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〝見る〟ちから

岩代いわしろの 浜松が枝を 引き結び まさきくあらば また帰り見む

松の枝

巻2の141  有間皇子    

一般訳
この岩代の浜松の枝を結んでおいて、もし無事であったなら、帰りに見たいものだ。

解釈
有間皇子の自傷歌といわれるものが万葉集には2首とられていて、そのうちの1首。謀反を企てたという嫌疑で紀の湯(和歌山)に連行される道中で詠んだものといわれています。

「もし運良く生きていられれば」と吐露した気持ちには、たぶんそれはないだろうというあきらめが色濃く反映しています。処刑を覚悟しての諦観というものが淡々と詠われている。それが一般の解釈でしょう。

しかしこの歌の下句には、さり気なく呪術的なことばが配されていることに注目すべきでしょう。「結ぶ」「ま幸く」「見る」がそれで、詠むうちに怨念のおもいが重なってくるようです。

〝結ぶ〟は魂を封じこめることですし、〝ま幸く〟は幸御魂となること。何より〝見る〟は呪術的な行為で、「帰り来る」ではなくて「帰り見る」には、能動的な強い意志がこめられています。運がよければ帰り来る、という受動的なおもいにとどまらず、この松に魂をこめておいて、たとえ死んでもかならずこの世に帰ってみせる、そう誓っているのです。

「松の枝を結ぶ」これは現実の行為としてはふさわしくありません。松は柳のようにたおやかな枝ではありませんから、ぽっきりと折れてしまう。それを敢えて結ぼうとしたのは、待つにけてのことであることはいうまでもありません。きっと待っていてくれ、という願かけです。
したがって「引き結ぶ」というのは行為ではなく、想念のちからによるもの。その念をこの歌によって残していったということでしょう。

魂は滅びることなく、輪廻転生している。そんな死生観を前提に理解すれば、有間皇子の無念が、このような歌に表出したこともうなずけます。

この有間皇子の無念を受けて、何人もの歌人によって皇子を悼む歌が詠いつがれることになったのでしょう。

スピリチャル訳
岩代のこの松の枝を結んで魂を封じこめておこう。運がよければまたここに帰り来ることもできるだろう。もしそれが叶わなければ、この松をふたたび見るために生まれ変わってくるのだ。

(禁無断転載)


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