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48 倉敷人・前野朋哉とMEGUMI

 2018年1月27日──。

 羽田空港発岡山行きのJAL便の搭乗口ロビーでひとり座っていると、突然、後ろから声をかけられた。
「はかせしゃぁ~ん」
 冬の朝、乾いた逆光が眩しく、誰かと思い目を凝らすと白いマスクで顔を覆った江頭2:50だった。 
 しかも、時刻はちょうど7時50分。会うのは随分と久しぶりだ。
「何処へ行くんでしゅかぁ?」
「年末にね、母が亡くなって……その四十九日で倉敷へ帰るんだよ」
「あらーそうだったでしゅかぁ!」

 空路で1時間強。岡山空港では桃太郎の顔がアップになったポスターがボクを出迎えてくれた。
 東京でもよく見かける岡山の観光PRポスター「もんげー岡山!」シリーズの一枚だが、岡山出身の漫才師・千鳥のものから、いつの間にか蛭子能収そっくり顔の人物が桃太郎に扮するバージョンに変わっていた。

 「このポスターのひと、誰だろう?」
  と、この時、密かに思った。


 岡山空港から、タクシーで倉敷の実家へ向かい兄と再会した。
 実家で喪服に着替えながら、ふとテレビに目を遣ると、NHK岡山制作のローカル番組が放送されていた。 
 司会は、倉敷出身のMEGUMI。
 彼女とは以前、名古屋のテレビ局で3年間、共演した仲だ。
 番組名を調べると『レシピ 私を作ったごはん』とあった。
 そして、この日のゲストは、連続テレビ小説『わろてんか』に出演中の前野朋哉。
 昨今のauのCMでの一寸法師役や、映画『桐島、部活やめるってよ』での高校生役も記憶に新しい注目の個性派俳優だ。

 この時点でピントが合った。

 空港で見た岡山のPRポスターに写っていた蛭子風桃太郎も、どうやら彼だったのだ。
 番組を横目で見ているうち、彼も倉敷出身だという事実に、ようやくここで気がついた!
 そして、トークの中で、同郷のMEGUMIと前野は青春時代に通い詰めた映画館として「千秋座」の名を挙げた。

「せ、せんしゅうざぁあ~!?」

 ボクは驚きのあまりテレビの前で大声をあげた。
 その後すぐ、「もう行く時間じゃ!」と、兄に促されて迎えの車に乗り込んだが、法要先へと向かう間も在りし日の想い出が押し寄せて来たため、思わず兄に問うた。
「千秋座、今、どうなったん?」
「とっくに潰れとるがぁ!」
 数年前に映画館の跡地に商業ビルが建ったと噂には聞いていたが……。

 40年前、ボクが隣駅にある国立付属中学に越境通学していた頃、倉敷駅に出る道すがらの商店街に千秋座はあった。

 映画館の前を通り過ぎる際、必ず上映作品の看板を眺めた。
 中学卒業後、地元倉敷の高校に入学したが、高校1年生の時に体調を崩して留年。
 復学後は〝年下の同級生〟たちに馴染めず、次第に足は学校から映画館へと向かい、やがて映画専門誌『キネマ旬報』に批評を投稿するなど、映画界への憧憬を漠然と抱くようになった。

 1979年に公開された長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』に衝撃を受け、氏の下に弟子入り出来ないか策を練ったり、またある時は新進の森田芳光監督のスタッフになれないかと算段したり……。映画界への足がかりを夢見ていた。
 同時に、この時期、竹中労の『ルポライター事始』を読み、本気でノンフィクションライターになることも夢見ていた。

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 それらは漫才ブームと共にビートたけしが現れ、決定的な啓示を受ける前の、10代の青い妄想だった。
 高校3年生の時、思い余って千秋座の支配人に手紙を書いた。
 千秋座は封切館ではなく、洋画の2本立て興行が主体だったが、併映の作品選びに一筆啓上したのだ。
 この若気の至りの意見書に対し、後日、支配人から長文の返信を頂き、さらに地元商店街のつながりで付き合いがあった父の橋渡しもあり、ボクは千秋座で人生初のアルバイトをすることになった。

 最年少だったボクは、古参従業員たちに可愛がられ、雑用をこなし、映写室でフイルムの掛け替え作業を教わったこともあった。
 それは、まるで映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のような毎日だった。

 NHK、朝ドラの『わろてんか』のモデルとなった吉本せいが寄席を買収し、事業を始めたのが明治45年。
 その遥か31年前に千秋座は倉敷の地で芝居小屋として開座した。
 ゆえに、ボクがバイトで居た頃も松竹新喜劇の藤山寛美の倉敷公演を手掛けていた。
 ポスター貼りから、本番、撤収まで興行の一切を手伝った。
 そんな日々のなか、先輩たちは地方映画館の事件簿をいつも楽しく聞かせてくれたが、唯一〝エロ映画鑑賞事件〟と呼ばれた、地元で語り草になっていた大事件に関しては誰もが声を潜めた。
 今年の母の葬いの5年前のこと。
 兄から「これは誰も持ってねぇよ」と、岡山にまつわる映画の話を蒐集した稀覯本を自慢された。
 書名は『まぁ映画な岡山じゃ県!』。著者は世良利和、挿し絵は本誌でも『(笑)いしい商店紀尾井町店』の連載で親しまれた、岡山が生んだ4コマ漫画の天才・いしいひさいちだ。

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  そもそも版元の蜻(あきづ)文庫は、いしいひさいちファンが興した岡山の地場出版社であった。
「もしかして、あの本ならば!あの事件の全貌が書かれているかも」と、ボクはページをめくり、中に「倉敷エロ映画鑑賞事件」と題された一章を発見した! 
 そこには、昭和30年代、倉敷の老舗旅館に地元の名士を集め、接待としてブルーフィルムが上映され、世間を騒がす大事件になった珍事の顛末が詳細に描かれていた。
 その主催者のひとりとして、千秋座の館主が名を連ねていた。
 そして、この話が大事件となり、当時、週刊誌で大々的に報道されたが、「東京からやってきた著名な映画監督をブルーフィルムで歓待した倉敷の文化人諸氏の諧謔に、私はむしろ同感することがあった」
 とレポートした、その署名記事の筆者は誰あろう、ボクが憧れた、若き日の竹中労だった――。

 19歳で上京したボクは結局、映画の世界にもルポライターの世界にも行けず、自己実現できたのは24歳の時、殿の下、芸人の道だった。 
 翻って、ボクが弟子入りした年に倉敷で生まれた前野朋哉は、大阪芸大の映像学科に通い、学生時代から映画監督としての才能を発揮。
 そして、今や売れっ子役者となった。 
 彼は、ボクが夢想した〝もうひとつの青春〟を成し遂げた人だ。

 しかし、人生は不思議だ。
 役者になった前野は、ドラマで漫才師を演じ、リアルに「M―1」にも出場した。
 一方のボクは漫才師が本業なのに、今では文筆業も兼業で行っており、本誌でルポを書いている!?

 母親の四十九日に同郷の前野朋哉から千秋座の想い出を聞くという偶然は、55年前に倉敷でボクをつくった母の「レシピ」が「一日千秋」の想いで引き合わせ、この『藝人春秋』に書かせるという必然だった。

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【その後のはなし】
 「晴れの日」をPRしている岡山県ではあるが、晴天率、快晴率は全国トップレベルというわけではなく、実のところ、降水量1mm未満の日数(年間)が全国一という意味なのは…、公然の秘密である…。
 そんな岡山県ではあるが県出身芸能人の多さも手伝って、観光PR活動に余念がない。
 2019年、晴れの国おかやまを舞台にしたショートムービー(通称〝ハレウッド〟ムービー)が制作された。
 監督は前野朋哉。脚本(共作)の他、水野晴郎ならぬ「晴野晴郎」名で出演も果たした。主演は、東京都国立市出身の人気俳優「岡山天音」。
 公式ページには、ライムスター宇多丸、有村昆などの批評家が称賛を寄せ、見取り図・リリー、東京ホテイソン・たける、空気階段・水川かたまりら、岡山出身のお笑い第7世代実力派漫才師たち(ブルゾンちえみはいなかった…)と、そしてもちろん、前野の千秋座仲間のMEGUMIが、岡山らしさが凝縮されたこの作品に、思い思いのコメントを寄せている。
 岡山県のPR部隊はもう一仕事して、2019年の全英女子オープンゴルフの覇者、渋野日向子のコメントをプラスできていれば完璧であっただろう。
 ともかく、全編31分の珠玉作『ぽつり、岡山』は、youtubeで無料で視聴できる。

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