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『藝人春秋Diary』に寄せて BY・同級生K

書評・『藝人春秋Diary』

何で書き続けるのかねえ……

令和4. 1.24 中学の同級生K 


『藝人春秋ダイアリー』、2017年の連載当初から全部読んでいた。
コピーを取っておこうかとも思ったが、いずれ大改訂の上で単行本化されるだろうと思ってやめておいた。

まさかこんなに待たされるとは思わなかったが、待たせつつも戻ってきたことを良しとすべきなのだろう。

ほぼ各章に「その後の話」が付けられているところを見ても、作業能力も回復したということか。

内容については、今更改めて褒めようもない。

「相変わらずの見事な腕前というしかない。

日記芸人を標榜しているが、「日記に依拠=正確」 という思い込みを利用して、微妙に話を流れさせていくところが名人・上手の域だと思う。

剛速球を見せ球にして少しずれるスライダーで落としていくリリーフピッチャーのような案配かな。

大きな嘘(物語)を紡ぐためには細部の真実らしさを要するというのが、ストーリーテラーの技法のようだが、日記という極めつきの「細部の真実」を利用して話を作り上げているという点で、この本は作家のあるべき姿を忠実に現出しているのかなと思う。

中学時代に「英語で小説を書いて現地の芥川賞みたいなものを狙いたい」と語っていた著者からすれば、まだ道半ばなのかもしれないが。

この歳になって問題になってくるのは、「なぜ書くのか」と「いつまで書くのか」だろうか。

書くことの業については、48章で触れられているが、奇しくも書くこと(詠むこと)への情熱を吐露していたのが、40章で出てくる「附中20世紀少年」の一人中川智正だった。

「詠まざれば やがて陽炎 獄の息」の句は中川智正が死刑執行の2年前の2016年の俳句同人誌に載せたものだが、彼は最期の刻まで俳句をひねり、また、オウムの化学犯罪に基づき全正男テロ事件に関する文章を推敲していた。

彼が死刑執行される朝、支援者達への感謝の言葉を走り書きしたのは、まさに論文の正誤を記したメモだった。彼は最期の日の朝まで「書いて(詠んで)」いたのだった。

結局、我々はいずれ「陽炎」になることを自覚しつつ、あるいはそれ故に、何かを書きたいという衝動に駆られると言うことなのだろう。

そしてこの衝動がある限り我々は「生きている」ということなのだろう。

私もまだ「書く衝動」が続いているので、同封のような物を書いていずれ軍事史の大系を仕上げることを目しているし、中川智正の伝記も引き続き書いている。

自分自身の生存存証明であり、陽炎になることへの唯一の抗いと自覚しつつ。

追伸:
ダイアリーのもう一つの伏線が「人生の予告編」 とすれば、貴公にとっての私は何なのだろうか。
良くも悪くも2024年6月末をもって私のサラリーマン生活は終わる。
今のところ再就職は考えていない。
貴公の星座の中で私は恒星なのか惑星なのか、まがまがしき彗星なのかよく分からないが、ご用命あれば承りますとだけ書いておく。

尤も今でも土日ならばご用命あれば承れますが。

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