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HSPと公言することは悪なのか


「わたし、HSPです」

面と向かって誰かに言ったことはないが、
noteではHSPであることを公言している。

しかしとある記事を見つけた。

HSPと公言することで他人に配慮を求めているように聞こえる。
察する能力を期待されているようで息が詰まる

と。

あぁ、そんなふうに思うのか。
と一瞬思ったが
いや当たり前か、とも思った。

なぜなら私は家族以外の周囲の人間にはHSPであることを公言していない。

理由は1つ。
言ってしまうと、傷つきやすい人認定されそうで
相手に気を使わせてしまうと思っているからだ。

HSPという言葉が認知され始めている今日。
別名繊細さんとも言われる気質のため
周知されつつあるがどこか生きにくそうな印象を持たれていると思うのだ。

現に今までも○○しすぎという言葉を
言われ続けてきた。
気にしすぎな人からわたし実はHSPなんです。
と突然言われたら、誰しも返答に困るだろう。
職場の人なら尚更。
わたしに気を使って仕事してくださいね、とも
言っているのかと思われそうだからだ。
(これこそ考えすぎなのかもしれないが)

だけど、わたしなりの意見を
聞いていただけないだろうか。
(争いたいとかそんなのは微塵も思ってない)

HSPなので優しくしてね。配慮してね。
とかそんなふうに思ったことは1度もなかった。
だってほんの2.3年前まで自分が
HSPであると知らずに生きてきたんだもの。
ただの○○しすぎの考えすぎネガティブ思考人間と
思って生きてきた。

でもHSPという自分の生きづらさの「名前」みたいなのを与えられたことは、むしろ救いでしかなくて。

そうか、自分はこういう気質の持ち主なのか。
しかも5人に1人はいるらしい。なんだ、普通じゃないか。

と、名前がつくことは自分を受け止める準備が出来たというか。
ずっと抱えていたモヤモヤに折り合いがついた気がして、とにかく心が軽くなったのだ。
だから、他人にどうこうしてほしいとか正直思ったことがなくて。

ましてや、公言することでゴールが見えない生きづらさの理由探しをしてる方や、自分を変えようと必死になっている誰かに、HSPかもしれないよ。と知るきっかけ作りにもなるかなと思っていたくらいだ。
手助けにはならずとも、HSPかもしれない…?と気質の存在を知るか知らないかでも心の軽さは変わると思った。

そして、HSPのわたしはこんなふうに考えて生きてます。自問自答しながら、もがきながら、より良く生きるために日々がむしゃらに生きてるよっていうことを記録として残したくて。
ただそれだけのことだった。

改めて、なぜ公言するのかと聞かれればこう答える。

HSPのわたしだからこそ感じられる
日々の思い、気づき、学びなどを
記録として残したいから。

そして、5人に1人はいるのだから同じように
悩んでいる人がきっとたくさんいる。
共感してもらえたら嬉しいし、
わたしも共感したいし、
たくさんの人と繋がることで
もっと自分を知れると思うから。
自分を知ること=自己成長にも繋がると思ってるから。


正直、言い訳にしか聞こえないかもしれないし
誰かの反感を買いそうだったから公開するか悩んだ。怖かった。むしろ今も怖い。

でも、少しでもHSPを公言する意味についての
見方が少しでも変わってくれればなと思い公開した。

ただ思ったことを文字にぶつけたから
言葉が悪かったり、伝わらない文章になっているかもしれない。
読んでくれた方、ありがとうございます。

次回はHSPのわたしがやめてよかったこと
③夜更かしについて述べる予定です。

読んでくれたら嬉しいです!!!
では、また🍀

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