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本当の探究とは? 探究学習に内在する矛盾

探究学習とは、生徒自身が自分で問題を設定し、その問題を解決するために情報を収集・分析し、意見を交換したり協働したりしながら進める学習活動のことです。反対に、探究的でない学びとは、先生が答えを知っており、教科書を使った講義を受けて、正解が決まっている問題を解くような授業を受けることだと言えます。探究学習では、あらかじめ決められた正解がない中で答えを考え出す活動を通して、導き出した結果だけでなく、どうやってそこにたどり着いたのかのプロセスが非常に重視されます。

ベネッセのホームページを見ると、探究学習についてこのように書いてある。この記事で述べたようにとある縁で、僕は現在高校生向けのオンラインの探究学習プログラムの運営の手伝いをしている。そんなことから、探究学習とは何なのか、一体このプログラムの理想の形は何なのかということについて、日々頭を捻らせている。

個人的には、そもそも探究「学習」が「教育」の中の一部に存在していること自体が未だ理解できていない。現在、千葉工業大学の学長を務める、伊藤穰一さんによれば、教育とは誰かに何かを与えられるもの、学びとは自ら自分のためにやることである。つまり自ら自分のためにやるのに、学校や先生といった「外部」からの動機付けによって探究をすること自体がどこか間違ってるような気もするのである。

グループで探究学習をする際の伴奏役となる大学生が、どのように進めていいかわからない、どのようにテーマ設定をしたらいいかわからないと言うような相談をプログラムの運営側にしてくることがある。そして僕を含めた運営側は、このように考えたら良いのでは?こうやったら面白そう!というようなことをアドバイスしたり、投げかけをするのである。これをふと外から見たときに、僕が思うのは、伴走役の大学生は探究「学習」はしたことがあるのだが、本当の意味での探究と言うものを果たしてしたことがあるのであろうかと言うことである。

僕自身、探究をしていると言う自覚は無いのだけれども、おそらく端から見たら探究しているのだろう。タイのソンクラーン祭りってなんでこんなに人を集めるのだろうかと言う疑問に対して、自分で調べたり、考えたりするのも一緒の探究活動なのかもしれない。あるいは自分でビジネスを立ち上げようと、国際カンファレンスの動画を見たり、そこから自分で仮説を持ってビジネスを構築し、ユーザにヒアリングをする。これもおそらく探究活動の1つになるのだろう。しかしながら、僕は誰かに言われて探究「学習」をしているのではない。ただ単に自分が面白いと思ったから自ら調べ、自ら考え、自ら行動しているだけである。

こう考えると、運営側のスタッフたちがアドバイスできるのもうなずける。これは僕の勝手な妄想なんだけれども、彼ら彼女らは自ら調べ、自ら考え、自ら行動することを日々実践しているのだ。だからこそ、探究テーマやその方法に対して「こうやったら面白いんじゃないの」と言うような視点を提供できるのではないか。きっと、その裏には「自分だったら、こうやったら面白いと思うんだけどなあ」というロジックが隠れているだろう。

言い換えれば、何事に対しても面白がる力を持っているのだと思う。そういった力がない人間が、あるいは、そういった姿勢を持たない人間が、探究「学習」をリードしても、あくまで、「学習」の範囲を超えないのではないか。これはおそらく、学校現場でよく言われていることのようにも思うが、どこの現場でも当てはまるのだろう。探究「学習」を超えて、それぞれの人生が探究「活動」になるような日が来ることを願って筆を置きたい。


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