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相手を全体像で見られる人になりたいと思った話。

 こんにちは、スミレです。
 冬休みに入る前、学校の先生たちと年賀状について話す機会がありました。年末ということで記事にしてみます。

 職員室付近での立ち話だったので、通りすがりの先生も巻き込み、3人それぞれの意見を聞くことができました。
 まずはA先生のターンです。

A先生「俺、年賀状とか嫌いなんだよね」

私「え、そうなんですか?」

A先生「なんかこう、出さなかったりお返ししなかったりすると、冷たい奴って思われる空気が嫌いというか」

私「あー、そういうことなら確かに……(年賀状にもお返しとかあったんだ)」

 最初は「嫌いって、そんなに?」と思いましたが、空気感については私も嫌かもしれません。
 年賀状1つで冷たい呼ばわりと考えると……う〜ん。
 毎年欠かさず年賀状を送ってくれるタイプの殺人鬼だっているかもしれないのに、ちょっと安直がすぎる気もするような……。

 A先生は「俺は送らない。そしたら送られることもなくなったけど、そっちの方が断然心地いい」と話していました。
 冷たいって思いますか?普段から学校で接する機会の多い私から言わせてもらうと、穏やかながらもユーモアたっぷりで素敵な先生ですよ。

 続いてB先生のターンです。

A先生「B先生は年賀状ってどうしてます?毎年送ってます?」

B先生「あたし?結婚した年と出産した年には出したけど、それ以外は全く」

私「(確かに年賀状のテンプレートでよく見るかも、結婚と出産)」

 普段から連絡を取ったりしない、顔を合わせたりしない相手の場合、年賀状は報告のいい機会なのかな、と思いました。

 これも私から見た印象になりますが、B先生は暖かい上にThe・しっかり者って感じの先生です。なんというか、さすが母親って感じがする。

最後にC先生のターンです。

A先生「そう、C先生が言ったの!」

C先生「何が?」

A先生「年賀状送らないのを冷たいって言ってたじゃないですか」

C先生「ああ、赴任して1年目の時の話ね。冷たいでしょうよ、それにお返しも嫌とか言うし」

私「(意外なところで対立が判明⁉︎でもなんか、じゃれあいみたいな空気感が漂っているような……?)」

C先生「どう思う?もらってもお返ししたくないって」

私「う、う〜ん。もらったものが嬉しかったり相手との仲がよかったら、自然とお返ししたいと思えそうですけど。なんか、礼儀とか言われるとプレッシャーになる気もします」

 中立の立場を目指してそう言いましたが、ウソではなく本音です。しかし今気づいたのですが、まるでA先生とC先生が実は険悪とも捉えられそうな表現をしていますね、私。
 そんなことはない、はず、少なくとも一生徒から見たら。私が呑気なのかもしれませんが、2人ともガチで言い合っているようには確かに感じられなかったと記憶しています。
 ちなみにC先生も穏やかで、生徒たちともよくコミュニケーションを取り合っています。恋愛相談に乗っている様子も何度か目撃しています。
 というか、うちの高校の先生たちってみんなそうなんですよ。物静かだったりはつらつだったり、個性もありつつ、暖かい。職員室からはよく笑い声が聞こえてきますし。これは年賀状1つで揺らぐものではありません。

 3人の先生とお話ししましたが、結局は「自分のやり方を貫けばいい」というところで落ち着きました。
 その話し合いを振り返って考えたのは、行動1つで相手がどんな人間か決めつけるのはよくないということです。

 先述の通り、毎年欠かさず年賀状を送る・返すタイプの殺人鬼だっているかもしれませんし、毎年送らず返さずの聖人だっているかもしれません。
 年賀状1つに限っても、A先生のように形式張った交流を苦手とする人がいるし、B先生のように形式に則るかどうかを自分で判断する人がいるし、C先生のように親愛表現と形式がたまたま一致する人がいる。
 ちなみに私は、普段はA先生寄りです。一度だけ暑中見舞いを中学の恩師に送りましたが、それはC先生寄りの気持ちでした。

 ハガキ1つで人間性の良し悪しは決められないでしょう。送ってくれないから冷たいとか、送ってくるから堅苦しいとか。
 日常のどの場面を切り取っても、つい相手に何かしらのレッテルを貼ることって意外と多いと思うのです。実を言うと私もよくやらかします。
 ですがそういった、行動の1つだけから見出した評価が全てではないことを意識したいと思います。時間はかかるでしょうけれど、なるべくその人の全体像を見てあげられる人間になりたいです。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

#年末の過ごし方


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