見出し画像

「誰よりも価値のない私」を、受け入れる

先日の流れから、結局私が何よりも受け入れられなかったのは、「醜い私」でも「身分の低い私」でもない、「価値の無さすぎる自分」だったことにたどり着きました。

私の価値のない問題については、自分でも以前から薄々気付いてはいましたが、直視したくないあまりに今まで何年も放置して来てしまいました。

ちなみにどれだけの価値のなさかというと、この世に存在する生物の中で私ほど他人を不幸にさせてしまう人間はおらず、その罪深さは実在する殺人犯や死刑囚の比ではない(実際の私はスピード違反すらありません)、私ほどその存在自体が間違っていて、生きてる意味のない人間こそが牢屋に入ればいいのにと、昔はよく思っていたものです。


だからこそ、自分のこれまでの人生を振り替えっても、常に自分が「誰よりも優れて(群れの頂点に居たい)」なければいけなかったのは、そんな自分の価値のなさを少しでも補うためだったこと。
そして、そんな自分のことをいかに周囲に見破られることなく「なんでも分かってる(出来る)」フリで、あたかも「人並みに」私も価値のある存在なんだと自分に言い聞かせながら来たことを思い出しながら、そんな己の行動の数々に対するしんどさを、今はひしひしと痛感しつつもあるところです。

そんな中で先日、散々自分には「価値がない、価値がない」と言いながらも私その前に、「自分は誰よりも価値あるって思ってた」ことに気付いてしまいました。


「なんだ…」と拍子抜けしましたし、だいぶ自分がイタイやつで、恥ずかしくもなりました。

何を勝手に一人でギャーギャーやって、ある意味優越に浸ってたんだかって。


初めっから、どう頑張っても「無い」ものを「無い」と受け入れられなかったのは何を隠そう私でしたし、その瞬間、ずっと頂点に君臨しなければいけなかった自分の足元が一気に崩れたのと同時に、「もう(上に行かなくて)いいのか」と地味に下にいることへの安心感すら感じてもいました。


しかしそうは言いつつも、これで長年の問題が一気に解消しました、私はもう自分の価値に左右されない人生を送りますなんてことはなく、日々日常で自分に起こる現実に一ミリもまだ素直になれないことに、「どうしたら」ちゃんと受け入れたことになるのかを考えながらモヤモヤしていたところで、師匠のこちらの記事。

「なるほど、そういう事か!!」と思ったと同時に、私の場合は「どうしていこうかなあ」と。

それを考えながらさっきウォーキング中に思ったのは、「私が本当にやりたいことに集中したい」ということでした。


今までの人生、いかに「価値がない自分」を感じないように生きるかということに必死で、そのために自分を「制限」することで頭がいっぱいだった私は、自由に自分のやりたいことが出来なかったことに「わずらわしさ」をも抱いていたようで(特に「失敗が怖い」など)、「そういや、自分に価値がないのを言い訳に色々素直になれなかったな」って、思ったんです。

もっと言うと、本当はもう、いつ自分の本当の姿が周りにバレて、よりいっそう肩身の狭い思いをしたり、妄想からの恐怖で自分をまくし立て(今いる地位を追いやられるような過去世の話はまた別の機会に)、人一倍自分に余計な負荷をかけて常に周りの目に怯えるような人生よりも、ただただ、自分のやるべきこと、自分が心からやりたいことだけに素直に集中してたいなって、そう思ったんです。


今まで散々認めたくなかった「誰よりも価値がない私」と共にもうひとつ、今は、なんの変哲もない「ただの私」がいます。


これから先はそんな私と一緒に、低くても広大な地面の上をただひたすら横並びに、力強く歩みを進められたらと思いました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?