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90年代のクラブミュージック概略②

前回から続く、90年代のクラブミュージックシーンを時系列の縦串とジャンルや国の横串の二つの軸で自分なりに整理してみるシリーズ。

二回目の今回は94~96年の各シーンについて振り返っていきたいと思う。

94〜96年 クラブミュージック黄金期

90年代に花開いたクラブミュージックが成熟し、この日本でも広く浸透していったのがこの時期。現在に至るまでのクラブミュージックの歴史で、一番の黄金期と呼べるのがこの頃だろう。

既存楽曲を再構築するリミックスの概念が浸透し、ポップス系のグループでもシングル盤に有名トラックメーカーらが制作したリミックスを多数収録するのが一般的になっていった。

ただ、成熟の過程のなかでジャンルの細分化が進み、90年代初頭には全部ごった煮だったシーンがそれぞれのジャンルごとに形成されることになった。

ハウス

前回書いたDEF MIXやMAW (Masters At Work)の躍進により、ハウス・ミュージックはポピュラー音楽のなかでもメジャーな存在となっていった。その結果、いわゆる大物シンガーらのハウス・リミックスも当たり前になり、この時期のポップスにはハウス・リミックスがやたらと多い。

ただ、メジャー志向が強くなり過ぎたこともあって、この時期のスタンダードな四つ打ちハウスにはあまり面白い曲がないように思える。

R&B

この時期のR&Bは前回も紹介したメアリーJブライジを始め、アリーヤ・ブランディ・フェイス・SWVなど女性シンガーの全盛期。ヒップホップのビートに載せて女性シンガーが歌い、男性ラッパーがそこにラップで華を添えるという定番のスタイルが確立した。このスタイルを後にメジャーにそのまま持ち込んだのが、マライア・キャリーの大名曲「ハニー」だ。

一方1995年にはディアンジェロが登場。後にネオソウルと呼ばれることになるオーガニックなスタイル(当時はニュー・クラシック・ソウルと呼ばれてた)で人気を博し、それまでの華やかなR&Bとは異なるサウンドが生まれ始めていた。

ヒップホップ

この時期のヒップホップで重要なのは、Nasを始めとしたニューヨークのストリート系ラッパーたちの躍進だろう。

O.C.、Big L、Show & A.G.、ロード・フィネスらDITC勢に加え、ジェルー・ザ・ダマジャやGroup Homeらのギャングスター・ファウンデーション、さらにウータンの各メンバーのソロなど、とにかくこの時代のイーストコーストのストリート・サウンドはどれも今も語り継がれる傑作ばかり。ヒップホップでよく言われる「90年代っぽさ」みたいなイメージの源泉がこのあたりといって異論のある人はいないと思う。

一方ウエストコースト側では2Pacが大人気になったほか、ウォーレン・Gもアルバムを発表するなど相変わらずGファンク・サウンドは健在。大ヒット曲「カリフォルニア・ラブ」を始めとしたナンバーなど、こちらも今でも人気が高い。

この東西それぞれの盛り上がりはお互いを意識し合うことでさらに過熱し、後にその象徴としてノトーリアスB.I.G.らBad Boys一派と2PacらDeath Row一派のビーフに集約されることになるんだけど、結果はよく知られるようにノトーリアスB.I.G.と2Pac双方の死去という苦いものとなり、一つの時代が終わりを迎えることになった。

ちなみに同じころ日本では1996年の「さんぴんキャンプ」を一つの頂点に、95年頃からライムスター・キングギドラ・マイクロフォンペイジャー・ブッダブランド・ソウルスクリームなどレジェンドらが次々に傑作を発表。当時は全然意識してなかったけれど、今聴くとモロに同時期の東海岸の音を意識したサウンドになっていて面白い。

レアグルーヴ~フリーソウル

橋本徹が提唱したフリーソウルが渋谷のオルガンバーを中心にブームになっていくのもちょうど同じ頃。Welcome to Free Soul Generationと冠したフリーソウルとしての最初のディスクガイドやコンピシリーズが始まったのが94年。この気持ちよくてお洒落な音楽はこの後、90年代後半にかけて大いに人気となり時代を象徴するサウンドとなる。

SMAPの「がんばりましょう」の元ネタがNiteflyteというのは有名な話だけれど、日本語ラップのクラシックとして知られるブッダブランドの「人間発電所」だってデブラージ自ら「オルガンバーで受けるお洒落な音を意識して作った」と言っているほどで、当時の勢いが伺える。

ちなみに当時のサバービアのディスクガイドの多くは、後に発売された2冊の本に再録されることになるんだけど、96年に発売されたガイドに掲載されていた当時の現行サウンド(ヒップホップ・R&B・グラウンドビート・アシッドジャズ)はここにしか載っていない。

当時リリースされていたフリーソウル90'sをより深堀りした内容で、サバービア~オルガンバー観点で90年代サウンドを振り返ることが出来るため、気になる人は探してみるといいと思う。

テクノ~トリップホップ

一方90年代前半のデトロイトテクノ・リバイバルによりUKで人気となったデトロイトテクノ勢は各々に活動を続けていた。

ひたすらミニマルテクノを追求するジェフ・ミルズ、ピュアテクノの世界を押し広げつつダンスフロア向けトラックも作るカール・クレイグ、Galaxy 2 Galaxyで銀河に飛び立った後、仲間と共に火星人として地下で活動していたマッド・マイク、深い海からドープなエレクトロを探求するドレクシアなどなど、この頃のデトロイトテクノサウンドにも傑作が多い。

一方UKではデトロイトテクノフォロワーの流れから、WARPレーベルのコンピArtificial Intelligenceを経て、今でいうIDMやエレクトロニカの流れが始まっていく。このIDMはアシッドジャズがひと段落したジャズシーンとも結びつき、トリップホップと呼ばれるダウンテンポな音楽が登場。

このトリップホップを牽引したのが、コールドカットのニンジャ・チューンとジェームズ・ラベルのモワックスという二大レーベル。特にモワックスはカリフォルニアのDJシャドウや日本のDJクラッシュなどを世界に送り出した重要レーベル。フューチュラの手掛けるアートワークも抜群に格好良く、90年代ストリートを代表するアートの一つと言えよう。

ちなみにこのジェームズ・ラベルは日本の80年代のヒップホップレーベルであるメジャーフォースの大信者でもあった。その流れで当時イギリスにわたっていたメジャーフォースのK.U.D.O.こと工藤昌之とユニットU.N.K.L.E.を組んだほか、過去のメジャーフォース音源をモワックスからライセンス・リリースすることで世界にも紹介。

結果、ここ日本でも往年のメジャーフォースの楽曲群が逆輸入的にヒット。いわゆる耳の肥えたリスナーたちから、当時忘れ去られたサウンドが再評価されることになった。

ドラムンベース

最後に、この頃のUKの流れとして、もう一つ触れておかなければならないのがドラムンベース。94年に4Heroがリリースしたアルバムや95年のゴールディーのアルバムをきっかけに、それまでジャングルとしてアンダーグラウンドで流行っていた音楽が洗練されたドラムンベースに形を変え人気になっていく。

このドラムンベースはこのあと90年代後半にかけ一世を風靡し、その後でまさに栄枯盛衰といった感じで没落していくことになるんだけれど、それはまた次の話。次回少し書くことにしようと思う。


というわけで今回の記事はここまで。この時期は最初に書いたようにクラブミュージックの黄金期だから書くことが多くて、それぞれ重要な部分をかいつまんで簡単に流れを追っただけなのに3000文字を超す記事ボリュームになってしまった。。。

ただ、個人的にこの頃からはリアルタイムで体験している部分も多く、いろいろ書き手もあるかなって感じはする。

次回はいよいよ90年代ラストの97~99年を取り上げようと思うので、良かったらまたチェックしてみて。

ではでは。

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