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自分のことを1500回綴っても、自分のことなんてわからない

現在noteを毎日更新中で、1220日くらいに到達しています。

それ以前も年100本くらいは書いていたので、おそらく累計で1500本くらいnoteを書いています。

この本数を自慢したいわけではなく、タイトルにもある通り「自分のことを1500回綴っても、自分のことなんてわからない」という気づきを書きたいと思います。

「自分のことなんて自分じゃわからない」とやっぱり思います。


僕のnoteは、基本的に僕が感じたことや経験したこと、その時置かれている状況について書いています。

要するに、主語は全部僕です。

インタビュー記事などは書いていないので、本当に自分のことしか書いていません。

これを書いていて思ったのですが、自分のことだけでよく1500本も書けますね。

でも、不思議と書けるし、ネタがポンポン出てくるんですよ。


そんな、自分が主語の記事を1500本書いても、自分のことを1500回深掘りしても、自分のことなんて本当にわかりません。

自分の性格もわからないし、好きなこともわからないし、時々感情がコントロール不可能になるし。

わからない、というより言語化できない、の方が近い気もしますが。

とにかく、1500本書いたって自分のトリセツは1Pも作れませんでした。


若い人に多いのですが、「私ってこういう人間だから〜」と言う人いるじゃないですか。

全然悪いことじゃないのですが、あれは自分の表面的に見えているものに過ぎなくて、深掘りしていけば「あれ、こういう人間だと思ってるのはなんでだっけ?」という領域に達します。

自分自身を疑う領域まで来て、初めて自分自身について考え始めるものだと思っています。

あれは、自分を理解しているのではなく、自分自身が見えている範囲で自分に評価をつけているだけ。


そして、自分以上に自分をわかってくれる人が必ずいるので、その人のそばにいることが大切なのだ、と最近はよく思います。

自分を理解するため、ではなく、自分を理解してくれていると安心できるため、です。

だから、自分を理解するよりも、自分を理解してもらうことの方が大切なのでしょう。

1500回自分のことを考えるより、その人と一日一緒にいた方がよっぽど幸せな気がします。

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