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39・5 ビートたけしの独立

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし──。

 ご存知、鴨長明による鎌倉時代の随筆『方丈記』の書き出しである。
 中世に俗世間との交わりを絶ち、修行、自適の生活を送った隠者が、世の無常観を描いたこの名作は、『徒然草』、『枕草子』とあわせて「日本三大随筆」とも呼ばれる。
 
 今回は原稿を差し替え、あえて平成の鴨長明気取りで、3月14日の「三大随想」ならぬ「三大噺」で一筆啓上申し上げたい。

 2018年3月14日──。

 早朝から超ド級の衝撃が走った。
 どうやら『スポーツニッポン』の一面にスクープが掲載されたらしい。
 業界用語で言えば、完全に「抜かれた」ということだ。

 ボクはSNSで情報を掴むと、飛び起きて最寄りのコンビニに走った。
 紙面には「たけし独立」と活字が踊る。
 殿(ビートたけし)に弟子入りして32年。
 師匠がスポーツ新聞の一面を賑わすことには慣れっこだったボクも、このタイミングには、さすがに度肝を抜かれた。

 一読……。
   関係者のひとりとして、「寝耳に水」とは言わないが、記事が的を射ているとは思わない。
 しかも、今、マスコミは安倍政権への不信感、森友学園の件で手一杯だろう。
 芸能界こそ、「ゆく河」そのものに擬(なぞら)えられるだろう。
 浮いては沈むスキャンダル、泡沫(うたかた)など、久しくとどまりたるためしなしだ。

 1988年会社設立以来、二人三脚で始めたオフィス北野の創業者である北野武と森社長が袂を分かった。
 もはや、ビートたけしが〝森友〟ではない事実は厳粛だ。
 我々は、殿を追いかけるのか、このまま今の事務所にとどまるのか、〝新しい地図〟か、そのまま、たけし軍団なのか選択を迫られる。

 この日はさらにニュースが続いた。
 13時、朝日新聞発、「ホーキング博士死去」の一報。
 ボクは師匠に名付けられた芸名(ホーリー・ネーム)が水道橋博士であり、経歴詐称だが、ボクも「博士」のはしくれ。
 かの物理学者と面識はないが一瞬で、様々な想いが去来した。

 宇宙物理の最先端理論の数々を提唱した車椅子姿のホーキング博士が、日本で広く知られるようになったのは1989年のことだ。
 この年、『ホーキング、宇宙を語る』が一大ベストセラーになった。
 この本で「宇宙が膨張し続ける」ことを初めて知ったボクは、駆け出し時代に、こんなネタを作った。
「宇宙はどんどんと膨張していることを発見した張本人なのに、何故、ホーキング博士の身体は、どんどんと縮んで行くのでしょうねぇ。それを考えたら一晩中、寝られなくなっちゃう」
 この漫才の発想は、70年代に夫婦漫才で一世を風靡した春日三球・照代の当たりネタ、「最初の地下鉄の電車はどこから入れたのでしょうねぇ。それを考えたら一晩中、寝られなくなっちゃう」のパロディだった。
 正直、笑いのセンスは良いと思うが、今なら不謹慎と言われかねない。
 しかし、浅草キッドの師匠であるたけし・きよしのツービートのネタは本来、これ以上の毒舌だった。
 世間の建前によって封印されている本音を口にすること。
 そこに起こる笑いで時代の突破口を開いたのだ。
 その弟子が、ネタにおいてさらに踏み込むのは当然のことだ。
 無論、我々のネタが人口に膾炙することはなかったが……。

 そして、三大噺の最後。
 この日は、朝からこんなニュースも駆け巡った。
 「オウム真理教死刑囚7人を移送」
 『七人の死刑囚』と、まるで映画のタイトルにもなりそうだが、一連のオウム事件で逮捕され、収監された人々の中のひとりに、麻原彰晃の主治医の中川智正がいた。
 中川は岡山大学教育学部付属中学校時代のボクの同級生だ。
 地方の進学校だった同校からは、実に風変わりな人間が生まれている。
 まず、たけし軍団に入門し、漫才師になった不肖、水道橋博士。
 そして、現在、ザ・クロマニヨンズのボーカルとして、音楽界のカリスマ的な存在である甲本ヒロト。
 そして、中川智正死刑囚。
 偶然にも同じ年に同じ学び舎に居合わせた、たけし軍団の漫才師、ロックのカリスマ、カルト教団の医師──。
 それはまるで漫画『20世紀少年』で描かれたクラスのようだった。
 ちょうど『宇宙戦艦ヤマト』が人類滅亡までのカウントダウンを始めたあの頃、幼きエリート意識に染まった同級生に囲まれ、ボクとヒロトは確実に落ちこぼれていた。
 ヒロトが作ったザ・ハイロウズ時代の名曲『十四才』は、ある日、少年がロックの神様から啓示を受ける瞬間を唄った曲だ。
 その歌を聴くたびに、ボクは同じ場所で同じ14歳だった中学時代に舞い戻ってしまう。
 学校には居場所のなかったボクたちが、あの頃、実はすでに職業的〝天命〟を受け、今のこの〝天職〟を授かっていたのではないかと、55歳になった今では思っている。
 中学時代の渾名が〝ケツ〟だった中川智正は、成績優秀であり、周囲から輝かしい未来を託されていた。
 しかし、彼は医学部卒業後、オウムに入信。
 ケツという渾名は「ボーディサットヴァ・ヴァジラティッサ師」というホーリー・ネームになり、〝麻原の主治医〟として世間に知られるようになった。
 そして、1995年に地下鉄サリン事件で逮捕され、2003年に死刑判決を受ける。
 カルト教団で人類滅亡のシナリオを書いた彼には、中学時代からすでに未来に居場所がなかったのかもしれない。
 もちろん、ビートたけしを師匠として崇拝し、熱湯風呂に入り、全裸でテレビに出るなど、あらゆるセクハラ・パワハラを笑いに変えてきた、たけし軍団という〝天職〟を選んだボクもまた、永久に狂信的なカルト集団の一員なのだが……。
 さらに書き加えれば、この3人に加わる、もうひとりの女性がいる。
『逝かない身体―ALS的日常を生きる』で2010年に第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した川口有美子も中学時代の同窓だ。
 彼女はALS患者である実母の介護の実態を描き、言葉と動きを封じられた患者特有の意思を「植物的な生」として身体ごと肯定した。
 そして、ここで綴られた難病のALSは、ホーキング博士が羅患し、生涯を通して闘った病だ。
 どこまでも話は繋がっていくが、ホーキング博士の言葉で、この三大噺を締めたい。

 人生は、できることに集中することであり、できないことを悔やむことではない──。
 
 そう。
 ゆく河の流れの如く、もう元には戻らないことは悔やんではならない。

 ビートたけしこそが我が「宇宙」であり、それを仰ぎながら物語=星座を描くボクには、たとえ離れ離れになっても、師匠は永久に北のを極めた星、北極星であることに変わりはないのだ。

【その後のはなし】

 余談だが、ホーキング博士の命日がアインシュタイン博士の誕生日であった偶然と必然は「宇宙」の「超ひも理論」を連想した。

 ビートたけしの独立、新事務所設立、そして私生活でも離婚、再婚という流れは、我々、たけし軍団の運命を大きく変えた。 
 当初、言われていた将来的なビートたけしとたけし軍団の再結集は実現に至っていないままだ。
 むしろ、オフィス北野改め、新事務所「TAP」から、多くの芸人・タレントが退所し、皆がバラバラになってしまった。
 されど、ボクにとっては師匠が北極星であることは今も変わらない。
 特に、この騒動の後、母を亡くし、両親が人生に不在になった時、師匠と弟子という世界で生きていることの意味は確信的に深まり、物理的距離が遠くなったとしても師匠が人生におけるかけがえのない存在であることへの想い、今や古めかしい徒弟制度への愛着は深まる一方だ。
 これらは本書ではなく、これからボクが書くであろう次の本での主題となることだろう。

 



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