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「よっ友」ってすごい、というか「挨拶」ってすごい。

 こんにちは、スミレです。
 昨日、こんなつぶやきをしました。↓

 バスの話は部外者視点からでしたが、それでもnoteに投稿したくなるほどほっこりする「よっ」という挨拶。当事者になってほっこりしないはずがありません、今回はそういう話をします。

 高校入学当初、先生からこんなお話がありました。

「たくさんは話せなくてもいいから、まずは『よっ友』から作ってみよう」

 よっ友とは。見かけた時やすれ違いざまなどで、短い挨拶だけ交わす程度の仲の知り合い、の意であります。
 「よっ」だけに限らず、「おはよう」でも「……(会釈)」でも「……(小さく手を振る)」でも構いません。それだけ済んだら、通り過ぎても結構。

 挨拶を交わせる相手が学校にはいる、そこから得られる安心感というものを体感してほしいとのことでした。実際、私はそれで登校しやすくなりました。

 挨拶、ほっこりします。浅識ゆえに理屈は知りませんが。
 ただ困ったことに、私から「よっ」って言えません。
 『自分から』声をかける、という行為がてんで出来ないのです。3年も経っておいて、未だに治せず仕舞いになりそうな、自分の嫌いなところです。

 今通っている高校、優しい人が多くって。
 勇気を出して言った「よっ」が冷たくあしらわれることは滅多になくって。
 実際私も暖かく「よっ」を返してもらっています。
 ……いや、実際には「……(手を振る)」に対して「おはよう!」を返してもらっている、あるいは「お疲れ!」に対して「……(会釈)」を返しているという有様ですが。冷静に振り返ったら不平等貿易押し付けてるみたいで酷い()。

 言ってもらってから、慌てて返す、を繰り返しています。

 先日、学校で卒業対策委員の集まりがありまして。2つにグループ分けしたうちの1つに属していた私たちは、想定より早く作業が終わって「わ〜い」と喜んでいました。
 早く終わった以外にも、作業中にメンバーとたくさん言葉を交わせた、素晴らしい1日でした。……あ、たくさんというのは私基準ですので、側から見ると無口気味だったことでしょう。

 ともかく、良い1日だった。
 良い1日を過ごさせてくれたメンバーに「お疲れ!」と言って帰ろう。

 自然とそう思えたところまでは良かったのですが、言えなかった。

 いざ声を出そうとすると、緊張で帰り支度の手すら止まってしまう。
 固まっている間にメンバーの半分が「お疲れ!」を言い合って帰っていく。

 慣れからくる一周回って凪いだ心を抱え、やっとの思いでリュックを背負うと、まだ残っていたメンバーが「お疲れ〜」と手を振ってくれた。
 私はまた慌てて手を振り返し、「お疲れ」と蚊の鳴くような声で応えました。

 言えた、挨拶できた。ほっこり。
 また相手の方から挨拶してもらった、自分から行けなかった。しょんぼり。

 どうしたもんかなぁ、これ、と。
 消化出来ないまま、帰りのバスで運転手さん同士の「よっ」を見て、やっぱり挨拶っていいよなぁ、と。

 グルグル考えていたら、家に着く頃にはぐったり疲れてしまいました。
 疲れたとて、やっぱりあの日は良い1日でした。挨拶って本当にすごい。あとは自分から行ければどんなにいいか。

 次の集まりでは私から「お疲れ」と言おう、と決心したところで今日の記事は終わりです。
 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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