見出し画像

「間違えてもいい授業の雰囲気最高でした!!」失敗してもいい環境はどう作る?

はじめに~集団の中で発言するというハードル~

退職する際、先生方や教室の子どもたちから、
見開きの色紙4枚分のメッセージを頂きました。(ありがとう❣️)

その時に印象的だったのは、
多くの子どもたちが
間違えても大丈夫な授業、雰囲気】を作ってくれてありがとうございます!と言ってくれていたことでした。

もちろん、授業中全く周りの目など気にせず発言する子もいれば、

ある程度人や空気に慣れると発言出来る子など
様々いますが、

正解がある科目や、人が多い環境だと特に、

間違えることが怖い。間違えたあとが怖い。どう見られるかが不安。

そんな子供たちの空気を掴むことがよくありました。

というのも、私自身も学生の頃、

先生やクラスメイトに慣れても、発言をする🟰完璧を求められているという空気を感じたり、

「発言できるなんてよっぽど分かっているに違いない」という牽制や、

「カースト上位でなければそんなに発言してはいけない」という暗黙のルールを感じていたからです。

日本人はシャイ、特に女の子は陰で悪口を言いがちだし、本音と建前の社会だ

なんてよく言われますし、
ましてや日本人が海外でそのように自らをネガティブな意味で主張してしまいますが、(もったいない🥲)

その背景にあるのは社会的なシステムや文化、アップデートされていない価値観や風習などがあるように思います。

国全体を変えることは難しいかもしれないけれど
目の前の1人の対応から変えることは出来る。
自分自身を成長させていくことも出来る。

そうすれば、その輪が広がってゆくと感じています

さて、話が少し逸れましたが
発言をするハードルの高さ、間違えることへの恐怖心は本当に様々な背景から来ています

授業という意味では、
指名をしなくとも皆がどんどん答えてくれるクラスも勿論ありますが、

やはり中学2年生くらいになると多くの教室の空気もかたくなってきます。

(1年生の時や、その前でどんな集団空気の中で育てられてきたかもかなり影響するけれど)

彼らの空気やテリトリーを無理やり壊すことは出来ない

でも、指名しないと誰も答えない🟰サイレントな授業や、生徒主体ではないつまらない授業は避けたい。

発言をさせる・間違えてもいい環境づくりのために

そのために気をつけていたのは、
(⚠️これは大人と子ども含む複数人の集団環境のときもいえると思います
(子供たちが慣れている環境であれば不要◎))

沈黙を長く作らないこと🐑

(沈黙は周りの目も相まってプレッシャーになり得るため。そうすると主体的に学ぼう、ではなくこの瞬間をどうにか乗り越えよう、になってしまうので、本当の意味で彼らのためにならない時があるから。安心して考えさせ、発言することに慣れさせることが大切)

・彼らが質問を聞いていなかった時に嫌な顔をしないこと🐑

(⚠️これを繰り返すと常習化してしまうタイプの生徒もいますので、そういった子には不必要に笑わずごく普通にもう一度質問を繰り返します

親子関係の場合は、これを繰り返しすぎてしまうと話を聞かなくてもまた教えて貰える、という状態が常習化してしまう場合がありますが、
例えミスをしてもフォローしてくれる人がいる、と思えることがとても大切だと思いますので、
何度も初っ端から怒ったりしすぎるよりは、冷静に客観的に注意をして、普通のテンションで教えてあげるのがよいかと思います。

授業中のガキ大将タイプ(笑)の子には、ちょっと!なんで聞いてなかったの~?!😂というテンションで対応します。勿論、授業や周囲の空気感によりますが。
ただ、ここで面白いやり取りを交わせることが多いので、そうするとその会話を通して、その子も、周りの子達の空気も和らぎ安心して授業にのぞめます。やりすぎはNGです!)

間違えた時に、(内気な子且つ不正解の場合は)頑張って口に出してくれたことをほめる🐑
(なるほど~!!実はもうちょっと〇〇な答えなんだけど、そう思うよね。教えてくれてありがとね、など)

惜しかったら答えとの共通点だけを出して、惜しいよ~!頑張ったね!と伝える🐑
(それで分かれば本人もHappy💮💯!難しそうであれば他の子にバトンタッチします。)

とにかくココでも大事なことは沈黙を作らず、彼らの苦手や恐怖意識を伸ばすことなく、のびのびとその子たちらしく自由に発言できる空気感を作り続けるということ。

そうすると、(塾や学校の場合は)大体3日、1週間、6ヶ月、1年、の間隔で変化が出てきて、

目に見える変化は1年にて現れると感じています。(個人的な感想です)

間違えることを恐れなくていい
自由に思ったことを発言できる

この安心感は絶大です。

そうすると、たとえその科目が苦手でも嫌いでも、興味が出てきた/ちゃんとやろう、という意識を持たせることは(例え1日だけだとしても)確実にできますし、
(維持できるかどうかが課題です汗(´ヮ`;))
(3日以上続かない子の場合は、個別できちんと面倒を見てくれる大人がいると尚良い)

この学びの場が嫌ではなくなります。
それが一番大切。

学校、家庭以外に居場所があり、
そこに、信頼されていて、できるひとがいる。

と子供たちが思える場所があることが大切。

3つ属するコミュニティがあると、メンタル的にも落ち着きます。

この方法が対応できるケース

しかし。ここで注意したいのは、これは、いわゆる学習の場における子供たちの接し方であるということ。しかも、お受験などに対応しないもの。

例えばこれがディスカッションスタイルの授業形式だとまた対応も変わってきますし、お国柄、日本の教育スタイルも関係あるでしょう

最後に( ˶^ᵕ'˶)b

道徳でさえ答えを求められてしまう授業もある近年の教育

大切なのはひとつの考えにしばりつけることでなく、自由に思ったことを発言させること。そんな場を作ること。そこから伸びるものの数は無数です。

たとえそれが間違っていたとしてもそれを受け止め、そこから優しく修正をかける。

道徳的の教育や授業の場合は、逆に修正をかけなければならない場面というのはそんなにないと思いますが

まずは彼らの意見を、考えのプロセスを、感じ方を、こちらも把握したいところです。

完璧であろうとするより、間違える勇気をもてることが素晴らしい、ですよね

この記事が参加している募集

#子どもに教えられたこと

32,809件

#多様性を考える

27,738件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?