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50 最終回 藝人の墓

古館伊知郎の人生の予告編 後編 妻との出会い②

2017年7月25日──。

 深夜、南青山のBARのカウンターで古舘伊知郎と「人生には予告編がある」という互いに共通する真理を語っていた。

「博士、出会い系サイトで奥さんと出会ったって、それってどういこうことなの?」
「ボクは1997年にホームページを開設してから、今まで一日も欠かさず日記を書き続けてるんです」
「まさに連続試合出場世界記録、BLOG界の鉄人・衣笠だね!」
「だから、いつ誰と何処で出会い、何を話したかまで遡れるんです」
「つまり、博士の日常は自衛隊の日報みたくならないってことだ」
「はい。家族のリスクには十分配慮しますが、基本的に一度発表したものは消去も修正もしません……」
 酒場で、元ニュースキャスターと旬な時事ネタを交えて語り合う。
「総計7600日以上の膨大な文字データがネット上にありますが、その21年間の総アクセス数が、一時の中川翔子や、最近では松居一代のブログの〝一日分〟のアクセス数に負けているんです」
「イイねーー! いや、正に『逆イイね!』現象だね」

 川藤幸三の19年間の生涯安打数がイチローの一年分にも満たない的なボクの十八番の自虐ネタに、過褒過激描写の魔術師・古舘伊知郎もさすがに吹き出した。

「で、20年近く前、36歳の頃、ホームページ上に『博士の嫁取りコーナー・合コンしま専科!?』って、バナー広告を作ったんですね」
「あ、それが“出会い系サイト”か!」
「最初は純粋にボクのナンパ目的だったんですが、その募集に『もうすぐ結婚する私の親友が、本当はずっと博士のことが好きなんです。会っていただけませんか?』という内容のメールがスペインから届いたんです」
「スペイン!? それどういうこと?」
「メールの主はその時、妻の幼馴染の親友と大学の卒業旅行でヒッチハイクをしながら世界を回ってる最中で、メールの件名は『歌う女・歌わない女』という洒落たものでした」
「あ、アニエス・ヴァルダのフランス映画! あったねぇ!」
「それです! メールの差出人の彼女は行動的で運命を自分で切り拓く〝歌う女〟タイプ。だけど、親友の千枝は、自分とは正反対のタイプだと言うんです」
「千枝って? 後の奥さん?」
「はい、千枝はカミさんの本名です。彼女曰く、千枝は自己主張をせず、運命を受け入れるタイプだと」
「つまり、〝歌わない女〟なのか」
「そんな消極的な千枝に成り代わって、行動的な女友達がボクに応募メールを送ったわけです」
「そりゃあ、驚くねー。って言うか、会いたくなるでしょ!」
「そりゃそうですよ! すぐにメールを返しました。で、後日、東京駅で待ち合わせして、見ず知らずのままデートしたんです」
「出ました! 早すぎたリアル『君の名は。』! そこから、ふたりは結婚に至るわけ?」
「その後、身辺を整理して上京した彼女と正式に交際し、ボクが40の時にプロポーズをして大府にある実家に挨拶に行ったんです」
「つまり、お義父さんは、金沢の家族旅行で偶然会ったタクシー運転手こと、元フランス座の岡山社長との会話中に『水道橋博士って誰?』とメモに残した当人と会うわけか」
「そうなんです。金沢で初めて名前を知った水道橋博士が3年後に『娘さんをください!』って現れたから、お義父さん、本当に驚いたんだけど……すぐにОKしてくれたんです」
「うーん。まさに、それこそ〝人生の予告編〟だよ!」
「まさに予告編です。そして結婚生活という〝本編〟が始まって……」

 古舘伊知郎は大きく頷いた。

「でも、この話をすると、オカルト的な運命論を完全肯定している痛い人に思われがちで……」
「確かに。でも、俺もそうだけど、博士も人生に言葉の伏線を張り巡らせるから、それを話すことで、意識的に回収するように努めている。だからこそ、起こることなんだよ」
「でも、ここから、まだストーリー続くんです」
 ボクと妻の結婚をめぐる奇縁は、これだけに留まらなかった……。

「ところで、もうひとつのはなしの前に、古舘さん、昨年末、NHK『ファミリーヒストリー』に殿が出演されたんですけど、ご覧になりました?」
「あ、武さんのお母さんの回ね!」

2016年12月21日放送、NHK『ファミリーヒストリー・北野武~父と母の真実 阿波国徳島に何が!~」は衝撃的な内容だった。

 北野母子の物語は、80年代に一世を風靡した。
 なにしろ、北野武の回想録『たけしくん、ハイ!』と、母・北野さき自叙伝『ここに母あり』が、ともにベストセラーとなり、前者はNHKでドラマ化。後者は『菊次郎とさき』として小説化された後、テレビ朝日でドラマ化。さらに舞台化(1999年)もされた。

 つまり、この親子の物語は国民的ドラマとして広く親しまれ、息子目線、母親目線からのエピソードや家系の正史がすでに主観的な事実として確定していたのだが、今回の番組によって様々な客観的事実が浮かび上がった。

 たとえば、その中で父・北野菊次郎の旧姓「正瑞(しょうずい)」は、徳島県にルーツを持つことが明らかになった。  
 現在、『ファミリーヒストリー』の枠を引き継いだ『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』は、日本人の姓の由来という難解なテーマを、古舘の話術が軽妙な謎解きバラエティへと昇華させている。
 そして、「正瑞」の姓を巡るロケは、この後継番組の成功に繋がる〝予告編〟とも言える名調査であった。

 また番組では、北野さきの初婚の相手が7ヶ月で病死したこと(自叙伝では〝3日〟)、男爵家で奉公していた経歴との記憶の齟齬、〝テレビ初出演〟北野武の姉・安子の陽気なキャラなど、長年、ビートたけし史家を自称してきたボクも、数々の新事実、新証言に舌を巻いた。

 放送後、殿に番組について尋ねると、「おどろいちゃったよ! とりあえず、母ちゃんが言っていた生い立ちとか全部、作り話だったんだよ。伯爵家に住み込みのお手伝いだったって話すら全部ウソだぜ!! まいっちやったよ!!」と、むしろ嬉しそうに語っていた。
 
「で、古舘さん、ボクとカミさんの宿縁は、この後、また殿に繋がるんです! 北野家のルーツである足立区にカミさんの母方の祖母が暮らしているんですが、今回の放送を機に実家に連絡してその住所を確かめたところ……」

 ボクは、ここぞとばかり稲川淳二の怪談ばりに間を取って続けた。

「なんと、北野さきさん、いや北野一家が暮らしていた家のお隣さんとして、昭和17年の昔から、ずっと同じ場所に住んでいたんです!」
「えーー? どういうこと!?」
 

                          (つづく)

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最終回 藝人の墓

「殿! 個人的な報告で恐縮ですが、お時間、よろしいでしょうか」
 この日、師匠・ビートたけしを弟子のボクが引き止めた。

 2017年12月22日──。

 ニッポン放送『松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』でユーミンと殿の32年ぶりの共演が実現し、ボクは有楽町の現場に駆けつけた。
 2時間に渡る丁々発止のフリートーク。
 隣のブースから見学しながらも、まるで「ふたりのビッグショー」を間近で見ているようだった。

 オンエア中、ユーミンが「博士が来てますねー」とボクをブースの外に見つけて話を振ると、殿は「30年も前ね、弟子志願が流行ってさ。アイツもオイラのことが好きで、家出して此処に来てよ。ニッポン放送の入り口で土下座したんだよ」と、昔話をした。

 夢の時間は過ぎ、記念撮影を終えたふたりがブースの外に出てきた。
 もう日付は変わっていた。立ち去る殿の後を追い、エレベーターの前で「殿!」と呼びかけ、冒頭の一節を発した。

ボクの声に殿が振り返り、一言。
「ん? どうしたい?」
「……今日、母が死にました!」
「……んっ!? ……幾つだった?」
「85歳です」
「親父は?」
「もう亡くなっています」
「そうか……」
首を曲げて、殿が下を向く。
「葬式は?」
「もう高齢なので、密葬、家族葬です。訃報も公にはしません」
「そっ……ま……気を落とさず……。
 うん、辛抱しろよ!……じゃあな!」

 そう言い残すと、エレベーターの扉が閉じた。

 その瞬間、それまで毅然としようとしていた気持ちが切れて、堪えていた涙が噴き出し、止めどなくポタリポタリと床に落ちた。

 この日の昼、兄から電話で母が亡くなったと伝え聞いた瞬間、1999年に殿のご母堂、北野さきが95歳で亡くなったときの葬儀の様子が脳裏に浮かんだ。
 豪雨のなか、雷鳴が轟くとカメラの前で堰を切ったかのように号泣した殿。

 息子にとってかけがいのないお母さんがいなくなる日──。

 普段の負けず嫌いと我慢強さが決壊した初めて見る姿に、自らにも襲い来る未来の必然を想起したものだった。

 有楽町に行く前、レギュラー番組、MXテレビの生放送『バラいろダンディ』のメイクルームで、島田洋七師匠にだけ母の死を打ち明けた。
「そか。ツライな……。でも辛抱や、ええか、本番は黙っとけよ。たけしは知ってんのか?」
「いえ、でも、これからニッポン放送でラジオの生放送があります」
「これ終わったら、師匠のところだけは行って報告してこいよ!」

 ボクは洋七師匠の言葉に従った。
 
 翌日、倉敷の実家で兄が恙無(つつがな)く、仕切ってくれて、母の葬式を終えた。

 その4日後、今度は足立区に住む妻の祖母が亡くなった。
 連日の訃報が続く。
 家族もすっかり喪服慣れしてしまったほどに。

 夕刻、足立区の斎場の通夜へ家族で駆けつけた。
 故人は、瀬田(田村)貞子さん、享年93歳の大往生だった。
 足立区に、しかも長年に渡って、殿のご母堂、北野さきのお隣暮らしをされていた仰天の事実を、妻もボクも、結婚後に初めて知った。

 葬式の参列者がボクを見つけるや、次々と故人と足立区の有名人・北野さきの想い出を語っていく様は、まるで映画『ビッグ・フィッシュ』のようだった。

 昭和初期から殿のご母堂と妻の祖母、おふたりが昵懇であった伝聞を、事実として痛感させられた。
 生前、一度もお会いすることが叶わなかったが、北野家と妻の実家・田村家、そしてボクとが、いかに無意識かつ運命的に近いところにいたのかを思い知った。
 帰宅後、2016年12月放送のNHK『ファミリーヒストリー』、北野家編を再見。
 話の節々がお通夜で聞いた通りで、ますます驚かされた。
 例えば、殿の祖母・北野うしが、明治期に娘義太夫として人気を博した〝歌う女〟だった事実。

 そして、その芸人として血筋を辿る家系図の、母方を2代遡ったところに「志ん」の名前を見つけるや、ボクは震撼した。
 何故なら殿は、2019年の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』で、ナレーションと共に「古今亭〝志ん〟生」の役を演じるからだ。

 この偶然の一致が、単なる、語呂合わせの言葉遊びであることはわかっているが、まるで夜空に新たな星座を発見したかのような奇異なる興奮を覚えた。

2018年2月11日──。

 足立区の常唱庵で行われた四十九日法要にも参列した。
 本堂で住職が語る、享年93歳の貞子さんの、死に際の凛とした生活態度、無私の地元貢献など、几帳面な大正女の面影を知り、昭和~平成と、道徳観や下町の繋がりが薄れてゆくなか、明治女の北野さきと、幾度となく昔を懐かしんだであろう交流する姿が偲ばれた。
 その後、浅草田原町の鰻屋『やっ古』で会食が行われ、田村家の親戚一同に、ボクは自作の家系図を示しながら情報を集めた。

 そこには、北野武の足立区時代の痕跡が歴然と残っていた。
 ボクと妻は、出会いの前から、北野家を介して繋がっていた──。

 この仮説に対して、裏取りを進めた結論は、昭和17年から妻の祖母・田村貞子と北野さきが隣住まいだったことのみならず、日暮里から足立区へと、北野家の隣組に意識的に居を移して、共に暮らしてきたという事実だった。

 そんな家系の妻が、その血筋を幼い頃から意識し、ビートたけし及び、その弟子のファンになったのなら、不思議さは薄らぐ。
 しかし、妻は結婚するまで、北野さきとの因縁には完全に無意識のまま、基本、芸能界にも一切興味がなかったのに、ある時、ボクが綴るブログがきっかけで、電撃的に北野さきの息子の弟子のファンとなり、結果、結婚にまで至ったのだった。
 
 この日、法事を終えた足で、世田谷の殿宅へと向かった。
 軍団に急遽、全員招集が掛けられていた。
 一室に入ると、ボクが最後のひとりで、何やらただならぬ緊張感が窺えた。
 そして、殿から驚くべき報告がなされると、間をおいて、オフィス北野の森昌行社長が神妙に部屋に入ってきた……。

 この時こそが、後に大騒動となる「たけし独立問題」の幕開けの瞬間だった。
 この日、斎場で仕入れた話を、ボクは殿に喜び勇んでご報告しようと思っていたが、家系図は鞄にそっとしまい込むしかなかった。

 その後、ボクの人生に予期できなかった苛烈が日々を襲った。

 人生は死ぬまで過程に熄む。

 物語に終わりはなく、まだ始まってもいない。

 ビートたけしの弟子として、藝人の生を醒まされたボクは「藝人の墓」に眠る日まで己の日記を綴っていくのだ。

 それは死後もなお語り継がれるよう。
 物語は生き続けるのだ。

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【あとがき】

 樹木希林が亡くなる前にボクに言った。

 「貴方に言っておくけど、お仕事はね、楽しむんじゃないのよ。面白がるのょ。ツラいことでも、自分から面白がる、火中に栗を探すようになってからの方が、面白いんだから」

 それを思い返せば、『藝人春秋』シリーズは、ボクが「面白がる」ために書いている。決して楽しんではいないだろう。

「ひととひととの間に、お笑いがあるんだから、芸人さんは、そこを見つけて、他人に見せてあげて。自分は晒し者になってもいいから」

 そのとおりだ。

 日々是好日。

 樹木希林さんの遺作のタイトル通り。
 日々の中に、良き日を面白がり続けよう。

 『藝人春秋Diary』は死ぬまで続くのだ。

                 【完】

 


 


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