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46・デンジャラス・ジラフ 樹木希林

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 樹木希林と出会ったのは5年前、2013年3月2日のことだった。

 当時ボクは、東海テレビの土曜日の情報番組『ぷれサタ!』の司会を務めていて、そこでゲストに招かれた樹木と初対面を果たした。

 樹木の出演は、同局制作のスペシャルドラマ『約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』の再編集映画版の、劇場公開の宣伝も兼ねていた。

 東海テレビには阿武野勝彦という名物プロデューサーが居て、代々、社内制作で独自のドキュメンタリーを作り続けており、テレビ放送だけにとどまらず、その後に劇場公開までするシステムを確立していた。

 今回の映画化は、2010年に制作されたテレビドキュメント版を更に発展させ、死刑囚・仲代達矢、その母、樹木希林の出演で、再現ドラマを融合させる新しい試みだった。
 名優の巧演が、独房の死刑囚、その半世紀の孤独を圧倒的事実として炙り出し、この事件の様々な瑕疵が、世間に重たく響く作品となっている。

 そして、その日! 
 樹木希林との初対面もまさに第一級のドキュメンタリー素材であり、一つの〝事件〟となった。
 なにしろ、樹木と50年間別居中で非エロティックな関係にある、かのドクロステッキのロック仙人こと夫君・内田裕也よりも、むしろ樹木の方が凶暴であるとの噂は以前より聞き及んでいる。

 「本人より本人に詳しい」プロインタビュアー・吉田豪までもが聞き役として最も危機を感じたのが樹木であると断じ、彼から、その対峙した瞬間を聞き出したところ、聞きしに勝る、危機管理ゼロの剥き出しのワードセンスの持ち主、まさにキリングセンスであったという。

 鬼気迫る土曜の生放送、樹木の発言が、予測不能、制御不能なことは、昭和芸能史〝恐怖のノート〟を振り返っても明らかだ。

 樹木希林──。

 今となっては昔話になっているが、彼女が業界でも指折りのデンジャラスな女優であることを知らしめた事件がある。

 1979年、TBSの大ヒットドラマ『ムー一族』の打ち上げパーティーの席上、久世光彦プロデューサーが突然、出演者の樹木希林により不倫を暴露され、退局、離婚、再婚の憂き目に遭い、テレビマン人生を一時抹殺されかけたのだ。

 この「林檎殺人事件」ならぬ「不倫殺人事件」を筆頭に、今なお、囲み取材、映画の舞台挨拶などに於ける、樹木の暴走ぶりはつとに有名だ。

 不規則発言同様に厄介なのが、自前の言葉とマイペースが行動規範であり、決して台本に則らないところだ。

 この日の名古屋の地方局でも、樹木節は健在だった。
 40年前のギャグ「ジュリー~~!」を、共演のいとうあさこが「やって下さい!」とリクエストしたところ、真顔で「なんで? やるの?」とすげなく断った、その瞬間のスタジオの緊張感たるや。

 また、番組途中、松坂屋のデパ地下からの中継が入り、レポーターが「希林さんはチョコレートお好きですか?」と問い掛けると「お好き? ……ではないです!」と微塵も意を酌まない返し! 
 松坂屋から持ち帰った焼きワッフルにはスタジオで試食して一言、「これ、しけっちゃってるわね!」などなど、全ての予定調和を覆した。

 とはいえ、途中「終活最新事情」と題した特集コーナーでは、「私には本木雅弘という日本一の『おくりびと』が付いているからねー」と、どんな構成作家にも書けないような台詞で、ハラハラしどおしの副調整室の面々を唸らせた。
 その生放送での忌憚ない本音語りは、すっかりボクを魅了し、骨抜きにした。

 樹木のお陰で、この日の番組は沸いた。

 この番組のプロデューサーを務める伏原健之は、冒頭に記した東海テレビのドキュメンタリー班〝阿武野組〟出身である。
 ドキュメンタリー好きのボクは、映画監督の大根仁から阿武野組の存在を聞き、東海テレビに定期的に通うようになり知己を得ると、その後、チームの過去作の内覧、新作上映会、イベントや劇評、東京への紹介などを経て、今でも定期的に会食するほど懇意にしている。

 樹木希林もまた、近年、阿武野組が気に入り、出演、対談、ナレーションなどの形で数々の作品に携わっている。
 2014年4月劇場公開『神宮希林 わたしの神様』、2015年8月8日テレビ放送『戦後70年 樹木希林 ドキュメンタリーの旅』、そして、昨年、数々の映画賞を獲得し、現在も劇場公開が続いている阿武野チームの集大成とも言える大傑作『人生フルーツ』(監督・伏原健之/プロデューサー・阿武野勝彦)でも、樹木はナレーションを務めている。

 2016年10月5日──。
 その伏原健之から夜に突然、電話がかかってきた。
 聞けば、樹木希林がボクと連絡を取りたがっているとのこと。
 共演はあの日の一度切りだ。
 ボクのことを覚えているのかすら怪しいのに……。
 とにかく、教えられた番号に電話をかけてみた。
「もしもし、水道橋さん?」
 樹木希林の独特の艶やかな声。
「あなたの『藝人春秋』っていう本が面白くて。あと、この間、連載で読んだ、三谷幸喜と井筒監督の新幹線の話がよかったんですけど、あれも、もう本になってるのかしら?」
「ありがとうございます! でも、そちらはまだ単行本化してません」
「あ、そ……」
ここまでで口調が変わった。
「で、用件はここからね。10月15日の夜、暇があったらどうでしょうか、ということなんです。どう? 空いている?」
「はい、今、確認してみますが……スケジュールは空いております」

 当時、仕事が数珠繋ぎの日々を送っていたが、何故か、この日だけ偶然にも完全オフだった。

「場所が山梨の竹中英太郎記念館で……」と言って、樹木は住所を読み上げた。
 ちなみに画家・労働運動家・竹中英太郎の長男が、かの有名な、と言うより、ボクが憧れてやまないルポライター・竹中労である。
「そこで映画の上映会があって、その後、16時からトークショーなの。
 そこで私、喋るんですけど、参加者は私が会ったことがない人ばかりなので、あなたにも是非一緒に参加していただいて……あ、それで、いいかしら、……ギャラはゼロです」
「何も問題ないです!」
「あらそう。私も労さん好きですし、あなたも労さんのことが好きならば、一緒に喋るのに、むしろ私なんかより良いかなぁ~って思って」
「喜んで行かせていただきます!」
「あなた、労さんとは?」
「一度だけ、お会いしました」
「いつ頃です? 今回、没後25年ですからね」
「晩年、ご病気をされていた頃に」
「そう。じゃあ、労さんが、あんまり面白くない時ですね」
「……いえ、ボクは昔から本を読んで、物凄く影響を受けてます!」
「そ! まあ、それはそれとして、労さんの良さは、あの人を好きじゃないと話せないので……。あなたの来場は事前に主催者に言わないでおきます。だから、飛び入りでいいから来てね」
 樹木への危機感はいずこ、ボクは嬉々としていた。  
                       
                         (後編へつづく)

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            (イラスト・江口寿史)


デンジャラス・ジラフ 樹木希林(後編)

50歳を過ぎてから、人生の前半生は物語の「伏線」。
読書で喩えれば「付箋」だらけだと気がついた。
その回収に向かい、物語の頁を捲るのが後半生だ。

 2016年10月15日──。
 女優・樹木希林に青天の霹靂で呼び出され山梨へ向かった。

 23歳の時、ボクはビートたけしの弟子として芸人になった。
 しかし、それ以前、10代後半はモノカキ志望だった。
 そして、当時、ボクが最も敬愛していたのが、反骨のルポライター・故・竹中労だ。
 山梨県甲府市の桜座で開催された竹中労追悼イベントに、突如、飛び入りすることになった。
 それも10日前、樹木からの突然の電話がなければ、此処へ来ることはなかっただろう。

 この日、甲府市の古い映画館・桜座では映画『戒厳令の夜』(80年)の上映、及び「竹中労没後25年・今ふたたび」と題されたシンポジウムが開催された。
 出演者は、樹木希林、鈴木邦男(元・一水会顧問)、小浜司(沖縄音楽プロデューサー)、小泉信一(朝日新聞編集委員)、竹中紫(竹中労の妹・竹中英太郎記念館館長)と突如、飛び入りのボク。
 司会は竹中紫の夫である金子望(竹中英太郎記念館主宰)が務めた。

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 司会者に請われるまま、ボクが思春期に、どれほど竹中労の影響を受けてきたのかを語るうち、何度も感無量になった。

 挙句の果てには、他の登壇者の話の随所に、分け入って細かく解説を付け加える始末。
 竹中労の話など、芸能界に入ってから、ライターの武田砂鉄以外とはしたことがないのに……。

 10代の頃の影響や記憶は永遠だ。話は大いに盛り上がり、最後には「もう博士に竹中労の評伝を書き残してほしい!」
 と、樹木希林に無茶振りされ、結局、「機会があれば、いつか書いててみたい」と客前で約束していた。

 このトークの席で、ボクは「そもそも竹中労と樹木希林の出会いを教えてください」と問うた。

「それは、労さんが『女性自身』の記者の頃でねー。その頃は雑誌も今みたいに曖昧じゃない、その存在は大きくて志があったような時代です。で、文学座が最初の分裂を1963年にしたんですね。その時に、それをルポして記事にしたことに対して、私が文句を言ったの。『もう少し、よく調査してから発表しろ!』と。森繁久彌さんと『七人の孫』っていうドラマに出始めた頃で、自分はまだ19、20歳の向こう見ずの若造だったんですね。それが出会いです。そしたら、労さんに、オマエは生意気で面白いなぁと、思われて、そっから仲良くなりましたね」
 さらに、言葉を継ぐ。
「私は劇団には執着がなかったんで、そうやって平気でテレビドラマに出てたりしたんだけど、あの頃が、いちばん威張ってましたね」
(今よりも威張っている時代があるのか……)との想いを押し殺した。

 樹木に、ボクが昔から気になっていたオノ・ヨーコとの関係についても振ってみた。
 樹木は、2007年、日本武道館で行われた『ジョン・レノン スーパー・ライヴ』で、オノ・ヨーコからの依頼で「イマジン」の日本語訳を朗読した時の話を振り返り、オノの口調を真似ながら語る。
「『アタクシねぇ~樹木希林さんと仲がいいのよ!』ってヨーコさんは言ってくれてるんですけど、別に仲良かぁないですから」
 ぶっきら棒な樹木のスタイル。

『私なんかでいいんですか?』って聞いたら、『貴方はね、頭がいいのよ!』って仰ってくれて。これは自慢話なんですけど……」
 満更でもない微笑を浮かべる樹木に、内田裕也とオノ・ヨーコの関係性についても尋ねてみた。
「裕也さんは、『ミュージック・マガジン』の取材で、NYのダコタ・ハウスへ行った時に、ジョン・レノンと会ったわけですよ。同い年だから仲良くなって。ヨーコさんとレノンはケンカと言うか、ドアを蹴り合うような関係だったと聞いてます」
 さらに、今度は裕也の口調を真似、「うちの夫が言うのよぉ。お前なァ信じられるか? あのジョン・レノンにだぞォ、お使いに行かせてるんだよ。赤ん坊のショーンをおんぶ紐くくりつけて、『早く行ってらっしゃいよ貴方!』って……オノ・ヨーコはさー。ロックだよ!」

 まさに、家人の目に英雄なし──。

 音楽から離れ、5年間〝主夫〟に徹していた頃のジョン・レノンのリアルな日常が、樹木の語りによって何故か、山梨で再現される。

「ある日、ヨーコさんがジョン・レノンと会わせてくれたの。私からは別に会いたいとかではないんですヨ、わからないから。その時、向こうが手を差し出してきたので、『はいはい』って握手して……」

 話はローリング、転がっていく。

「そのあと『もう私、帰りますから』って言って。だいたい急に呼ぶから頭にきたの。で、さっさと帰ったんです。そしたら『ボクのオクサンもだけど……、キミのオクサンもタイヘンそうダネ~』って、あとでウチの夫に向かってジョンが英語で言ったそうで」 

 イマジン! 想像してごらん!

 ジョンと裕也がカミさんの苦労話で意気投合する世界を──。

W不倫で永遠に結ばれた「ジョンとヨーコ」。
夫の不倫にも絆は不変の「裕也と希林」。

 40数年前、この〝どうかしてる夫婦〟が巡り合った奇跡。
 樹木は後日、2016年5月14日放送のフジテレビ『土曜プレミアム・一流が嫉妬したスゴい人』に於いて、「とんでもないレベルの人生を生きてきた」「想像を絶する日本人」としてオノ・ヨーコの名を挙げていた。
「世間のバッシングもすごいだろうなと思うし、抱えている問題もスケールが違う」
 「うちの夫が『勲章渡すならオノ・ヨーコ以外いねえよ』って言うんですけど、勲章なんかでおさまらない。時代が抱えきれないすごさがある」
 と褒め通しだった。
 竹中労からジョン&ヨーコ、内田裕也まで、芸能界の生き字引に全てを聞けた贅沢すぎる山梨の夜会だった。

 そして、それから1年半後の2018年4月8日──。

 ボクは竹中労の父・英太郎の没後30年追悼イベントのため、再び山梨を訪れた。

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 樹木に蔽われた山梨県立文学館のロビーで、樹木希林と再会。
 この日は、まさに〝モリのいる場所〟、オフィス北野からの独立騒動の渦中であった。
 わざわざここまで追いかけてきた、マスコミも大勢いた。

「今日は貴方の話を聞きたかったのよ、お座りなさい!」と樹木が言うと、ふたりきりで珈琲を飲み、昼食を共にしながら長々と話した。

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 再三のマスコミの取材要請に対して、「今、食事中なのよ!」と樹木は記者を制した。
 喫茶店で、ふたり座ったまま、一定の距離を保ちながら、周りを取材陣が囲っている。
 奇妙なミステリーサークルのなかで雑談は尽きることがなかった。
 そして、ボクは今回の騒動の一部始終を伝えた。最後に、まるで『スター・ウォーズ』のヨーダがルークにフォースを授けるように、樹木希林がささやいた。

「今日、貴方に会えて良かったわぁ。芸能界って表にも裏にも変なのがいる面白い世界なの。貴方は傷つきやすいからツラいことがあっても絶対辞めないでネ。貴方とはなんでも喋れるわ! 貴方は私の同志なんだから!」

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【その後のはなし】
 
 2018年9月☓日──。
 樹木希林、永眠。

 この連載に取り上げることは、本人に事前連絡はしなかった。
 その後、2018年6月1日に、樹木希林から電話があった。
「週刊文春に書いていただいたお礼を言おうと思ってね、原稿は完璧よ。貴方に書いてもらって良かったわ。一箇所、祐也とレノンのところで、取り違えているところがあるけど……。あと、聞いたんだけど、貴方、○○○と揉めているんだって?」
「本気じゃないので大丈夫です」
「一緒に殴り込みに行こうか? その時は、誘ってね」
「いえいえ」 

それがボクとの最後の会話になった。

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         (イラスト・江口寿史)

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