見出し画像

バナナをおかずに、白米を食べられますか?

 おはようございます、スミレです。

 過去の記事にたびたび登場する、私の母親。
 実はフィリピン人です。だからなんだ、と思うかもしれませんが、つい最近学校で、フィリピンの貧困について触れる機会がありまして。

 正確には、海外旅行とか行きたいね、という雑談の中で、私から話せるフィリピンの話をしていました。

 豚の丸焼きを食べたことがある、とか。
 昨晩に突然連れて来られたニワトリが翌日の食卓にあがっていた、とか。
 マンゴーがとてもおいしかった、とか。
 私が人攫いに遭わないように、親戚連中が周りを見張っていてくれた、とか。

 小学2年生の夏休みに母の実家へ行ったことがあり、その時の話をしました。
 それを聴いていたとある先生は、海外でのボランティア活動に興味があるらしく、フィリピンの貧困についても知識がありました。
 曰く、2024年にもなってご飯食べられなくて苦しいって何事?

 その時は、あくまで海外旅行の話がメインだったので、すぐ雑談に戻りましたが。
 雑談のノリで、私がサラッと言ったセリフ、補足が必要だったかな、と思い至りまして。

 うちの母、バナナをおかずに白米を食えます
 あるいはコーヒーがおかずでもいけます。

 そういう郷土料理ではなくって。本当に、皮を剥いただけのバナナを、ホカホカの白米にドンと乗っけただけです。

 ……どうでしょう、引きましたか?
 母がやるので私も真似したことがあるのですが、想像よりは案外美味しいです。自ら進んで食べるほどではありませんでしたが。

 学校でこの話をした時はちょっと引かれた覚えがあるのですが、日本人の食事情を考えれば当然だったと思います。

 ですが、実は裏があります。なにもうちの母だって、好きでバナナをおかずにしているわけではありません。

 先述の通り、フィリピンでは今でも貧困問題が残っています。
 今ですらそうなのだから、母が生まれた時だって同じなわけです。もしかしたら今より酷かったかもしれませんね。

 詳しいことは各自で調べてみて欲しいのですが、国全体が貧しいのではなく、格差が大きいのです。
 海外に出稼ぎに行かないと家族を養えないような家庭なんてたくさんあります。現に、母の妹のうち1人は、フィリピンの外で資格を取って医療従事者として働いています。

 つまり、母の実家も、例に漏れず貧困に喘いでいるのです。

 バナナをおかずにできることについて、母はこう語ります。
 「おかずがない時はこうしてたのよ」。

 おかずが、用意できない、ということです。

 だから致し方なく、強引にでもおかずを用意しなければいけなかったのです。母が私に教えてくれた限りだと、それがたまたまバナナだっただけです。
 白米とコーヒーだけでもいけると言っていましたが、バナナで慣れたので、白米ともう一つ味があればいける、ってだけだと思います。
 「好き」と「慣れ」では雲泥の差があります。

 それが、母がまだ日本に来る前の話。
 今はどうなのかというと、苦労している点では変化なしです。
 私に気を遣うのか、母はあまり実家の話をしませんが、私が把握している限りのことを書いてみます。

 家の電気代が払えなくて停電した、という話を今までに3回くらい聴いています。

 私よりいくつか年上の従姉妹は、夢があるのに学費を払えるかどうかの悩みを背負わされていました。

 ローラ(祖母という意味)がコロナに感染し、一気に認知症が進みました。心臓にも少し問題があって、1度でも入院すると家族全体の食費が危うくなるそうです。停電騒ぎの1回はこれが要因だったと思います。

 私よりいくつか年下の従姉妹は食が細いと聴いていますが、優しい子だから、もしかしたら家族に遠慮して食べないようにしているのかもしれないです。

 ローラの面倒を見ている母のもう1人の妹さんは、いつも穴だらけでボロボロな服を着ています。

 ……2024年ですよ。本当に、なんでこんなことになるのか不思議です。

 私は良くも悪くも、自分の周りしか見えていません。なので世界全体に何かしたいとは思っていません。

 今は体調の問題で難しいけれど、専門学校に進んだらさっさとバイトを始めて、お金の面でフィリピンにいる親戚たちをサポートしたい、とだけ考えています。
 アルバイト、高校1年生の時にやっていて、体力が持たなくてやめました。でも口座にはお給料が割と残っています。
 全部あげたって構わないんですよ。母が申し訳なさそうに断るから、あげられないままですけれど。

 自分の周りにすら何もできないまま、というのは苦しいです。
 自惚れでもなんでもなく、私は親戚たちに愛されています。だから、せめて私が元気でいなければなりません。
 それだけで笑顔になってくれる人たちなんですよ。
 今の弱った心身に鞭打ってバイトをするのは、誰のためにもならないから、我慢するしかありません。

 ままならないな、と思ったのですが、今の私にはnoteという手段があります。
 書くことで、誰かの心を動かすことができたら。そういうつもりで活動しています。
 みなさまの琴線に触れる何かがこの記事にありましたら、とても嬉しいです。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?