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僕と紅茶の話

僕は紅茶が好きだ。より正確に言うならば、ムレスナティーのフレーバーティーが好きだ。

同じ「ローズ」のフレーバーでも、他に入れるフレーバーによって表情が変わり、砂糖とのマリアージュでさらに変わるのが好きだ。

もちろん、自分に合わないフレーバーも色々ある。でも、石にノミを差し込むように、自分に合わないものを一つ見つけるたびに、自分の輪郭が浮き彫りになるのだ。だから、自分に合わないフレーバーでも、存在してくれることがうれしいなあ、と思ったりする。

そして味覚は人それぞれだ。僕はメロンフレーバーがあまり得意ではないが、この前はメロンが大好きな人がヨイバーに来てくれた。紅茶を人と飲んでるとそういうことがしばしばあり、たいへん楽しい。これは普段の生活ではあまり感じられないことだ。

社会は、歯車となって、代替が利くように工夫して、効率化することで発展している。その中では個性は削り取ってやるか、強調して「そういう形の歯車」としてはめ込まれる必要がある。誰かが「個性」とやらで全体のリズムを崩すと、そのフォローのために他の誰かに負担がかかる。だから個性を削り取る。
経済的に最適な振る舞いに洗練されていけばいくほど、本当の、雑味がある自分の形を忘れてしまう。

でも、味覚比べであるならば、何が好きで何が嫌いでいようが、なんにもならない。僕が何かを嫌いでいることは、他人が何かを好きでいることを全く阻害しない。

だから、味覚比べの面白さを伝えたくて、僕は紅茶を淹れている。
あなたがおいしいと笑顔で伝えてくれるのはもちろん嬉しいし、なんでもおいしいって言ってもらえると、自分の審美眼に自信が持ててよいのだけど。
実のところ、ちょっと怪訝そうな顔でコップを覗き込んだ瞬間を見るのが一番嬉しかったりするのだ。

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