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束縛についての長文LINE

以下の一通のLINEに端を発する考察についてまとめる。なお日付は数ヶ月前。

既読ではなくReadなのはかっこいいから

「一通のLINE」と白々しい書き方をしているがもちろん自分が送ったものだ。さながら学術論文のボリュームで、しかもAM3時。傍迷惑にも程がある。自分の友人はみな太平洋よりも広い器を持ち合わせている。

序論

つまり「彼女と決まりがあるから」と誘いを断ることと、断らずに飲みに行くこと、どちらの場合にも「行きたい」という姿勢が存在している点において、気持ち的に大きな相違はない、ということ。行動にのみ違いがある。

要旨

下心の有無にかかわらず、そして異性であるか如何によらず友達とサシで飲みたい場面が人生にはある。その「行きたい」という気持ちに非があるというのはさすがに乱暴がすぎる。もちろん彼女ができた瞬間に他の女の子とサシで飲みに行く気が一切なくなる男性もこの世にはいるだろうが、その場合は決まりなんて必要ないのである。

本論

飲みに行ったとて何も起きなければそれでいいし、何かが起きても断固として応じなければいいだけだ。そこに至るまでの「行くか行かないか」の選択を縛る意味は果たしてあるのだろうか。是非でも善悪でもなく「意味の有無」を問う。

まあ「他の女がわたしの彼氏を異性として見ること自体が許せない!」という考えもわからなくはないが、そのリスクは飲みに限らず生活のどこにだって遍在している。

本論②

サシ飲みを許した末に浮気されたとして「行かせなければよかった」と考えるのはおかしい。人間の中身や思想そのものは行かせようが行かせまいが変わらないのだから、どうしても行きたくなったら「上司と飲んでくる」とかなんとか嘘をつくだろう。そうなればこちらに為す術はなく、あえなく送り出すことしかできない。

結論

心を行動の制限で縛ることはできない。隠れキリシタンは信仰心を秘めながら絵踏に応じた。もし本気で相手の精神まで束縛しようと思ったらマインドコントロールの類が俎上に上がる。

現実的な話をすれば、失うのが心から怖いと相手に思わせられるような人間になれば勝手に誠実な態度で接してもらえるだろうし、本質的に浮気を防ぐ方法なんてこれくらいしかない気がする。読んで字の如く浮気とは気持ちでするものだから。

そういえば、偏差値の高い高校ほど校則が少なくなっていくという話もあった。

ちなみに実際に浮気されたとか自分の身に何かが起こったわけではなく、テーマを据えて考えること自体が楽しくてアウトプットしたくなっただけ。ここまで長くなくてもさまざまな思考をいろんな友人に送ったり話したりすることは割とよくある。

世論

強制的に聴講させられたのにいい奴である。

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