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物語2 私の大切なおばちゃん

私には親と同じくらい大切な伯母がいました。
10年くらい前に亡くなって、今では殆ど思い出すこともなくなりましたが、子供の頃の私にとっては唯一の拠り所でした。
私の両親は、私が物心ついた頃にはすでに仲違いしており、小学2年生の夏休みのある朝、目が覚めると、案の定、母が居なくなっていました。あの時の絶望は、今までの人生の中で最初で最後の、本当の絶望でした。
それから数年の間、以前にも増してイライラしている父のもとで私と1つ下の弟は息を潜めるように暮らした。当時は一緒に住んでいた祖母も1年後には伯母の所へ行ってしまったのだった。
その代わりに、中学校の教師をしていた伯母が、毎週日曜わざわざ遠方から汽車に乗って来てくれるようになり、赤ちゃんの頃から伯母が大好きだった私にとって救いの神となってくれた。

伯母は私に沢山の話をしてくれました。
生徒の話や修学旅行の話、ひつじやで洋服を作った話。いとこのけいさんの小さい頃の話。祖母のご先祖が寄進した釣鐘を秋田だか、新潟だかのお寺に見に行った話。そして伯母のいとこが俳優さんと結婚して青山にいるという話を。

その頃の私にとっては、俳優さんも結婚も青山も魅力を感じるポイントではなかったから、ただ伯母といるのが嬉しくてニコニコと聞いていたのだと思う。
けれど伯母は言ったのだ。青山って東京のなんかイイとこなんでしょう?と。楽しい話を聞かせてくれているとばかり思っていたのに。いつも元気で楽しげなこの人にもそれなりの闇があるんだと、言葉に表せなくても小さな私は感じ取った。ちなみに伯母は生涯独身でした。

未だに青山がどの辺りなのか、ハッキリ分かってはいませんが、そのうち見に行ってこようと思います。
そういえば、青山学院大学には一度行ったことがありました。あれは何年前だろう。卒業式の袴のレンタルを受付する仕事で、あの時はまだ今の職場に入る前か。もっとしっかり仕事をしていくつもりで、花嫁着付けも習いに行っていました。
今は月に3・4日、着付教室で教えています。
人に教えるのは大好きなの。
もしかしたら、少し伯母に似たのかもね。

 

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