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全ての原因は、自分の中にある

さっきインスタで「メンタルクリニックに通って◯◯年です」という言葉をたまたま目にし、私も15年ほど前に、病院を取っかえ引っ変え通ってた時期があったことを思い出してました。


私は医者でも何かの専門家でも全くありませんが、「心の病」と評して名のつくものは、全て自分で治せる(自分の中に病を引き起こす原因があるという意味で)と思っています。

この事について、今から少し自分の過去の経験とそこから気付いたことを書きますが、少々お見苦しい内容になりますのと、決して今、同じ病を患ってる方の非難するものではないことをご承知の上、興味のある方だけご覧下さい。


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私の場合は「これ以上、責められたくない」という、きっかけとしてはただそれだけだったように思います。


ずっと、自分が鬱になった原因は当時の上司や職場環境など周りのせいにして来ましたが、実際のところは「ありのまま」の自分に素直になれなかった自分が引き起こした結果だったのだと、自分に向き合う過程の中でそう思うようになっていきました。


過去を振り返ると、人一倍私は実際の身の丈(能力)と現実(行動の結果)が伴わない、要は「(思い通りに)出来るって思ったのに、出来なかった」ことを経験することが多く、そのことで自分の中にある被害者意識をより強めてしまった印象があります。

言うなれば、「自分は誰よりも優れている(ハズ)なのに、それに見合った評価を周りから得られない」ことへの不満は常々抱えていて、その思いが強まるほど「バカにされた」、「みんなが私を苦しめる」「私って、ダメなんだ」と感じることが多くなって行ったように思います。

朝から晩まで上司からの「ダメ出し」に始まり、酷い時は彼らだけでなく連日お客さんにも怒鳴られ、それも一体一では無く周りにわんさと人がいる中で引き起こされる私の盛大な爆弾投下には、周囲にもだいぶ「見るに耐えない」意味で散々とご迷惑をかけてしまいましたが……
何より、あの羞恥心といったらそれは無かったです。


正直、毎日死にたかったし、消えたかった。

あんなに誰かを不快にさせられる自分の愚かさにはもう呆れるしかなく、そんな自分を殺したいって何度も思いましたし、とにかくその場から一刻も早く居なくなりたかったと同時に、みんなの記憶から「私」という人間の存在を抹消して欲しくてしょうがなくもありました。

で、「ん?いつも当たり前に出来てた事(朝の化粧から人との他愛無い会話まで)が出来ない…」と気付く頃には、周りから「休め」とか「病院に行った方がいい」とか言われて「発覚する」パターンです。

もうかれこれ過去二度も、いずれの職場で同じような失敗を繰り返し、鬱に至る始末です。


いずれも当時は、「自分の中に原因がある」なんて知る由もなかったですから、自分に起きてる「何もかも」を受け入れられず、ただひたすら眠剤や足がフワフワする(現実を見なくて済む)ような薬に依存したり、この苦しい状況を少しでも楽にしてくれる医者の助言を求めては、少しも症状が改善されないまま病院を転々としました。


時には、朝母親のハグが無ければ職場に向かえなかったり、薬の副作用で朦朧として中央分離帯を超えて逆走しようとしたり、この途方もない苦しみを誰かにわかって欲しくて、痛くてしょうがないのを必死にこらえながら、毎日手首も切りまくってました。


食べ物の味とか、そもそも何かを口から入れる意味すら分からなくなり、お酒と薬だけで虚無感をを満たすこともしばしばで、今思うと二度と味わいたくない、地味に壮絶だった時期でした。


……が。
いつからか当時の自分を振り返る中である時、「どこか自分に陶酔してなかったか?あたし。」と気付いてしまったことで、そこから自分に疑いの目(自分がなりたくて鬱になった)を向けるようになっていったのです。


実は昨日、両親にお金を貸してくださいと頭を下げた時にも、あの時の感覚を一瞬思い出していました。


「これ以上、自分を否定して欲しくない―」


そうなんです。
もうこれ以上、ダメな自分、弱い自分、人を怒らせてしまう自分、哀れな自分、誰よりも劣ってる自分、みっともない自分を、「誰にも否定して欲しくない」一心で、鬱を隠れ蓑にしてしまっていたことを。


だって病気になってしまえば、悪いのは「そのせい」に出来ますし、「特別扱い(実際は腫れ物)」して貰えますし、何よりこれ以上誰にも責められること無く、自分を変えなくていい安全地帯に居られましたから。


さらに今日じわじわと湧き上がってきたのは、あの時は到底認めることの出来なかった、そして今までも中々直視することが出来なかった、「私心底ダメなんだ」という思い。


これを機に改めて、自分は高みにいるような特別な人間では初めから全く無く(というかその勘違いがあったからこそ余計ギャップに傷付いてた)、いかに情けなくて惨めでしょうもない人間だったのかということを、静かに受け止めようと思います。


あの(鬱だった)時―
もう少し「ダメな自分」に素直で居られたら多少なりともその「ダメさ」を受け止められていたら、あれほど酷くはならなかったのかなあと思ったところで、あの経験があったからこその今なのでしょう。


今後は特に、自身の過去の鬱や今も尚向き合う摂食障害を通じて、そこに至った自分の中にある問題と向き合いながら、同じ病で苦しむ方に少しでもお役に立てるような発信が出来たらと、そのために色々模索中です。


ちなみに私の「鬱」はどう治ったのかという事については、自分の過去をひとつずつ振り返りながら、また後日改めて書く事にします。



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