24年4月1日(月曜)自転車でニッポン放送往復。枝豆社長、高田文夫先生、有楽町で会いましょう。ビックカメラ周遊。相棒の本。
起床。5時。
アサイージュースMIXを飲む。
日記をnoteに書いてアップする。
10時30分に「古本興行」、
若林凌駕22歳が来宅。
「高田先生について、
朝まで勉強しておりました」と。
この年齢で、
高田先生の謦咳に接することは、
滅多にないことだ。
ただ着物を着ているだけでも
目には付くだろう。
2人で自転車に乗って、
近所の原田専門家宅へ、
DVDに焼いてもらった
「関東スキャンダル列伝」をピックアップ。
原田専門家が何食わぬ顔で出てきたが、
「休日の宮崎駿」か、
あるいは近所で『奇人』と呼ばれている
「迷惑おじさん」にしか見えない。
ここでボクは自転車で、
若様は電車で有楽町を目指す。
行きがけは、『ラジオビバリー昼ズ』の生放送を
耳たぶイアホンで聴きながら。
見送り芸人・しんいちがゲスト。
有楽町駅前で新しいスイーツ。
放送前にボクが到着。
隣のスタジオの塙会長と
しばし、『漫才協会THEMOVIE』の普及活動について。
映画のファンの枡野浩一さんの話も。
その間、枝豆社長が到着。
気がついたら、枝豆社長と若林凌駕が
マン・ツー・マンで椅子に座って、
話をしていた。
高田先生も放送終了でトイレへ。
「オマエは座るな!」と小声で若さまに。
高田先生と個室へ誘われる。
個室には若林凌駕も。
「アンちゃんも入るなら入る、
出るなら出る」と。
「アンちゃんは結核患者か?」
としばしイジられる。
「オマエは若いの連れて歩くの
好きだなー」と。
枝豆社長は、「鬼越トマホーク vs カージナルス」
の楽屋差し入れのお礼に。
ボクは先生に4つのお願いを。
一つ一つプレゼン。
全部の話が通るが、
一つはもうひとり了解が必要。
大笑いの散会。
見送り芸人に見送って貰う。
文化放送のラジオでも一度、
このシッチュエーションあったなー。
階下には江口ともみさんがお迎えに待ち受けていた。
2年ぶりだろうか。思わず握手。
有楽町駅ビックカメラの『千房』へ。
ビッグカメラ各階巡り。
憧れのTechnics。
マジーガーZ感。パイルダーオン。
アルコールコーナーでつまみを大人買い。
ノンアルコールで階段でミニ花見。
枡野浩一さんの夕刊を読ませて貰う。
古本興行の若林凌駕は仕事で
新宿の吉本興行本社へ。
帰途、自分内ルールを作って、
1時間のタイムレースでゴールを目指すが、
水道橋経由で白山通りを選択。
ここは5車線で、
自転車通りを優先されている。
途中、大雨に見舞われる。
目白通りの入学式中の学習院の桜の下で雨宿り。
桜の木の下は新入生で埋まっている。
雨ざらしになりながら、一部は回復していく。
気圧の動きが激しい。
かかりつけ医へ。
あれほど苦しんでいた、
嚥下障害が完全に収まった。
4ヶ月間、一度もでていない。
「タケキャブ」で20年来の病苦から、
開放されたのだ。
病名は「逆流性食道炎」と思われがちだが、
「好酸球性食道炎」が正しい。
しかし、説明が難しい。
山本先生「この10年間で発見された病名なので、
まだポピュラーではないんですよ」
山本先生にも数々の専門医を紹介していただいたので、
ここまで寛解できた薬効には驚いていた。
「ボク、今までアレルギー反応が必ずでいていて、
食べられなかった蕎麦を、毎日食べているんですよ」と。
特効薬になっていた、「芍薬甘草湯」を飲み続けていた、
一日3袋以上服用を続けた。
副作用も問題になっていたのも開放された。
タケキャブは、大きく言えば、胃酸を抑えるクスリだ。
高円寺で文禄道へ。
アウトレットブックスは、全部買い上げたい。
相棒の新刊も入手。
小杉湯となりへ。利用者がふたりだったので、
一瞬、休みなのかと思うが、
「年度初めなので、皆さん、出社しているみたいです」と。
そこまでリモートが徹底しているのか。
銭湯の方も何時もより客が少ない感。
体重が64キロ台に入った、
やった!!
目標の7キロ減達成。
帰宅後、本日購入本。
相棒の6年ぶりのシリーズの新刊。
『美しく枯れる。』を一気読み。
(とても読みやすく、
構成、文章の流れも流麗で読みやすい)
私生活まで赤裸々に書いているのだが、
ボクですら初めて知ることも多い。
登場人物のほぼ全てを知るボクは、
ひとりひとりが
「人生は舞台、貴方が主役」であり、
自分の「義」と「正しさ」を信じて、
生きていることを実感する。
本日、ハチミツ二郎のお見舞いを
猫ひろしを通してお願いしたが、
結果的には拒まれた。
ボクは人間関係の全ての綻びを
直していく意志を持つし、
そこに必要なら自分が謝罪すべきところは
まず謝罪する。
残り少ない人生を誰かに対して
「許す、許さない」のネガティブな
感情を持ちたくない。
もう長く生きているので、
自分が常にオーバーワークで
脳の積載オーバーになり、
鬱症になる体質であるのは
間違いないのだ。
そのときは仕事ができない。
不義理も作ってしまう。
しかし病気が寛解しても、
自分のワーカホリックは
変わらないのだ。
のんびりすることも
手抜きの仕事はできないし、
金儲けのために働くこともない。
賭け事も女遊びも
終日飲んだくれることもない。
飲み、打つ、買うが芸人の3拍子なら
鬱だけだ。
つまり、「遊び」がない。
それが幸せなことだとは
思っももいないが。
「浅草キッド」の名前は
消せるものでもなく、
一生、捨てるこもはない。
むしろ、「浅草キッド」
の全ての関係者の綻びを
自らほどいていくつもりだ。
距離は人を夢見させるが、
ネガティブな誤解や
師や先輩にしくじりがある場合、
距離を取るのではなく、
直接会って解決するしかないと思う。
今後を含めて、
反省やさまざまな教訓を含む本だった。
+5歳のボクはもっと
人生の波乱が万丈であるから。
いや、既に万丈にしてきたのだから。
広く奥深く急がず怒らず優しく、
老後を送りたい。
東MAXとのライブの意見交換。
会場で映像も使えることを確認。
そうとう凄い映像が出てくる。
なにより、じゃんけん大会の提供品が
凄すぎる。
それを聞いて、ボクのほうが、
「ワシが欲しいくれぇじゃ!!」
と文太の声で出る。
無論、ボクの提供品を含めて、
お客さんはこのイベント高確率で、
高額当選宝くじになっている。
https://pundit.jp/products/2024p1-4-4
東家からのライブへの資料提供も
半端ないので、
日本喜劇史のファンは必ず見て欲しい。
深夜に改札まで娘のお迎えに。
バス停より距離があるので帰り道が、
楽しい会話だった。
高田文夫先生に会った話。
『本業』から『文業』の話。
「ハカセ会」のYou Tubeの生配信。
キムチ納豆を食べながら。
5人のギフトのマサヒロさんに感謝。
4月1日の節目として、
『藝人春秋』を毎日連載することにした。
明日は、忌野清志郎の誕生日だ。
原田専門家は清志郎マニア、
清志郎と同じスーツを仕立ててもらっているほどに。
原たこやき君も清志郎マニア。
清志郎と同じ自転車を仕立てているほどに。
しかし、このふたりは会ったことがない。
そして原カントくんは、
『水道橋博士のメルマ旬報』の実質編集長。
原たこやき君が名前の由来だ。
全員が『水道橋博士のメルマ旬報』執筆者だ。
このハラハラハラの酒宴を開催する。
楽しみだが、その前に山積みの仕事をやれ!!
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