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3月5日(土)

4時半起床。スピリチャル万葉集の新規原稿をnoteに転載したものの、解釈が納得いかずアップは保留。

午前中、ホーリー農園の作業。大豆のポットとダイコンに水やりしてから小松菜のウネにかけていた保温用のビニールはずす。

収穫したダイコンで塩麹漬けを作り、ふきのとうの天ぷらを揚げて、天ぷらうどん食べたところで、にわかに疲労感に襲われて昼寝。

夕方、親父の隠れ家だった離れの小屋を整理。昨年の秋からぼつぼつやって来て、ゴミはほぼ出し終えた。

古い女の人のドリンクを買いにチャリでやまやに行く。アップダウンがきつくて難儀だが、いい運動になる。最後の心臓破りの坂を押して上がっていた中学生が、横を漕ぎ上がる健脚おじさんを観てびっくりしていたは愉快だった。

「風呂」「めし」を済まして7時過ぎに床に入ってナイトシアター。「サラリーマンの死」観る。
破綻していくサラリーマンが、過去に人生の選択を誤ったことを悔いるシーンは、すべての老年には刺さるだろう。
「過去に悔いなし」が信条だが、このところ「それでもちょっぴりあるかな」になっていたところに、この映画は痛かった。
もともとが戯曲作品だけに、スクリーンに移しても演技の入れ込みようは半端ではなく、それが前半はうざったかったが、しだいに引き込まれてしまった。
愛憎なかばする父親に、最後の最後で息子が抱きついていくのは「エデンの東」の印象的なシーンとまったく同じ。監督のエリア・カザンが指導したかジェームス・ディーンが真似たのだろう。

昨夜観た「シン・ゴジラ」は逆で、セリフまわしも画面の展開も早すぎるせいか、俳優が役に入りきれていないのが気になった。監督が過剰な演技を嫌ったのかも知れないが、観るこちらも入りきれない。それがクールだと勘違いしているらしき俳優もいて、少し残念だった。
特撮ものは見慣れてはいないのだが、そっちの演出には目を見張った。


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