対話って難しい
こんにちは、スミレです。
探究の授業にて、綺麗なほどに真逆な価値観の人と話し合う機会がありました。以下、知人Oと表記します。
どう逆だったのかをざっくり説明しますと、以下の通りです。
多様化について、どう思うか
私……すぐにでも必要なものだと思う、革新派
知人O……危険な思想だと思う、保守派
これにはお互いにビックリしたんですよ。もっと言うと、探究の授業を担当している先生もビックリしたことだったんです。
なにせ2人とも、より過ごしやすい社会を望む者「同志」で、だからこそ探究の授業に参加していたのですから。そう、「同志」なのです。家制度とか家父長制とか、そういうワードに興味があって授業に参加している同志なのです。
驚きが勝ってしまって、先生も含めお互いに困惑したままチャイムがなってしまいました。これではいけないと思ったので、次に話し合える機会が来るまでに準備をしよう、と考えました。
私が通っている通信制高校には、話し合い/グループディスカッションのやり方について学べる授業があります。対人に慣れることを目的に参加していましたが、今こそ応用する時だと思いました。
授業スライドを参考にしながら準備したことを、途中報告にはなりますが書いていこうと思います。
まず、困惑したまま終わった話し合いの中身を振り返ってみました。
真っ先に気がついたのは、私も知人Oも「滑りやすい坂」を転げ落ちていたことです。
滑りやすい坂とは、1つ許せばどんどん悪い方向に向かっていくのではないか、という思い込みです。例えば、厳しい校則について「髪色を自由にしたら他のところでもトコトン風紀が乱れる」というようなアレです。
今回の件で言うと以下の通り。
私「旧来のシステムばかり支持していたら、個性のコの字も無くなってしまう」
知人O「多様を少しずつでも認めたら、いずれ日本のニの字も無くなってしまう」
2人とも、光の速さで、極端な方向に転げ落ちています。
私は、現状のままだと生き苦しい側の人たちばかりを見ていた。
知人Oは、多様性と日本でテセウスの船を想起していた。
そら話し合いも平行線のまま終わるわな、と今更ながら反省しています。
次に、話し合いの目的が曖昧のまま、ただ時間を浪費してしまったことに気づきました。
いえ、「同志」ということもあって、私が「知人Oも私と似通った価値観を持っているだろう」と勝手に期待してしまっていた、と言った方が正確でしょうか。
グループディスカッションのやり方を学ぶ授業では、初回に議論と対話の違いについて教わりました。
議論……問題の解決策や、次の行動を決めるところまで話し合う
対話……相手を深く理解したい時や、たくさんのアイディアを出したい時に使う
今回の件でいうと、最初は議論を想定していた→そもそも価値観が違うことに初めて気づいた→ビックリ→対話に移れなかった、という感じです。
これでは話し合いの目的が定まらなくて当然、これも反省ですね。
さて、ひとしきり反省点を洗い出したところで。
次は「話し合う目的は何なのか」について考えました。
知人Oは登校頻度があまり高くないので会う機会も少なく、彼が目的にしたいことを直接聞くことができません。なので先に、私が目的にしたいことは何かを考えました。
端的に言うと、実りある対話にしたい、です。そらそうだ、端的にしすぎた。
まず私の解釈として、多様性を認めることと、価値観を潰し合うことは全くの別物です。そこを知人Oにしっかりと伝える必要があったと思います。
私とて誰かの価値観や考えを矯正したいだなんて思っていませんし、それは多様化とは別物だと考えています。
私は「ビバ、多様性」と言っているわけですから、知人Oには「自分の価値観を潰そうとする脅威」として映っている可能性もあります。
決してそんなつもりはないと、敵意はないと伝えて、お互いに安心できる話し合いの場を整えたいです。
むしろ、真逆だからこそ深い探究にできるはずです。ほら、ヘーゲルも弁証法を唱えているわけですし。せっかく授業内で正と反が揃ったのですから、合を目指すしかないじゃない。
また、話し合いの前に、働きそうなバイアスに目星をつけるといい、とも教わっていました。授業内で紹介されていた錯思コレクションというサイトを参考にしながら考えてみました。目星をつけたうちの2つを書きます。
1つ目は真実性の錯覚。本当は正しくなくても、繰り返し触れた情報が真実であると思い込んでしまうことです。私の周りには家制度の名残を嫌う人間が多かったので、真に受け過ぎていないか注意した方がいいと考えました。
2つ目はバックファイア効果。都合の悪い情報に触れると、それを否定することで自分の信念がより強固なものになることです。都合が悪い情報や意見は、自分の価値観や考えをレベルアップさせられるチャンスであることを意識したいと考えました。
……と、色々考えて一応は満足したので、先生と共有しました。本記事の最初に登場した、探究の授業を担当している先生です。
先生からの感想としては、戦場でも同じように考え抜いて対話できればいいのにね、だそうです。
先生「話し合いって、終わり方には3パターンあると思う。
片方が勝ってもう片方が負ける、Win-Winで終わる、そして両者敗北。戦争なんかは両者敗北だよね、傷つけあって終わる。特に感情混じりになっちゃうと冷静に座っていられないでしょう?
俺らが目指すべきはWin-Winで終わることだと思う、つまりヘーゲルと言う合に辿り着くってこと。1人対1人というミクロな場所でこれができてこそ、平和が実現するんじゃないかな。みんなもスミレみたいに考えられればいいけど」
目の前の一個人を尊重できる人間になることが私の目標で、正直、世界全体にはそこまで関心がありません。
先生の感想にはやや萎縮してしまいましたが、誰も死なないに越したことはないので、自信を持とうと思います。
しかしまあ、対話って難しいんですね。今まであまり意識していませんでしたが、いやそのせいかもしれませんが、考え過ぎて頭が痛いです。
難しいからと考えることを放棄せず、挑戦し続けた未来の自分がカッコいいであろうことを期待して頑張ります。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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