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ありのままで、時間をかけて生きようと思った話。

 こんばんは、スミレです。(現在時刻午前3:35)
 夜中に目が覚めて眠気が吹き飛び、致し方なく起き上がって記事を書いています。本当は明日の日中に書こうと思っていたのですが、他にやれることもないので……。

 私はこのアカウントで、多様化のために身につけなければいけないことについて述べています。
 相手を「個」として見る力と、あるがままに存在している事実に頷き1つ返せる力の2つです。
 ただ、これを思いついた当初から「後者は何て難易度が高いんだろう」と感じていました。

 枝瀬泰さんの記事と、中山翼飛さんとりょーやんさんのコメントを見て、私はこう感じました。


私のコメントです。午前2:51……。

 何かにつけて感情が先走ってしまうのが人間なのかな、と思いました。
 心の余裕がないなど要因は様々あるでしょうが、「相手の背景」を気にするなんて至難の業です。
 「あんな対応あり得ないと思ったけれど、相手なりの一生懸命だったのかもしれない」なんて考え、強いる方が酷なほど難しい。

 上記にもある通り、私は「先生」によって心を病み、「先生」によって心を救われました。両方を経験しているからこそ、難しさがわかります。
 例えば傷つけられて間もない当時の私に「先生は悪者じゃないよ、ちょっと価値観が合わなかっただけさ」なんて言う輩がいたら殴ってでも止めます。
 タイミングを間違えば、「私の感じ方がおかしいんだ」or「向こうがイカれてんだ」と坂を転げ落ちるようにして極端に考えてしまうからです。これじゃ誰も幸せになれないし、私も苦しいままでしたから。

 加えて、自分のやり方を無理やり変える必要はないとも思っています。
 逆を言えば、そのままのあなただからこそ救える人がきっといると思うのです。ミルクパズルのように、当てはめるのが難しいだけで、きっと合うピースが存在すると思うのです。

 多様化とは、救われる道を増やすことなのかもしれません。
 どんなやり方がその人に合うのかまだわからないから、やれることは全部やってみる……それが結果的に多様性を生むのかもしれません。

 自分を。相手を。無理に変えさせる必要はありません。やりたい行動、欲しい対応が食い違って感情任せになったとしても、別に構いません。
 後から「ああいう視点もあったってだけの話」と感じることができたら、それでいいのです。
 初手からパーフェクトコミュニケーションを叩き出せるほど、我々はすごくないのですから。

 人生100年時代という言葉もあります。いつ死ぬかなんて誰にもわからないけれど、だからって生き急ぐ必要もないのだと考えています。
 多様化の実現のため、私は即効性のある手段を追い求めていました。それを思いつけない自分を責めた瞬間もありました。
 でも、時間がかかるやり方だって、誰かの救いに変わる可能性がある。
 そう考えることができたのは、枝瀬先生の記事があったおかげです。この場を借りてお礼を言わせてください。本当にありがとうございます。

 私は私のままで。あなたもあなたのままで。
 時間をかけて生きていこうと思えました。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

 ……現在時刻3:59か、タイトル画像の編集と誤字脱字チェックを含めたら、寝つけるのは何時になるやら……。

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