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「不適切にもほどがある!」とキャンセルカルチャー

今週は東京にいます。

家の掃除やら、荷物の整理やらで時間を潰している僕に、その友人からの連絡は突然やってきた。

やっほー!
と言うか、ハロー!
と言うか、ご無沙汰してます!!
note読ませていただきました!ぜひ、来月あたり東京地方にいるのであればお会いできると嬉しいです!!

大学時代の友人なのだけれども、大学時代これといって深く関わりがあったわけではない。話したのも数えるくらいしかないような気がする。僕は大学で陸上を、彼女はサッカーやソロリティに時間を割く中で、お互い接点がなく、コロナの訪れとともに、卒業式もないような中で離れ離れになり、はや4年近くが経つ。大学時代というのは僕にとって、一段と特別な時間だった。何せアメリカという、自分の全く知らない土地で4年間、友人とともに衣食をともにするのだ。

まあ、大学の話は置いておいて、彼女は日本で生まれ育ち、そこから両親の都合でハワイに渡り、人生の半分を日本とアメリカそれぞれのカルチャーに浸りながら生きてきた。そんな彼女が生まれ故郷である日本にいるとのことで、連絡をくれたのだ。早速、僕たちは会うことになった。

大学時代の話、コロナ禍の話(コロナで授業がオンラインに移行してから、”卒業”までの話)や、卒業後の仕事や暮らしなど。それまで、ほとんど会話をしたことがなかったとは思えないほど、話が弾んだ。おそらく、「日本」と「アメリカ」をお互い、価値観含めて、理解しているというのも大きいのだろう。例えば、仕事をするにしても、アメリカ的な個人主義で働くのか、それとも、日本的な集団主義で働くので、全く違う。日本の中でずっと暮らしていれば、日本のカルチャーに違和感を感じることは少ないだろうが、一度外の空気を吸うと、なんだか居心地が悪いような、そんな気がしてならない。

彼女は、岩手の祖母の家に滞在していた様子も共有してくれた。その話の中で出てきたのが「不適切にもほどがある!」というドラマの話である。

主演・阿部サダヲ×脚本・宮藤官九郎!昭和のダメおやじの「不適切」発言が、令和の停滞した空気をかき回す、意識低い系タイムスリップコメディ!ひょんなことから1986年から2024年の現代へタイムスリップしてしまった、阿部演じる“昭和のおじさん”・小川市郎(おがわ・いちろう)は、中学の体育教師で野球部の顧問を務め「地獄のオガワ」と恐れられている。(中略)コンプライアンス意識の低い“昭和のおじさん”の市郎からは、令和ではギリギリ“不適切”発言が飛び出す。しかし、そんな市郎の極論が、コンプラで縛られた令和の人々に考えるキッカケを与えていくことに。 昭和から令和へ、時代は変わっても、親が子を想う気持ち、子が親を疎ましく想う気持ち、誰かを愛する気持ちという変わらないものもある。妻を亡くした市郎とその一人娘、そしてタイムスリップしたことで出会う人々との絆を描くヒューマンコメディ!

彼女曰く、祖母と一緒に見ていると、「あーそれ、わかる!」というのが、お互いにあるそうで、ふだん意識にはあるのだけれども、言語化できていない「モヤモヤ」がうまく表現されていて面白いと薦められた。僕もさっそくTVerで観てみると、なかなか面白い。この時代に生きるものとして、その不自然さやいびつさが昭和との対比でうまく描かれている。

番組案内にあるように、そう、これはコメディなのである。

コメディ
西洋演劇で、悲劇に対立するもの。必ずしもおもしろおかしいものとは限らない。喜劇。

広辞苑

そんな中、僕はこんな記事をタイムラインで見かけた。

先日、ある媒体が主催するドラマ座談会に参加し、そこで、『ふてほど』は40〜50代以上が盛り上がっている一方、20〜30代の若い世代で脱落者が多いという話になった。昭和あるあるのコネタが理解できないからかと思ったが、話を聞いていくと、「差別やハラスメントの描写を見ていられない」という理由が多かった。
若い世代は古い価値観の人たちが年齢を重ねてようやく恐る恐る食べはじめた人権意識というアダムとイブの林檎を幼少期から口にしていて、その経験値の違いがこのドラマへの反応の違いなのかもしれない。

といったような意見が書かれていたのだが、僕は少し違和感を覚えた。前提として、これはコメディなのである。日本ではお笑いというと、漫才やコントを思い浮かべる人が多いかもしれないが、アメリカでいうお笑いとはスタンドアップ「コメディ」である。それは、日々感じる疑問やもやもや、違和感を笑いのかたちに昇華させるものであり、「コメディ」であることを前提として見ている人は笑う。たとえそこに不適切な表現が含まれていたとしてもだ。全部本当とは限らないのだから。

広義ではこれはキャンセルカルチャーの一部なのかもしれない。
キャンセル・カルチャーとは、主にソーシャルメディア上で、過去の言動などを理由に対象の人物を追放する、現代における排斥の形態の1つだ。

例えば、アメリカのスタンドアップコメディアンであるMatt Rifeは、最近のNetflixスタンドアップショー「Natural Selection」を公開した後、物議を醸した。このショーの中で、彼がが家庭内暴力の被害者に対して性差別的で不適切なコメントをしたとして、批判を受けたのだ。それに対して、オハイオ州立大学の女性、ジェンダー、セクシュアリティ研究の教授であり、コメディとポピュラーカルチャーを専門とするLinda Mizejewski氏は 「キャンセルカルチャーは会話を閉じる不幸な戦略であり、検閲や監視は決して良いアイデアではない」とも述べている。

いずれにしろ、過去を「キャンセル」したり「臭いものには蓋をする」ような、直視を避けるような姿勢では、より良い未来は築けないのではないか。そんなことを思った1週間であった。

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