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無意識の救世主

あーちょっともう無理だ。今日こそ死のう。どうすればいい。マジで助けてくれって毎日思ってる。終わりでいいんじゃないか。よく考えたら生きたかったことなんてない気がする。

と思いながらインスタを開くと、家の裏のカフェの日替わりパスタはタコとアサリの冷製らしい。美味しそうなので死ぬ前に食べに行くことにした。席に着いたらマスターのお母様が店に立っていて、半年ぶりに会った。

メイクもせず、起きたままの髪で、適当な服を引っ掴んで半死半生の様相で現れた自分に彼女は「久しぶりね。髪、素敵なウェーブにしたのね!」と声をかけてくれた。久々に会ったのに髪型を覚えていてもらえたことに嬉しくなって「これ実は癖で、前はストレートにしてただけなんですよ」と答えた。半分くらいは寝癖であることは言わないでおいた。

まあ今日は死なないでおこうと思った。

無理無理無理すぎる、生存するのが本当に辛い。これ以上生きるより死んだ方が生産的だ。知るものか。地獄から抜け出す。死にたくない理由を探すのにも疲れた。

と思いながら毎日のルーティーンとして、サブスク購入しているコーヒースタンドへ歩く。そこの店員はショートヘアが似合うお姉さんで、服を褒めてくれるので身だしなみは多少ちゃんとして家を出る。

しかし寝不足で、満を持してすべてを投げ出しかねない自分に彼女は「いつもありがとうございます!今日はあっついですねー、明日はどうかな?」と話しかけてくれた。笑顔が眩しいので嬉しくなって「明日も暑くなるみたいすね、しかも雨」と答えた。彼女は露骨に嫌そうにした。可愛い。

まあ今日と明日は死なないでおこうと思った。

彼女たちは自らの些細な言動や仕草が人間を救い続けているなんて夢にも思っていないだろうが、こういうあたたかい救済を毎日目の当たりにして、死より魅力的な生を享けている人間に会って話すことで、受け取った光をつかって闇から目を逸らし続ける。

たとえば自分の目には聖母として映っているマスターのお母様が家では極悪人かもしれないし、コーヒースタンドのお姉さんはスパイかもしれないが、仮にそうだとしてもそんな背景の犠牲者のことはぜんぜん知らないし、自分は彼女たちから希望を享受して生きていくだけの人間だ。

昼ご飯を食べに出かけたりしている時点で最初から実際に死ぬ気はないんだが、そのくらい慢性的に、常態的に薄い毒霧がかかった視界を生きている人間が自分だけではないことを知っている。たまに霧が晴れたと思ったら元に戻っての繰り返しだ。

と同時に、自分もあなたも、たぶん知らないうちに誰かの救世主になっている。紙一重の人間にとっては小さな生活の気配そのものが希望になる。何も作れなくてもいい。うまく言えなくても、死にたくても、理想の強度になれなくても。容疑者Xの献身の理由も、そんなものだった。

いつどうなるかわからない生命を繋いでここまでこられたのは、周囲にいてくれる人間たちが総じて救世主の断片であるからで、おそらく寛解することはない爽やかで呆れた真っ暗闇に、今日も明日も少しずつ立ち向かう力を貰っているからだ。

明日、雨が降って出かけるのが億劫でも、傘をさしてあのコーヒースタンドまで救われに行こう。彼女にとっての自分は、どんな存在だろうか。

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