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20代の頃、ファッションデザイン学校を卒業して意気揚々とデザイナーデビュー!
と思いきや、
入社した会社は一年目に倒産となり、
あえなく私のファッションデザイナー道は断たれたのでした。

アパレルメーカーって在庫も資産ですからね、それらが差押えにならないよう、商品を軽トラに積み込む夜逃げ?の手伝いもしましたよ(笑)

次の就職先もすぐには決まらないため、程なく近所のレンタルCDショップでアルバイトを始めました。

洋楽育ちの私ですか、レッドツェッペリン好きのオーナー社長は私が一日中洋楽をかけてても怒らず、洋楽好きの私には天国のような環境でした。
(そしてオーナー夫人が異常に筋肉少女帯を嫌ってた記憶が何故か忘れられない笑)

まぁ、ほとんど毎日遊んでたようなものです。
(働け)

ここのバイトのおかげで日本のバンドにも触れるようになり、この曲の入ってたアルバムもよくお店でかけてました。

BLANKEY JET CITY/悪いひとたち

これ、もう25、6年前の曲になるのですね。
やだわ、年がバレる(笑)

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今思うのが、第三次世界大戦のシナリオライターがまさか約30年後にこんなシナリオを描いてるとは夢にも思ってなかったということ。

いえ、この曲はなんてことない平々凡々とした市民の日常を歌っただけだったのだなあ、と。

ツケが回ってくるぜ
でも辞められるわけなんかないさ


この曲中盤の歌詞の一節です。
ジャンキーが自分のツケを払うのは自業自得ですが、

こんな世界にしたツケを払うのはいつだってこれからの人たち、子どもたち。

💃 ♫ 🕺 ♫ 🩰 ♫

私はいい人になりたい!とはさらさら思わないけれど、これから産まれくる子どもたちにツケを払わせる世界の一端には加わりたくありません。

そして少しでも未来が明るい方へ向かうような世界をつくりたいと、真剣に思っています。
その責任があると思うのです。
私たちはみんな、悪い人たちの子孫だから。

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その後。平田暁夫先生のお帽子の個展を見て心打たれ、アトリエで帽子デザインの勉強をするため
レンタル屋は辞めました。

みんな元気かなー。
もう二度と会わないと思うけどね。



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