宗教について|ある映画研究者との対話 7 すみ 2022年5月17日 10:49 すみさん別件ですが、かつてキリシタンが大量虐殺された(俺の生まれ故郷の)長崎にあるキリスト教会(100箇所以上)を見て回ってみたいという欲望に近年駆られています。俺はまったくの無神論者なのですが、長崎地方は今日にいたるまで、たぶん日本一、大量のクリスチャンがいる所なんですよね? だとすれば当時、悪しき仏教僧侶に慰められることのなかった日本人のなかでは長崎人だけが、ザビエルらキリスト教徒によってクリスチャニティの良き側面をもたらしてもらった幸福な、そして当時の権威政権から惨殺された不幸な人達なんですよね?もっとも俺の両親は、徳川幕府に虐殺されて人口がほぼゼロになった後、日本の余所からの移民がつくった島原(長崎)で生まれ育ったので、厳密な意味では長崎人とは言えないですよね。イタリアやギリシアの田舎の教会にも、なぜかしら俺は魅了されてきました。バチカン市国教会は、内部のバロック宗教美術は大変おもしろいけれど、教会としてはちょっと苦手です。ああ、俺も無神論から乖離できたら良いなあ~。すみさんが信仰心をもっているなんて、うらやましいです。俺は人間がつくったものは科学や宗教すべて最悪なもので、唯一イデオロギーから乖離しようとしてきた芸術だけが人間の創造物として最高だと思ってきたのだけれど、芸術だけでは俺の精神は当然救われることなんかないですからね。KMM君から私へのメールより 2012年1月22日M君数年前に長崎、佐世保、平戸の教会巡りをしたことがあります。印象的だったのは平戸の聖ザビエル教会と、外海そとめの遠藤周作記念館の近くにある出津しつ教会ですが、M君がイタリアやギリシアの田舎の教会をみているのなら、観光地化されている日本の教会にがっかりするのではないかしら。禁教になる直前、日本のキリシタンの数は当時の総人口の3%まで増えていたと推定できると、どこかで読みました。現在は全国で1%にも満たないし、その中には単に先祖の墓地が教会にあるなど「家」の宗教が一応キリスト教だけどミサには行かないという人たちもいるから、長崎地方は「大量のクリスチャンがいる所」というのはどうかな?弾圧が始まってからキリシタンたちをかくまった僧侶や神官もいました。特に田舎や離島ではね。集落がまるごと寺や神社の隠れ蓑に包まれ、奥で密かにキリシタンの祈りを唱え続けるという形で300年間「クリスチャン」が生き残っていたところもあります。それが、明治になって禁教が解けると、それまで自分たちを守り続けてくれた仏堂やお社が破壊されるという不幸な出来事もあった。どこだったかな。。。観光客用にきれいに整備されたカトリック教会の裏手の山に、鬱蒼とした森があって。その森を見ながら、昔はたぶんここに木造のお堂が立っていて、マリア観音が納められていて、隠れキリシタンたちが通っていたのかもしれない。。。と思ったら、とても悲しくなったよ。カトリックって説明できないけど、たとえていえば、ボロボロでつぎはぎだらけの毛布みたいなものかな。私の場合は、幼い時のある寒い日に肩にかけてもらってその心地よさを知った。あとでよく見たらどうしようもなく古くて汚くて臭いニオイの染みついた代物しろものなんだけど、だからこそ暖かいのかもね。 いろんな人が「そろそろ洗濯だ!」ってときどき大騒ぎになるけど、下手に洗ってしまうと、とんでもないことになるのよ(笑)すみ私からM君への返信より 2012年1月22日 『沈黙』のキリシタンは、結局なにを拝んでいたのか?(畑中 章宏) @gendai_biz 映画『沈黙-サイレンス-』は、遠藤周作の長編小説『沈黙』(1966年)を原作に、マーティン・スコセッシが長年の構想を実現し gendai.ismedia.jp すみさんNHKの毎週日曜日午前5時に録画している番組「こころの時代 人生と宗教」は1年に2〜3人ほど、すごい人間がインタビューに出てくる。まあ90%は、所詮、つまらない、見てくれだけの、へなちょこ大学総長や精神科医や僧侶なのですが、今回、何人もの弟子がいる禅寺の僧主(ということになっている)84歳の坊さんが、ただ座禅の数息法がセロトニンを分泌してくれるらしいから、ただもうそれだけで、人類の文明や個人の理想像の馬鹿らしさ、また宗教につきものの極楽浄土や天国や地獄なんかのヴィジョンなどどうでも良い、ただ今ここに自分が宇宙と一体化できる心身が生成する座禅(とすら、この坊さんは呼ばないのですが)によって得られて、もうただそれだけでよいのだと、寄付金によって成立している禅寺という立派な外見の建物を維持しながら、仏教禅宗など、人間にとっては何の意味がないとまで遠回しに言い切る、ものすごいお坊さんでした。このお坊さんは、宗教イデオロギーから完全に乖離して、そのうえで、宗教観をまだまだ維持したいと願う人々のために宗教指導者の役目も引き受けつつ、宗教(信仰心)を越えたところに人間のささやかな幸福��ヾ兇♢△襪里世伴┷兇靴討い董∨榲�〔注、元のメールが文字化けしていた〕にすごい人だと思いました。俺も若い頃、座禅(らしきもの)をやっていましたが、本当に、あれは心洗われますよね。宗教イデオロギーから離脱した宗教家、この矛盾を引き受け得る、まったくすごい御老人でした(本人はもう20年も癌を患っているにもかかわらず)。本番組「こころの時代 人生と宗教」の今回のサブタイトルは「ありのまま生きる」でした。KMM君から私へのメールより 2012年1月24日NHKアーカイブスを調べたら、正確なサブタイトルは「ただ、ありのままに生きる」で、M君がメールで「まったくすごい御老人」と書いている方は板橋興宗いたばしこうしゅうさんだった。 生きててもいいかしら?―生と死をめぐる対話 www.amazon.co.jp 176円 (2022年05月17日 08:39時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 見出し画像はスコセッシの映画「沈黙ーサイレンスー」より ダウンロード copy #仏教 #宗教 #長崎 #カトリック #沈黙 #座禅 #遠藤周作 #禅宗 #隠れキリシタン #潜伏キリシタン #沈黙サイレンス #日本人の宗教観 #板橋興宗 7