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40 岡村隆史とスリー・ビルボード

 先日開催された第90回アカデミー賞で主演女優賞などを受賞した『スリー・ビルボード』は、娘を殺された母親が街道に掲出した冒頭の3枚の怒りのビルボード(広告看板)が被害者家族、町民、警察を翻弄し、真相に向かって三つ巴の様相を呈していく異色の傑作サスペンスだった。

 監督は、前作で北野武監督作品を引用し、キタノマニアとして世界的に知られることになった、マーティン・マクドナー。
 そして、3・14「たけし独立」の大看板が立てられるまで日本でも、その北野武に影響を受けた3人の者たちが、虚実、弁明、煽動に翻弄されながら、被害者、容疑者、指嗾者に分かれ、巴戦を展開する異色の事態に陥っていた。

 と、大仰に書いたが、つまり、この数週間、太田、岡村、水道橋の3人がラジオの深夜放送を舞台に「やった」「やってない」と映画『スリービルボード』よろしく看板を立てて口論に明け暮れたのだ。

 家電で殴られて負傷──
 犯人は水道橋博士!──
 教えて太田光さん──

 カラオケ店のデンモク(電子目次)で後輩力士を殴った横綱がその地位を追われた記憶も生々しい昨今、聞き捨てならない〝嫌疑〟が浮かび上がった。
 被害者を名乗るその男性の名は実に21年半もフジテレビ〝土8〟の看板枠をエースとして支えたナインティナインの岡村隆史。
 
 ボクが初めて岡村と出会ったのは1993年のことだ。
 『第13回ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』でのロケバス車内だった。
 当時の同番組は露悪、過激を極め、怪我人も続出し、芸人たちはその招集を「赤紙」と呼称するほど恐れた。
 ロケバスの後方席で虚ろな顔をした無言の若手芸人を見ながらボクは「この人も、名もなく散っていく犬死に要員なんだなー」と思う一方で、岡村隆史の吉本の芸人にしては暗く、覚悟を決めた表情、それ故、醸し出される鈍色の芸人特有の色気を感じていた。

 この日の収録で岡村は、昼間は不発。
 だが夜に行われた「人間性クイズ」という企画で、出川哲朗を逆ドッキリで騙す大役を命ぜられる。
 隠しカメラが待機する部屋で出川は後輩の岡村にSMプレーを強要する仕掛人を任じられたが、岡村はそんな出川に逆襲する筋書きを既に仕込まれていた。
 果たして岡村のリアルガチな怒気に気圧された出川は慌てふためき、さらにムチで互いにしばき合う流れになると、別室のたけし以下出演者たちは大喝采で大ウケ。この日、誰よりも目立った。
 
 この企画は視聴者にも大反響を呼び、その後のナイナイ、そして岡村の大ブレイクに繋がっていった。  
 そして、この年の10月、すでに浅草キッドがレギュラーであった、テレ東『浅草橋ヤング洋品店』にナイナイが新レギュラーとして加わったのだが、その初登場時のスタジオの黄色い声援の凄まじさたるや既にアイドルを凌駕していた。

 それに反応した司会のルー大柴が「黙れ、黙れ! この番組は俺がルールなんだよ! 何がナインティナインだ! 浅草キッドを見てみろ! 奴ら、まだ下積みなんだ!!」
 と気炎を上げると岡村は下を向き苦笑いでやり過ごした。
〝下積み〟呼ばわりされた我々も即座に立ち上がって猛抗議。
 その後は、この人気番組のロケパートのエースの座を巡って鎬を削っていくことになった。

 そして事件は1994年7月7日より『ナイナイのオールナイトニッポン』が木曜深夜1時の1部への昇格を決めたことで勃発した〝あの日〟の出来事へと繋がってゆく。

 岡村「実はねぇ、1部が始まる前に(浅草)キッドさんがうちに来たんですよ。木曜1部ってビートたけしさんがやってた枠じゃないですか。いわば、伝説の枠なわけですよ。で、『そこの枠をやって欲しくない』って朝方まで延々と。キッドさんたちは、たけしさんのANNにすっごい思い入れがあるから大阪から来たチャラチャラした芸人にやってほしくなかったんやろうね。~後略~」
(『ナインティナインのオールナイトニッ本vol.1』より)

 番組公式本でナイナイは当時、ボクと一悶着あったと語り、他所でも岡村は常々〝博士に殴り込まれた〟とネタにしてきたようだが、これは全くの記憶違いだ。
 真実は、この時期、大阪から上京し中目黒に引っ越してきた岡村に、ボクが知り合いの家電屋で必需品を最低価格で世話し、ある夜、岡村の新居で、木曜の『オールナイト』を担当することの意味と意義を夜を徹して語り合ったに過ぎないのだ。

 確かに『浅ヤン』終了後、後継番組『ASAYAN』の司会を引き継いだ岡村とボクとの関係は長らく〝懇意〟ではなかった。

 しかし、昨年7月17日、女優・酒井若菜の取り持ちで23年ぶりにボクは岡村と酒席を共にした。
 酒井とボクは父娘のような関係であり、岡村は一時の体調不良の際、文通によって酒井から励まされた間柄。
 拙書『藝人春秋2』の上巻では、酒井と爆笑問題・太田光が帯文を寄せてくれたのだが、その太田の書く小説を文学好きの酒井は敬愛しており、宿敵3人は、緩衝国・酒井若菜によって破滅的な紛争を回避し、地政学的バランスをようやくとどめていると言って良いだろう。

 恵比寿での23年ぶりの飲み会は想い出話に花が咲いた。
 そして、この再会がきっかけで今年1月18日、浅草東洋館で行われたボクのトークライブ『ザ☆フランス座5』に岡村がゲスト出演するまでに至った。
 ライブ当日、客前で互いの年表を辿りながら24年前の殴り込み事件は一方的な妄想であることが判明した瞬間、岡村が即座に謝罪。
 最後は握手を交わした。
 その数時間後には、自身のラジオ『岡村隆史のANN』の冒頭で事の経緯を語った。

 しかし、翌週の火曜深夜TBSラジオから咆哮が響いた!

「岡村、博士に騙されてんだよ!」

 四半世紀ぶりの復縁、つかの間の蜜月をぶち壊そうとする男の名はご存知、爆笑問題・太田光。
 本連載第25回のとおり、浅草キッドと爆笑問題はビートたけしのANN代役事件以来、因縁の間柄だが、この期に及んでまだ太田の遠吠えは続いている。
 局をまたいだ電波の応酬の果て、たった数週間のうちに岡村は、「太田さんが言うたように、たしかに当時、博士に電子レンジのようなもので殴られたような気もする……」と妄言を口にし出す始末。
 ボクはボクで太田の挑発にツイッターで徹底抗戦。

 やがて、オフィス北野、吉本、タイタンの三つ巴にまで話が大きくなると、太田は急にトーンダウンした。
 その急な意気消沈の裏には、怒髪天を衝く太田光代タイタン社長の姿が容易に想像された。
 
 3人は真面目にふざけていたのだが……。

 岡村、太田の思いは共通しているはずだ。
 時に、局の垣根を超えたエールの交換もあれば、時にプロレス的な
抗争もある。それもこれも、たけしから受け継いだ深夜ラジオとい
う我々の〝遊び場〟を盛り上げたいだけだろう。

 99パーセントの真実と1パーセントの素敵な嘘。
 そして、それぞれの主張の〝看板〟──。

同時代を生きる三人の喜劇人=スリー・ボードビリアンの衝突の閃光は人知れず夜空に〝冬の大三角〟を描いた。

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【その後のはなし】

 その後の岡村隆史も太田光も多忙の日々を過ごしている。
 そして、なんと言っても岡村は〝アローン会〟を卒業し伴侶を得、今や幸せ一杯である。
 岡村とボクの窮地を救った酒井若菜に共々感謝ではあるが、その彼女が大好きな小説家・太田光には異変が…。

 太田の小説は新潮社から刊行され『マボロシの鳥』などはベストセラーにもなり同社に少なからぬ利益を与えてきたはずであったが『週刊新潮』は太田光に「裏口入学」の汚名を着せ背中から撃った。

 ビートたけしも、新潮社には数々の書籍で儲けさせてきたが、ついに『週刊新潮』の裏切りに遭う。

 その抗争の経緯は、この後の章に続く……。


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