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躁うつ病を患った末に大学を休学した話。(part①)

ずっと憧れて、待ち望んでいたはずだった大学に入学してから、どんどん精神的な体調が悪化し、
「これはおかしい。病的なほどに調子が悪い。」と感じ、初めて精神科を1人で受診しに行った日のことは、今でも覚えています。

「中等度の抑うつ状態で、薬による治療が必要です。」と言われた時の、やっぱりなと納得した気持ち、怠惰や甘えではなかったんだとほっとしたような安堵感、そして、自分が治療が必要なまでの抑うつ状態であることに対してのショック。

大学一年生の終わりに通院を始めたものの、その後も完治することなく、躁状態とうつ状態の大きな波が押し寄せて、精神的にも健康的にも身体的にも金銭的にも、大きな被害がありました。
誰かに何かをされたわけでもなく、躁うつ病である自分自身から受けた被害の数々。
助けてと言えなくて我慢し続けてしまった末に、
自分で自分を深く深く傷つけてしまいました。

大学3年生になってから、今までで最も症状は悪化し、自傷行為、強い希死念慮があり、今までは闘病しながらなんとか通って単位も取得できていた大学にも、いよいよ通えなくなりました。

躁状態の時に、散財してしまった積み重ねによる借金も大きく膨れ上がり、大学生の自分一人ではどうしようも出来なくなりました。

頭の中は毎日希死念慮でいっぱい。
家の中に居ても、自分を傷つけたくてたまらなくて、家の外に居ても、ここで飛び出したらこの世から消えられるかな、ここで飛び降りたら居なくなれるかな、
そんなことばかりが浮かんできて、涙が出てきて、過呼吸になって、どうしようもなくなって自傷行為をして、なんだか落ち着いて、
でもその傷つけた痛みは身体的にも精神的にも
キツいものでした。

もう耐えられなくなりました。
1人で生活をするのには限界でした。

そして、今まで頼ることが出来なかった両親に、
助けて欲しいと、やっと言うことが出来たのは
大学3年生の秋でした。

地元に帰りたいこと、大学を休みたいこと、
そして借金があること。

全て正直に伝えました。

あの日のことはきっと一生忘れることはできないでしょう。
あの日の両親の表情、言葉は、一生記憶の中に残り続けると思います。

全てを話し、助けを求めることは、
やっと言えたという安堵だけではなく、
本当に心苦しく辛いものでした。

でも、もう1人ではどうすることもできない状態でした。

だから、これでよかったのだと思うしかありませんでした。



とても長くなってしまうので、
今回はここで一区切りつけたいと思います。

次のpart②以降では、自分がどうして躁うつ病になってしまったのか、現在の生活・心情はどうなのかを綴っていきたいと思います。✍🏻