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#117活用される古墳(2)

 今回は前回に引き続き活用される古墳のお話です。今回はこれまでの規模とはうって変わって世界最大級の墳墓の一つに数えられる大仙陵古墳についてです。

 堺市に所在する大仙陵古墳は世界最大級の墳墓の一つとしてつとに有名で、大仙陵古墳を含む百舌鳥・古市古墳群として二〇一九年に世界遺産に登録されています。 この大仙陵古墳、江戸時代はというと、墳頂部に現在同様に木々が繁茂していたため、近隣地域の格好の下草刈りや芝刈りの場所として活用されていました。ある時、芝を刈りに行った者がちょっと休憩として、その場で煙草を吸いました。その際に、どうやら火種を落としてしまったようで、その日のうちに家事となってしまいました。陵墓を家事にしたということで、幕府から叱責があり、今後陵墓に立ち入って芝刈りなどは禁止るという通達が出ます。時間が経過することによって、大仙陵古墳の墳頂部の森は回復していきますが、これまで芝刈りに人が定期的に入っていた場所であったところに人が入らなくなったことで、野鳥の格好のすみかとなってしまいます。そうすると近隣地域の住民は芝を刈るところがなくて困る上に、野鳥による作物の食い荒らしや糞害によって悩まされることになります。これにより、近隣地域住民から幕府へ嘆願が出され、どうやら芝刈りのための陵墓への侵入の権利が復活します あるいは、大仙陵古墳の周りと囲む広大な濠は、近隣地域住民にとっては格好の農業用水池として活用されていました。そのため、現在の大阪狭山市域の村まで長大な用水路を掘って水を引くということを行っていました。試みに大仙陵古墳から大阪狭山市の最も近い市境まででも、直線距離で測ってみても約七Kmもありました。当時の地域住民にとっては、広大な陵墓の堀が非常に魅力的に感じたということであり、また農業用水に枯渇していたために、長大な距離の用水路を掘ってまでも地域へ水を引くことを切望したということなのでしょう。

 古代以降には、古墳は地域にとっては単なる小高い丘であり、石材や芝などの燃料を採取する場所という、地域住民の生活に密接にかかわる場所として利活用されて来ていました。現代では、どうしても邪馬台国論争などが中心の話題となる古墳ですが、古代の首長の権威が関係ない時代では、地域住民の生活の場所としての側面を持っていた時代があることを、ここでは紹介しておきたいと思います。

 余談ですが、最近は世界遺産に指定された事もあり、観光スポットとして自治体も活発に紹介しており、サイクリングコースとしても活用されています。著者も知りませんでしたが、「百舌鳥・古市古墳群」で「もずふる」と略称されているようです。古墳群というくらいですので、数が多いですので、お気軽にとはいいがたいですが、ご興味のある方は1日自転車で回ってみてはいかがでしょうか。

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