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「母のカレーと消防カレー」

 昭和が終わる頃、魚屋で生計を立てていた我が家。昼夜を問わず、繁盛していた記憶がある。
 その頃、私はカギっ子の小学生。自分で玄関のカギを開け、飼っていた猫に「ただいまー」と言うのが日課だった。
 いつも忙しく店で働いていた元気な母は、「半ドン」授業の土曜の朝、「お昼はこれを食べとってね」と優しく私に伝えた。でも、それは残念ながら、出来合いの惣菜やカップ麺だった。
 私は、母の美味しいご飯が食べたい、いつもそう願う食べ盛りの少年でありながら、それをねだることができない気の小さな少年だった。

 しかし、時々、本当に時々ではあるが、土曜のお昼に家に戻ってきてくれた母。母は出来合いではない、手作りカレーをこしらえてくれた。
 凝ったカレーではない。短時間で作るカレー。玉葱をフライパンでじっくり炒めるわけではない。カレーの鍋に全ての具を入れ煮込んだ後、カレールーを入れて出来上がり。そんな簡単カレー。

 それでも母の手作りカレーは嬉しくて美味くて何度もおかわりをした。
 母は店から帰宅し、残りのカレーを夕食にと思っていたのか、鍋を見て、佐世保弁で言った。「お〜、カレーがなくなっとらす、美味しかったとね?」「簡単カレーやけん、そんなに美味しくなかけど、お腹は一杯になったやろ〜」「時間がなかけん、手抜きカレーでごめんねぇ」
 その食べ尽くされた鍋の中を、母は困ったように、でも嬉しそうに見つめていた。その顔は今でも忘れられない。


 それから月日は流れ、私は地元で働く消防士となった。
 腹が減っては戦ができぬ。現場で腹が減っては恐ろしい炎とは戦えない、しっかり食べて備えろ、消防署はそういう組織風土だった。
 消防署では、日曜のカレー作りが恒例だった。昼休みに仲間たちと準備する消防カレー。母の簡単カレーしか知らなかった私にとって、それは衝撃のカレーだった。
 大量の玉葱を飴色になるまで炒める。牛すじ肉で出汁をとる。様々なスパイスと存在感のある具たちを大きな鍋で半日煮込む。仕上げにはコーヒーや牛乳を足してコクを出す。手間はかかるが粋な消防カレー。私は日曜の勤務が好きだった。


 消防士となって数年、私はひょんな事から母への誕生日プレゼントとしてカレーを振る舞うことになった。
 消防署で培った料理の腕。私が料理する姿を、少し皺が増えた母は目を真ん丸にして見ていた。
 そして、出来上がったカレーを一緒に食べた。母は感想も言わず黙って食べていた。母は半分程を口にした後、「おいしかね〜」と佐世保弁で言った。「母ちゃんはこんなに上手く作りきらんけんね〜、あんたはすごかね〜」。私の成長を喜ぶと同時に、感想をなかなか口にしなかった、その「間(ま)」からは、昔、料理に手間をかけてあげられなかったという無念さが伝わってきた。
 しかし、私は思う。消防カレーと母のカレー。深い旨味があるのはやっぱり、母のカレーだ。「手間」よりも「愛情」が一番の隠し味となる。作り手の愛情が味わいを引き出すのだ。まだまだ、母には敵わない。


 歳老いた母は、忙しく働く妹夫婦と暮らしている。母もまた忙しそうに小さな孫たちの面倒を見ている。ひょっとすると、また簡単カレーを作っているのかな。
 母のカレーをもう一度食べたいな。

【あとがき】
私の主軸は、消防防災の活動について考えることです。

このエッセイは、あるコンテストに応募したのですが、見事に落選しました。 
しかし、一生懸命に書いたものが人の目に触れないのは、切ない思いがしましたので、noteで、誰かに、1人の方でもいいから、読んでほしくて投稿しました。

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