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懺悔


「自分を、変える」
「自分の才能を、仕事にする」と決めて


その為に、全財産の全てを自分に投資し


リーディングに携わる中で人の魂に触れ、そこにある真実の声をもっと多くの人に伝えたいと想うようになりました。



途中、貯金の全てを失ったことによる、お金に関わる先の見えない恐怖や、過去の傷ついたままの自分が大暴れしてしてはその感情に巻き込まれながらも


状況を「頭で考えて」解決しようとするから、恐怖や不安がいつまでも付きまとうことが少しづつ分かってきてからは、ようやく自分の「感覚を信じる」ことの重要性を肌で実感し始め(とはいえ、未だに間違う)


紆余曲折ありながらも、気付くと「あの日」から既に一年が経っていました。



そして今―

自分と向き合い続ける過程の中で、自分が「摂食障害」だったということに気付いたのはつい先日のこと


これまで「自分は健全だ」と信じて疑わなかった、でも、確実に自分の中で存在していた「食べる」ことへの異様な制限と、それに対する苦痛と恐怖。


そこにある様々な感情、そして過去の記憶を行ったり来たりしているうちに


「好きっていったら嫌われる」
「人に嫌われるのが、怖い」自分が出てきました。


本当は「◯◯くんの事が好き」で、「人が、好き」で、そんな「みんなと一緒にいたい」だけなのに、自分が「好きだ」と認めたところで、自分「だけ」が好きなことがバレて虚しくなるのが嫌だから


「『好き』って言って、一緒にいられなくなるくらいだったら、嫌われてる方がマシだから―」



そうやって、そこに相手の存在などまるで無かったかのように我が物顔で振る舞おうとする、思わず目を背けたくなるような、心底見たくない最低最悪すぎる自分を目の前に


同時に今は、自分の中で今までしがみついていた物が静かに崩れ始める、そんな感覚を覚えています。


人に嫌われたくなかったからこそ、自分は誰よりも人の事を気にして、人の事(何を考えてるか)を分かって、人のことばかり考えて来たと勝手に思い込んで来たのは自分だけで、実際は「自分が人からどう思われるか」を考えてしか、行動して来なかったということ―


何を隠そう、「人に嫌われる」現実を創って来たのは、人に嫌われる行動を取ってきた、私のせいなんだってこと―


そもそも初めっから「なんでも分かってる、特別な自分」は、生まれてこの方、どこにも存在しなかったということ―



「私が、全部、間違ってた」


どこまでも最低最悪過ぎる自分を、今はただひたすら受け止めるに集中する中で


「ダメな自分」とか「ありのまま」とか、言うのは簡単ですが、本当に難しい現実を実感しています。










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