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「食べる」苦痛

自分のことを「ただの偏食」で通してきた今までの私では全く気付けなかったことが、「どうやら私は食べるに対して問題がある」と自覚したことで、新たに見えてきたものがあります。


私と同じ「食」に対する悩みを抱える人へ向けて―

この先少しずつでも、その「重み」から解放されることを願い、今日これからの発信をお届けします。

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小学校から高校時代を思い返すと、朝昼晩と3食母の作る食事を「みっちり」身体に入れるのが、いつの間にか私の中で「当たり前」から「苦痛」に変わっていた自分がいる事に気付きました。

こうなんというか、押し付けがましいというか、とにかく「重い」。

まるで私の身体の中が、こちらが望んでないもの、私にとって必要のないもので勝手にいっぱいにされていくようで、動けない、「私の自由が効かなくなる」そんな感覚です。

そしてそれを感じた今日、私の中で怒りが湧いてきて、「これ以上あんたの言いなりになりたくない」という言葉も出てきました。

当時を少し語ると、我が家はご飯を残すと母の機嫌悪くなる家だったため、特に好き嫌いが多かった私にとっては、小さい頃から「食」に対するプレッシャーは人一倍大きかったかもしれません。

また、お菓子やジャンクフードを全く食べなかった記憶がないわけではありませんが、当時CMを見てどうしても食べたかった「ねるねるねるね」などの保存料が沢山入ったようなカラフル系のおやつは当然のようにねだっても買って貰えず、母に許されたお菓子(ヤンヤンつけボーとかポッキーとかアーモンドカステラ)を、ただ「与えられるまま」に食べていた記憶が。

要は、母の作ったものはとにかく「全て食べ切らねば」いけなかったため、そもそもそれ以外のもので自分のお腹を喜ばすようなことがあってはならず、常に胃に余力を持たさねばと思っていたのかどうなのか、何となくその辺を思うと緊張して、今も胃の当たりがキュッとなります。 

また、我が家は祖父母と同居していたせいなのかなんなのか、周りに比べると少々閉鎖的な家で、例えば「友達の家に遊びに行く」と母の機嫌が悪くなる印象が強くあり、周りの友達が頻繁に行っていたお泊まり会などのいわゆる「家同士の交流」が出来ず、その度に友達にはなんだかんだ理由を付けて断っていたのですが、何より「お母さんにダメって言われるからとはどうしても言えない、だって、お母さんが悲しむ」という思いが私の中で沸き立ち、実は、機嫌が悪くても怖くても、「大好きなお母さんを守りたい」そんな感情も出てきました。

そうみたいです、私今でも「お母さんを悲しませたくない」んです。

小学生の頃、それでも友達のお誕生日(昼の)には何度かお呼ばれして参加したのですが、何故か他所の家のコップやスプーンを使うのに抵抗を覚え、明らかにその家の「お母さん」が作ったであろう「からあげ」や「カレー」なんかは、とてもじゃないけど口に出来ない、「食べたくない」私がいました。

つい数日前までは、その時の自分を「私って潔癖なんだよね」で済ませて来ましたが、違いました。

他所の家の味というか、「自分の家との違いを知りたくない」、「お母さん(の、味)が間違ってるかもしれない事を、知りたくない」
そのことによって、「お母さんを裏切りたくなかった」私が、今ここにいます。



正直こうして書いている今も、実際母を裏切っているようでだいぶ心苦しく罪悪感でいっぱいですし、まだまだ自分の中で言い足りてない感満載で先が思いやられますが、まさか、自分が長年誤魔化してきた、ただの「太りたくない」とか、「食べたくない」問題に母が関係していたとは意外でした。

また今回自分の中で、自分が望まないものでお腹がいっぱいになるということは私にとって「自分の意思を主張出来なくなる」ようで嫌でしたし、余力(私の好きなもので満たしたい、胃袋の場所)が無いのも嫌だったことが分かったことで、また新たな自分に興味を持てたことが、今は何よりです。


𓎩 𓌉𓇋 𓌉◯𓇋 𓂑 𓌈 𓂅𓎩 ‎


今日の朝ご飯は、納豆オムレツ。

お昼は「大きなツインシュー」と柿の種(梅味)2袋に生クリームチョコ2粒とキットカット1枚、塩キャラメル2粒にバターサブレクッキー5枚にバタピー13粒。

夜は母が作ったじゃがいもと揚げかまぼこの煮物、玉ねぎの卵とじ、豚肉の生姜焼きで、どれも……私の「大好物」でした。

今まで自分のリアルな食事内容を人に知られたくなかったこと、そもそも他の誰かと比べようもなかったため、もはや自分が普通なのか偏食なのか、はたまた「少食なだけ」かは分かりませんが……

いつかの「私」と、どこかの「あなた」への参考になればと、何となく書いてみました。

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