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私が「自己肯定感」を拒絶してしまう理由

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。

私は、「自己肯定感」という言葉が苦手だ。

嫌いというわけではないが、どちらかと言えば近づきがたい存在だと感じる。

私は「自信」という言葉に近い定義だと認識していて、「自己肯定感が高まれば対人関係もうまくいく」という論理も、抽象的ではあるもののなんとなく理解できる。

しかし、頭では理屈をわかっていても、心では「自己肯定感」を拒絶してしまう。

いや、拒絶しているのではなく、私の心の奥底ではビビっているのかもしれない。

今日は、その理由を心を抉(えぐ)って考えることにしたい。

よく、メンタルの話になると、「固有名詞」が飛び交う。

ADHD、ASD、適応障害、HSP、⚫︎⚫︎ハラスメントなど。

自分自身に無縁の話でも、この言葉と意味はぼんやりと理解できる人が多いように思う。

「自己肯定感」も同じように、一時期ブームになって、なんとなく聞いたことがある人は多いのではないか。

私も人生で思い悩んでいたとき、自分は「自己肯定感」が低いと思い、どうすれば高くなるのかと模索していた。

ChatGPTがない当時は、Google検索が最先端の文明の利器だった。

Googleで検索すると、「小さな成功体験をすると自己肯定感が高まる」と書いてあった。

-これだ!これをすればいいのか!

私にとっては、目から鱗だった。翌日からこう思うことにした。

「毎朝起きること自体が成功じゃん」

その時は、自分が最強に思えた。誰から何を言われようと、自分は自分だ。

しかし、会社で言葉の暴力を受けた瞬間に、一瞬で鼻が折れる。少しばかり「自己肯定感」が高まったところで、1ラウンド目の序盤でKOされるのだ。

冷静に考えてみれば、あのギュウギュウに詰められた満員電車にいるすべての人が、朝早く起きている人ということになる。

特別、自分が「成功」しているわけなんかじゃない。

「小さな成功体験」って、一体なんなの?

私はそこで気づくわけである。「小さな成功体験」なんて、私の頭では理解できないということに。

同時に、「小さな成功体験」を理解できない私には、「自己肯定感」を高めることが不可能であることを悟るわけである。

いや、ちょっと待てよ。

私は、「小さな成功体験」を理解できないんじゃない。理解するのが怖いのだ。

自分の人生を細かく振り返れば、客観的には「成功」と言ってもいい経験は、少なからずあるはずだと思う。

ただ、「成功」を「成功」と捉えるのが怖いのだ。それはきっと、喪失体験の方が多かったからだ。

好きな人と付き合えても、すぐにフラれる。やっとの思いで就職できた会社に入っても、うまくいかずに色んな人に色んなことを言われる。一年間耐えて、クラスが変わっても、新しいクラスでいじめられる。

「成功」と思った矢先に「苦痛」がある。それを繰り返した。だから、私は「成功」を「成功」と思いたくないんだ。「成功」と思ってしまうと、「苦痛」が増幅してしまうから。

私は、「成功」を「成功」と思えない脳に、魔改造されていたのだった。

過去を振り返ると、私は比較して育てられてきた。

「兄に比べてお前は〜」「友だちと比べてお前は〜」

私の小さな耳から入ってきた音声は、そんな言葉ばかりだ。肯定的な言葉をもらうという経験が、あまりに少なかった。

そんな私は、人から褒められると、全力で自虐して茶化してしまうことが多い。これは謙遜と思われるかもしれないけど、自己防衛だ。

他人が自分のことを褒めてくれることは、とても嬉しいし、有難いという言葉にほかならない。

しかし、褒められると、私の心は窮屈に感じて、生理的に吐き気を催すのだ。

これは、呪いだ。私には「自己肯定」する資格が無いのだ。

呪いと佇む私は、目から光が消えていた。

しかし、光が消える目を擦ると、一つ気づいたことがあった。

幸せそうに生きる人が、「自己肯定感」なんて言葉を使ったところ、見たことあるだろうか?

私が知る限り、幸せに生きるあいつもこいつも、「自己肯定感」なんて言葉を使ったことなんてないじゃないか!

「自己肯定感」を高めることは幸せになるための一つの手段かもしれないが、決して唯一の手段ではない。

冷静に周囲を見渡せば、「自己肯定感を高める」と自称しつつ、過去の栄光にいつまでも縋りついている奴だってたくさんいるじゃないか。

だったら、自己肯定感なんて高くなくたっていい。むしろ、呪いで「自己肯定感」が高められないのなら、逆行してやろうじゃないか。

それが、この執筆でもやってきた、自分の心を抉る(えぐる)行為だ。

心を抉るのは痛い。あまりにも痛い。でも、これは自傷行為とは似て非なるものである。

だって、痛覚を超えた先に、あまりにも綺麗な景色があるから。それは、普段からポジティブな奴には辿り着けない絶景なんだ。

自分を肯定できないニンゲンには、他人に期待するのをやめるセンスがあるのではないかと思う。

ただでさえ動じやすい私の心は、他人に期待してしまうと、対人関係で裏切られたときのダメージは計り知れない。

ただ、心を抉った先に、「ニンゲンって所詮⚫︎⚫︎だよね」と半ば失望することで、自分にも他人にも期待するのをやめたら、心の中の荒波は小さくなり、逆に自分も他人も信頼できるようになった。

「成功」と思った矢先に「苦痛」がある。不器用な私は、ずっと同じ輪廻を繰り返すのだろう。

しかし、壁にぶつかったら、他人を責めるでもなく、自己肯定感を高めるのでもなく、私は徹底的に自分の心を抉る(えぐる)ことにする。

それが、私がやっと見つけた処世術なのだから。

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