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キンコン時計

「お父さんは?」

中学校は夏休みに入って、すっかり寝坊癖のついた私は十時過ぎに起きて、あくびをしながら聞くと、

「なんか映画観るとか言って出かけたわよ」とお母さんが言った。

「ふーん、一緒に行かないの?」

「なんで?」

「なんでって、夫婦じゃん」

「夫婦だからっていつも一緒に出かけなくたっていいでしょ」

「まぁそうだけど、そんなもん?」と私が聞くと、

「付かず離れずくらいがちょうどいいのよ」とさっぱり答えた。

私は何だか子ども扱いされた気分になって、「あっそう」とテレビを付けようとすると、「ねぇ!暇ならおじいちゃんちにこれ分けてきてよ」と、父の実家から届いたモモの箱を指差した。

「えぇー」と私が面倒くさそうに言うと、たまに顔見せると喜ぶわよ、と私の今日の予定をあっさりと決めてしまった。

自転車で十五分程のおじいちゃんの家に着くと、おばあちゃんはお昼ご飯の支度をしていた。居間でテレビを観ていたおじいちゃんは、私の顔を見て少し口元を緩めて頷くとまたテレビに目をやってしまった。

 「なんかおじいちゃん元気なさそうだけど」

「時計が壊れて元気ないんよ」と包丁でキュウリをきざみながらおばあちゃんは言った。私は壁にかかったキンコン時計を見た。その時計は、三年前、ふたりの金婚式の記念に買ったもので、私とおばあちゃんの間ではそれをキンコン時計と呼んでいた。
「動いてるじゃん」
「時計じゃなくて振り子が止まってんだよ」とおばあちゃんは言った。確かに、時計はチクタクと動いているが、振り子は静かに垂れ下がったままピクリとも動かなかった。

「なんや振り子が元気に動いてんとみんなが元気なんだってよ」おばあちゃんはそう言って小さくため息をついた。私はちらっと居間のおじいちゃんを見たあと、ふと手を伸ばして壁にかかっていたキンコン時計を外して手に取った。裏面を見ると「平成二十六年 金婚式記念」とマジックで書かれていた。
時計をしっかりと持ち直し、前後左右をじっくりと見て、もう一度正面から振り子を見ると、突然振り子が右に左に動き出した。

 あっ! 

 もう一度前後に動かすと振り子は止まった。

 んっ!

私はふいに全部が分かって、八角形の振り子時計をダイニングのテーブルにそっと置いた。振り子は動いている。少し右に傾けると振り子は前に押し出されるようにして止まり、戻すと動き、左に傾けるとまた止まった。

 「ふおあー」
振り子の原理を知って思わず声をあげた。キンコン時計がかかっていた壁の方に行き、時計をかけていたネジを見る。

 「おばあちゃん!ネジ巻き貸して!」と言うと、おばあちゃんは、「ん」だか「あ」だか分からない声を出して、玄関の方からプラスドライバーを持って戻ってきた。

 私は時計の重みで斜め下に傾いてしまった壁のネジをドライバーで抜き、少し上に付け直して、キンコン時計をそのネジにひっかけ、静かにゆっくり手を離した。

振り子は、再び動き出した。

そばで見ていたおばあちゃんが「あらま」と声をあげた。

振り子は磁石のN極とS極の原理を使い、同極の反発力を利用して右に左に押し返すように振られていて、少し傾いただけで止まってしまい、ちょうど時計を壁にぴったりまっすぐ付けた状態で動くのだった。

 「おじいちゃーん、時計直ったよー」
振り子が止まらないか気にしながらおじいちゃんを呼んだ。居間からドタドタドタとおじいちゃんがやってきて、壁にかかった時計を見て、「ふおわー」と声をあげた。

私が振り子の原理を発見したと時と同じ声をおじいちゃんがあげたので、思わず声を出して笑ってしまった。

おじいちゃんの顔には笑顔が戻り、「よかったなー」と、嬉しそうに何度も喜んだ。おばあちゃんは、そんなおじいちゃんを優しく見つめていた。

振り子はとんとんと、穏やかに動いている。
私は、均等に揺れるキンコン時計の振り子と、ふたりの様子をしばらく眺めていた。それからおばあちゃんが作ってくれた冷やし中華を三人で食べてから、私はおじいちゃんの家を出た。

 自転車にまたがって、束の間空を見上げる。

 付かず離れずかぁ。

 私は心の中で呟いた。蝉の鳴き声が聞こえる。

 あったかい。

おなかの底をじんわりと温めるような優しい気持ちが体に湧き上がるのを感じた。私は、その温かさが自分の体から逃げないように、両手でぎゅっとおなかをおさえた。

(終)

#モノカキングダム2023