質感へと変わっていった。質ではなく、質感。その質感にたまに違和感を持つ。例えば、ある仕事を完成させるために通る道中には、なかなか難しい相手もいる。タイミングと通り方に気をつけなくてはならないし、一歩引いたり、一段降りたりしながら、徐々に前に進んでいく。完成する頃にはバケツ一杯分の冷や汗をかいている。それを今の日本社会ではざっくりと「社会性」と呼ぶ。でも、日頃娘に身に付けてほしいと思っている社会性とは異質なものだ。

「大人の世界は難しい」とでも言えば簡単かもしれないが、その難しさは心を蝕むような重さを孕む。頑張っている、自分も周りも。でも「頑張り方」が濁流の中に紛れてく。強引な自分の意見は歓迎されないが、自重気味な自分の意見は求められる。まっすぐ歩くことよりも、うまく立ち回ることが優先される。そうして日本社会の「奇妙な作法」を否応なく身に付けてゆく。それをひとつ身に付ける度に、何かをひとつ見失う。手に残るはずの感触や温もりを、ひとつずつ。

「全力を注ぐ」ってどういう感じだったっけ?

何を失っているのか、怖くなる。胸の奥で燻っているこの薄暗い闇の正体は何だろう。日々緩慢に感じるそんな疑問を一掃するかのように、ほとばしる蠢きが目の前で立ち昇っていく。僕は運動会のあらゆる競技から目が離せなくなった。

クラス中で声をかけ合って、勝てば飛び上がって喜ぶ。コーナーをフルスピードで曲がるリレー代表選手は一切手を抜かない、諦めない。そのバトンを受け取って、僕も全力で走りたかった。

6年生の組体操の演技中、ピラミッドの一番上からバランスを崩し女の子が落下した。会場がどよめく。でもその子は体育着を真っ黒にしたまま、即座にピラミッドの上に戻る。小学校最後の運動会なんだ、最後の組体操なんだ、その子の気持ちが一瞬で校庭全体に広がり会場をひとつにした。終わった後、その子の体育着の汚れを同じ組の子達がみんなではらっていた。

掛け値なく全力を投じ、限りなく優しい。何の打算もなく、何の見返りも求めない素直で純粋なひたむきさ。それぞれがそれぞれを信頼し、称え、守り、支え、誰も誰かを責めない。このごく自然な光景が圧倒的だった。
記憶の中の校庭に小学生の頃の僕がいて、現実の僕が今ここにいて、運動会に飛び交った熱量と優しさが、分断していた僕の30年の年月を埋めてゆく。

閉会式に並ぶ小さなアスリート達の表情は、全員が充実感に満ちていた。僕は身震いしていた。僕が知りたかったこと、僕が見失ったものは、全部、目の前の運動会の中にあった。腕から順に全身に鳥肌が立ち、ついには涙腺をも刺激し、僕の目は涙で潤んだ。

横目で右側を見ると、そこにはライバルではなく妻がいた。結婚して10年、妻との目線の間に、10年分の呼吸があった。涙ぐむ僕を見て「なーに泣いてんの」と言いながら妻は笑った。

5月、この時期にしては記録的な猛暑のこの日、僕の記憶の残像はキラキラと光る小学生達のひたむきな笑顔に爽やかに紛れた。